第9話 鈴が衣替えしたら最終的にスクラムを組んだある日の話
制服のまま喫茶店『無聊』に入った南田豊水は足を止めず、いつもならマスターに『いつもの』と一言だけ言って頼むのだがそれを言わず、ゆっくりと一番奥のいつもの場所に座った。
今日は朝に都合が悪いと連絡があって鈴と駅では会っていない。帰りも先に行っておいてと言われた為、今日はまだ一度も鈴とは会っていない。
こんなに鈴と会わないのはいつ以来の事だろうか。気分は悪く無いはずなのに、教科書とノートを広げて復習をする気にもなれない。
避けられているのだろうか、そう考えてしまい自然と顔が下を向く。そして何もしないでいると田北鈴の「いつもの」の声が聞こえて、次いで鈴の足音もすぐそばに聞こえてくる。
豊水が前を見れないでいると、鈴は何故か座ろうとしない。
鈴が顔を向けろと言ってきたが、向けば何を言われてしまうのだろうか。そう思い豊水には力が入らないが、心を悟らせないように何とか全身に力を入れて、鈴の姿を瞳に入れた。
「田北鈴、今年初めてで高校初でもある夏服です! ありがたがって拝んでくれてもよろしくってよ、豊水さん?」
「…………」
「……豊水? 何か反応してくれないとこっちが困るんだけど? ……って泣いた!?」
「……great、and、beautiful。……fantastic!」
「とりあえず、ハンカチね。……流暢すぎて何を言ってるのかわからないんだけど、英語だよね、何で英語?」
「……彼女が夏服を着ている、そう思うと感極まって、つい涙が……」
「普通そうなるかね? それになぜ日本語を使わない……」
「コーヒーとポテトのセットで~す。もう暑いから次から注文の時はアイスがいい時はマスターに言っておいてください。……鈴ちゃんかわいい、似合ってるぅ!」
戸西さんからそう言われて照れたのか、鈴は椅子に座って何かをごまかすようにコーヒーに砂糖とミルクを入れる。
そして掻き回しながら気がつくと、豊水から何かの音が聞こえた。
何だろうと前を見ると、豊水は鈴を動画で撮っていた。
写真を撮るのは相手の許可を取ってから、これは二人が付き合う前から決めた事でもあるし、そもそも普通にマナー違反だ。
だから鈴は豊水に、一年半ぶりの必殺技を与える事にした。
「……一年半ぶりに鈴の脳天唐竹割りを喰らってしまった。これはDV ではないのだろうか?」
「いや、ない、反語。急にそんな事をされたら怒るに決まっているでしょうが」
「体が勝手に……。しかし写真じゃなくて動画だからいいという可能性は?」
「ありません、むしろなお悪いわ。ちゃんと先に許可を取りなさい、許可を。後でどんな物だったかは確認するけど、豊水の彼女なんだから許可するに決まっているでしょ」
「じゃあとりあえず立って全体から撮って、後は……」
「その前に、写真を撮っていいか店長の許可を取ってからね。あ、分かってると思うけどいやらしいのは許可しないから、駄目だからね」
「それは誰にも見られたくないから、心の中で焼き付けている」
「……ならばよし!」
そしてマスターに許可を取り、鈴の撮影会が開催された。
立って全身から始まって、椅子に座って靴を脱ぎ、膝を立てたり、テーブルに頬を付けてみたり。
後ろを向いて振り向いて、豊水に最高の笑みを浮かべたり。
いつしか常連たちも見ているが、二人はそれに気がつけない。
ツーショットを最後に撮影会が終わったらお代わりのアイスコーヒーを受け取り、鈴はいやらしい写真が撮れていないかのチェックを始めた。
「……よし、鈴チェックは問題なしです。……そういう写真が一枚も無いとそれはそれで複雑な乙女心が……」
「言ったじゃないか、他の人に見られたらどうするんだって。鈴のそんな姿を見ていいのは俺だけだから」
「そう堂々と言われたら反応に困るけど。で、当然豊水も衣替えしたら写真に撮るからね」
「それはいいけど。……どこまで脱げばいいのかな?」
「脱ぐな、夏服着ないと衣更えの後に撮る意味が無いでしょうが。……で、さっき泣いた理由は?」
「……何の事を言っているのかちょっとわからない」
「それでごまかせると思ってるなら、怒るからね」
そう言われても豊水は何も言わない。そんな豊水に向かって鈴は怒るのをじっと我慢していた。
いつになく緊迫した二人の雰囲気に、常連やマスター達は気が気でなくなってしまう。
戸西さんも隠れて伺いながら祈っていた、どうかどうでもいい事でありますように、と。
そして耐えきれなくなった豊水が、ゆっくりと口を開いた。
「昔、いつも俺と一緒に居たら不幸になるって言われただろ」
「……は?」
「この時期だから、鈴もそれを思い出したと思って。だから朝は会わなかったんじゃないかと思っ」
「はぁあぁあぁ? 何言ってるのあんたは中学生の時のバカ共の事でしょうがそれを言ったのはそんなわけ無いでしょうが。どうせなら初めての衣更えした制服をじっくりと見せようと思って時間をずらしたら彼氏に泣かれて別れ話を言われそうになったとかこっちが泣きたいわ!」
「いや、まだちょっとお」
「いやじゃない! 豊水、豊水を好きな私を信じなさい! 豊水と仲良くなったら事故に会うなんてありえないし。私はどうなっても絶対に豊水と離さないんだから!」
「だから、続きがま」
「だからとか言うのも禁止! こうなったら、お姉ちゃん、マスター、後みんなも、kome on!」
「鈴も発音も流暢だな。でもそろそろお」
「でももダメ! ちょっとしばらく黙りなさい、そして私に抱かれなさい!」
「おおう、言われて出て来たら鈴ちゃんが豊水君の頭を抱きしめてる、何この状況!?」
戸西さんが出てくると、座っている豊水の頭を鈴が抱きしめていた。
そして鈴が指示をして、その上から戸西さんが二人をまとめて抱きしめる。
さらに鈴の『もっともっと』の声に答えて、次々と常連たちが抱きしめる。
最終的に東戸さんも加わって、よく分からないスクラムを組んだよく分からい姿になっていた。
もう絶対にこんな事は言わない。よく分からないスクラムの中心で、もみくちゃになった豊水はそう心の中で決めていた。
「みんなでご飯に行っちゃいましたね。マスターは店を閉めて行かないんですか?」
「行きませんよ、マスターなんだからね。……しかし、何だったんだろうね今日のスクラムは」
「……若さの勢いとノリ、でしょうかね」
「若いのは三人しかいなかった気もするけど。……それと豊水君は多分、言いたい事の途中じゃなかったんじゃないかな」
「でも、マスターも参加しましたよね」
「……年寄りの勢いとノリ、のせいかなぁ……」
豊水は多分、今はもう違うと言いたかったのではないだろうか。そんな事を考えていたら写真で何枚も撮るはずも無い。
しかし多分だが、豊水は鈴がいなくなったら大変な事になってしまうだろう。そして鈴の普段の言動からして、豊水がいなくなったら鈴も大変になるかもしれない。
多分二人とも、ヤンデレに違いない。
二人のいつもの会話も考えて、東戸さんはその結論に達していた。
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