計算できないリスク

 真っ暗な部屋で2人の男女が抱き合っていた。薄っぺらいシーツがもぞもぞと動いて男が起き上がる。眠そうに目をこすりながら、カーテンを開けて、床に散らばっていた下着を履きながらトイレへと向かう。なんてことない所作でトイレの電気を点けるが、明かりは灯らない。


「あ、あれ?」


 何度かパチパチとスイッチを切り替えるが、一向に電気が点く様子はなかった。充電器にさしていたスマホを確認するが、充電中という表示がない。


 少し慌てて冷蔵庫を開けてみたり、部屋のスイッチを押してみるが、どれも電気が通っている様子はない。ポストを確認してみれば、電気代を滞納したことで一時停止しているという手紙が届いていた。と、同時に家賃滞納のため強制退去手続きを行っているという手紙も見つけてしまう。


「ベティ、ベティ!!」

「どうしたのポール? もう1回したいの?」

「それどころじゃない!! 電気が止まった。ガスも止まったし、そのうち水道も止まるぞ!! それだけじゃない。家賃を払わないから追い出すぞって手紙も来てる」

「……え、ヤバいじゃん!! どうしよう!!」


「早くバイトを探さないと……。いや、それより、すぐに金が用意できないとダメか」

「どっかからお金借りる……? でもそしたら」


 ラメカールで金を借りるということは、ほぼ必然的にギャングから金を借りることになる。それがどういう結果になるかは言わずもがなご存じだろう。他に頼れる金融機関と言えば、ドラマティック・エデンが経営している銀行があるが、その取り立てはむしろギャングより酷い。


「……そういえば前のバイト先の先輩が、SNSでいいバイトがあるって言ってた」

「なにそれ?」

「えーと、確かコレだ。面接不要。車1台あれば誰でもできる。簡単な宅配バイトってやつ」

「報酬は即日支給!? え、何このバイト!!」


「ベティ、今現金いくら持ってる?」

「え、これしかないよ?」

「……俺の手持ちと合わせれば、ギリ、レンタカー借りれるか。家賃とか光熱費を半年は払えるぐらいの報酬だし、他の人がやる前に急いで引き受けないと!!」

「そうだね。急ごう急ごう!! 終わったら、お祝いに高いお肉食べよ!!」


 真っ暗で散らかった部屋を後にして、指示された待ち合わせ場所へと急ぐ。道中でレンタカーショップに寄って、廃車寸前のコンパクトカーを借りる。型落ち品で傷も汚れも目立つにもかかわらず、2人の所持金のほとんどが消えた。


「……これに失敗したら、ホームレスになるか体売るしかないんだ!!」

「うん……。絶対成功させないとね……!!」


 もちろん、体を売るというのは意味でもあるが、すくなくともポールにも売る体があるということでもある。そして彼にはその後ろ向きな覚悟があった。


「SNSで応募してきたのはお前たちか……。ずいぶん間抜けそうな顔をしてるが、本当に大丈夫なのか?」

「まぁそう言うなよ。どうせ囮が働いてくれるんだから、どんなポンコツだって失敗しようがないさ」


 集合場所に居たのは、年を食った偉そうな男と鋭い目つきが特徴のチンピラ風の男だった。チンピラ風の男はポールたちが乗ってきた小型車を見て怪訝な視線を向けるが、少なくともは出来そうだと自分を納得させている。


 トゴメナ地区の中でも特に人通りが少なく、とあるギャングのアジトに近いとうわさされている路地裏で、2人の男からパンパンにつまったリュックを受け取る。


「中身は見るなよ? これを指定した場所まで届けろ。いちおう、ノゴ地区の地図を渡しておく。この赤い丸の家にいるジョン・スミスという男を訪ねろ。必ず手渡しにすること。それとジョンから別な荷物を受け取れ」

「ジョンから受け取った荷物はガニムン駅のコインロッカーに入れること。どこに入れてもいいけど、そのカギをこの封筒に入れて、すぐそこの民家のポストに投函しなさい」


「ちょ、ちょっと待って下さい。覚えきれないのでメモを取りたいんですけど……」

「ダメだ。メモの類は残すな。スマホのメモも禁止だ」


 目つきの鋭い男がさらに厳しい目つきへと変わり、2人を見つめる。おもわず身をすくませると、無精ひげを生やした偉そうな男が懐から手帳を取り出し何かを書き始めた。ページを破って紙切れを折りたたむと、そっとポールの胸ポケットにしまう。


「変な間違いを起こされるのは困るからな。バカでもわかるように簡単なメモをあげるよ」

「……いいんすか?」


 2人を睨んでいた男が驚いたように尋ねる。

 その答えと言わんばかりに、メモを渡した男は偉そうに鼻で笑った。


「リスクヘッジは大事だが、わざわざ囮まで用意したんだ。問題ないだろう」

「まぁ確かに」


 ひとしきり説明を終えると、2人の男は路地裏の奥へと消えていく。それはつまり、彼らがであるかを示すことでもあった。


「やっぱり、【スプルースタウロス】の人ってことかな」

「ベティ、詮索はやめよう。俺たちはただ荷物運びの仕事を引き受けただけだ。中身も見てないし、渡す相手が誰かも知らないし、彼らが誰であるかも知らない」

「う、うん。そうだよね。私たちは何も知らない……」


 自分たちをごまかすように言い聞かせるが、気の抜けた顔はどこに行ったか、脂汗を垂らしながら車へと乗り込んだ。彼らが抱いていた覚悟とやらは、こういう事態を想定していなかったらしい。

