第8話 鈴が幼なじみになれると信じるある日の話
制服のまま喫茶店『無聊』に入った南田豊水と田北鈴は足を止めずに早歩きで歩きながら、鈴一人で急ぐ声でマスターに『いつもの』と言ってから一番奥のいつもの場所に座った。
今日の鈴は急いでいるのでここに来るまで早歩きというよりも競歩に近い速さで歩いていた。
男女では歩く速さが違うので豊水は鈴の横を歩くのには大して苦労はなかった。
しかし今日の豊水は鈴の後ろを歩いている。豊水は年に何回か鈴のポニーテールをじっくりと見たくなる時があるからだ。
もう少し見たかった。席に着いてからそう思っていると、興奮してその事にも気がついていない鈴が、早口になりながら大声で言った。
「私たちは将来的に幼なじみになれるんだよ!」
「…………? ……? …………?」
「何も喋らないで首をひねるだけで何を思っているのかを表現するのは止めて」
「じゃあ。……ちょっと言った事の意味が分からない。俺達は中二の時に初めて会ったから幼なじみじゃないだろ。学校で何か現実逃避したくなるほどショックな事でもあったの?」
「……ふっふっふ。確かにショックを受けましたとも。これを思いついてからずっとショックのあまりにすごく興奮しているのは自分でも分かっていますとも。しかし豊水もこのすごい考えを聞いてしまったら衝撃のあまりにこう……、すごい事をするに違いありません!」
「……じゃあ、とりあえずそのすごい考えを教えてくれるかな、そうしないと俺もすごい事ができないから」
「これを聞いたら豊水がどんなすごい事をするのか、今から楽しみにしておくとしますか」
「おまたせしました、コーヒーとポテトのセットで~す。……あと、店の中で変な事はしないように」
そう言って戸西さんは二人に対して釘をさす。何故戸西さんがそんな事を言ったのか?
それは戸西さんは鈴の母の従妹だからだ。
つまり戸西さんは今、店員ではなく親戚として釘をさしたのだ。
鈴の家族は今は日本にはいないから、何かと気にかけている。
何しろ鈴がハイハイをやっている頃からの付き合いで、戸西さんに妹はいないが、妹のようにかわいがっていた。
去年は三者面談にも出てもらっているし、卒業式にも来てもらった。だからか鈴は戸西さんには頭が上がらないのだ。
だから鈴はその気はないが、ついつい『ごめんなさい』と言ってしまった。
それを聞いた戸西さんは満足そうに戻っていった。
「いや、そこで謝ったら俺達がそういう事をするつもりみたいじゃないか。……しないんだよな?」
「しません……、多分。最初からその気はあんまりなかったんですよ。その気は毎日あるけどいつも我慢しているんですよ……」
「……毎日ちょっとはあって、毎日我慢してたんだ。……また怒られるからその話は止めよう。それより話を戻そう」
「うん、そうする。……で、今日の授業中に定年が近い女の先生が雑談で、旦那とは幼なじみって言ったのが始まりである」
「何のつもり、その言い方は。幼なじみと結婚した人ぐらい沢山いるよ。それで?」
「それがですね、幼なじみの旦那とは中学校から付き合っていたと言う訳なんですよ!」
「……それは昔から仲が良い友達だったけど、中学生になってから付き合い始めたって事?」
「それが違うんですよ奥さん。旦那とは中学に入ってから知り合いになったって言うんですよ!」
「奥さんは鈴の事だろ。……じゃあ幼なじみじゃないんじゃないのか?」
「それが浅はかだったと思い知らされたわけですよ、私は。考えたら幼なじみと云う言葉は、幼い時からなじんでる、という意味です」
「今の所は言いたい事の理解はできる。で?」
「で、定年間際の人にとっては、中学生は幼い頃に入るわけですよ!」
「…………!?」
「理解できたようですね、豊水さん。高校生から付き合って結婚した人はそういう人もいるだろうで済むんですよ。しかし中学生の時から付き合っててそのまま結婚したら、その二人は幼なじみが結婚したカップルと思っていいんですよ!」
豊水は鈴の言いたい事を言葉ではなく魂で理解できた。
だから約束通りに何かすごい事をしなければならなくなったと、豊水は辺りを見渡した。鈴の話を聞いて興奮してしまったかも知れない。
しかし誰かに迷惑をかけてはいけない事を覚えているほどの興奮の仕方だったので、豊水は目の前のポテトを両手で無造作に鷲掴みにし、次々と口に入れて口いっぱいに詰め込み、コーヒーで一気に流し込んだ
「確かに、考えたら幼なじみの定義は歳と共に上がっているかもしれない。小学生なら入る前から仲良くしないといけないが、高校生になった俺達は小学校で仲良くしていたら幼なじみと言ってもいいに違いない!」
「そして私たちは中学二年に知り合った、だから今は幼なじみにはなれない。しかし順当に歳を重ね続ければ、将来的には私たちは『幼なじみ結婚夫婦』になれるわけなんですよ!」
「……つまり俺達は今まで通り、むしろもっと仲良くしていればいいという事だな!」
「その通り、こんなに踊りたい気分は産まれて初めてですと言っていいでしょう!」
「いや、それは他のお客さんに迷惑だから止めよう。……やるとしたら人気が無い、公園とか?」
「深夜の公園で星に囲まれて……。何で幻想的な……」
「来てみれば人気が無い所に行って何をするって? 今日はちょっと説教するかもしれないと思ったから店長に頼んで早めに来たんだけど。……とりあえず、言い訳は聞きましょう」
戸西さんにそう言われて鈴と豊水が慌てて弁解しながら、三人は店を出た。
マスターにしてみれば三人ともに幼い子供だ。
しかし鈴は戸西さんの歳を考えると、幼なじみとは言えないだろう。そして当然豊水はどんなに歳をとっても、戸西さんとは幼なじみにはなれないだろう。
「別にそこまで特別な物でもない気がするけどねぇ、幼なじみ」
「当たり前に持っている人はみんな、そんな事が言えるんですよ」
「でも実際に小学校からの友達は、毎日誰がしかは店に来るんだよね」
「それはすごくレアな事って、知っておいた方がいいですよ」
そう言われて東戸さんは幼なじみを思い出す。
ケンカした人に遊んだ人、大人になってから仲良くなった人。
色々な人を考えたが最終的に幼なじみで浮かんだのが自分の奥さんだったので、やはり幼なじみは特別かもしれないと思い直し、客と店員がいる店の中をぐるりと見渡した。
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