 助手席に乗り込んだベティが貰った地図を広げて道案内を始める。狭苦しく埃っぽい車内では、どうにも窮屈そうであるが、おっかなびっくり運転を始めた。


 深夜ということで、どの車も自分勝手に運転している。軽い信号無視は当たり前で、大通りでは50kmもオーバーした速度で走る車もあれば、細いグネグネ道でドリフトを楽しんでいるバカたちも居る。


 助手席で縮こまる彼女は、後ろの座席に置いたリュックに向けられており、ポールが道を聞くたびに慌てて地図を見ながら曖昧に答えていた。彼自身も運転に集中できておらず、何度も急ブレーキや急発進を繰り返し、そのたびに狭い車内に体をぶつけていた。


「ポール、私たち、なんでこんなことになったんだろう……」

「俺たちは運が悪かったんだよ……。それなのに、金持ちになりたいなんて大それた夢を持ってしまったからこんなことになったんだ……」

「……私はお城に住みたいなんて言ってない!! ただ普通の暮らしがしたいだけなの」

「わかってるさ!! でも、この国じゃ、それは大きな夢だよ。身に余る大きな夢なんだ……」


 ブツブツと腐りきった社会への呪詛が小さな車の中に降り積もる。埃まみれの座席の上に恨み言がのしかかり、さきほどよりも車内が息苦しく感じた。


 ポールの頭の中にはさきほどの2人がグルグルと居座っている。若い男の方は随分と高級そうなスーツを着こなしており、年を食った偉そう男も、ラフな格好でこそあるもののブランド物のジーンズに高級な腕時計をつけていた。


 それだけじゃない。なんてことないように渡してきたメモ紙も随分と上質な手触りであり、ひいてはあの手帳の高級さを示している。たかが手帳にそこまで金を掛けるというのは、つまりはそれだけの余裕があるということだ。


「……ギャングって儲かるのかな」

「ポール? 何を言ってるの!?」

「ただ疑問に思っただけさ。俺たちみたいにまっとうなバイトをしていても簡単に切り捨てられて、こんなに苦しい思いをしてるのに、ああいうクズみたいな連中が稼いでるのかと思うとさ……」


 そのクズから仕事を貰って、ビクビク顔色をうかがいながらパシリをしている彼らは、さしずめ羽虫といったところだろうか。


「もしあなたがそっちに行くって言うなら、私も連れて行ってね?」

「ありがとう、ベティ。愛してるよ」

「私もよ」


 後ろに積んだ爆弾のような荷物を忘れるように彼らは手を繋ぐ。もうそろそろガニムン地区を抜けて、ノゴ地区へと到着するといったところで渋滞へとぶつかってしまった。


「こんな時間に渋滞……?」

「ねぇ、ノゴランドの観覧車が見えるよ。いつか行ってみたいね……」


 ノゴ地区にある巨大なテーマパーク【ノゴランド】

 当然、ドラマティック・エデンが関わっているテーマパークではあるが、実はその経営者はドラマティック・エデンのメンバーではない。人の出入りが多いため、後ろ暗い犯罪が盛んな場所でもあるが、定期的に薬物の取り締まりや、違法な物品の取引を摘発している。


 無法国家ラメカールとは思えないほどに、マトモな場所である。


「事故でも起きてるのかな?」

「時間、大丈夫だよね?」


 車のナビに映る時間を見る。が、思い切り時間がズレていて当てにならなかった。

 ようやく渋滞の先頭までたどり着くと、『検問実施中』の看板と、2人の警官が立っていた。さらに奥には赤い車が止まっており、運転席にもう1人警官が待機している。奇妙なことに運転席の男は警察の制服を着ていなかった。


 小太りの男がやってきて、運転席の窓を開けるように指示をする。身分証を確認しながら雑談をしていると、もう1人の警官がやってきて、ジロジロと車の中を見る。後ろのバッグを発見したのか、小太りの警官に何かを囁くと、荷物検査を始めると言い出した。


 2人の心音が狭い車内で鳴り響く。もう逃げようがない。


「おい、2人とも。ヤツらから連絡があった。検問は終わりだ。この地図のおんぼろアパートで、薬物中毒者ジャンキーのフリをしろって」

「OK。悪いねお2人さん、協力どうも。行っていいぞ」


 とたんに興味を失って彼らが離れていく。一命をとりとめ深い息を吐いた。それはポールかベティか。あるいは両方か。高鳴る心臓を押さえつけながら、検問を抜けてノゴ地区のジョン・スミスへと会いに行く。


 そこからは打って変わって順調に事が進んだ。まるで凪の海を進むかのように、指定された家まで行って、中身の分からない荷物を渡し、代わりの物を受け取る。メモを見返しながら適当なコインロッカーにソレをしまい込んで、逃げるように駅を後にした。


 最初の集合場所から近い民家のポストに鍵入り封筒を投函すると、ポストの上に厚みのある封筒が置いてあるのが目についた。それが報酬であると察して、ちらりと中身を見てから懐にしまう。


「すごい大金……。こんなの見たことない」

「金持ちの第一歩か。破滅への道か……。いや、今は考えるのはよそう」


 一度踏み込んだ世界。

 これからどうするのだろうという漠然とした不安を抱えながら、2人は銀行とレンタカーショップへと車を走らせていく。

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