第3話 来訪者の章2

 屋敷に入ってすぐの小部屋で荷解きしていたりんは、己を呼ぶ声に振り返った。廊下との仕切り代わりに立てられた無地の屏風の隙間から、夕餉の支度が整ったから付いてこい、と次丸が顎をしゃくる。


 薄暗い廊下を軋ませる次丸の後ろに、りんが続く。


「ご主人様自らの案内とは、恐れ入ります」

「普段は通いの手伝いが居るが、この時期は収穫と祭の準備でどの家も忙しいから、暫く暇を与えているんだ。もてなしは期待しないでくれ」

「とんでもございません。部屋をご用意いただけただけでも、ありがたいことでございます。ですが、人手がないとなると、お母君や奥方様はさぞ大変でございましょう。よろしければ、お手伝いなりなんなりとお申し付けくださいませ……ああいけない、お手伝いどころか、挨拶も済ませておりませんでした。皆様にお目通り叶いませんでしょうか」


 次丸が襖の前で足を止めた。田舎ではまだ珍しいそれに手をかけ、りんをじろりと睨む。


「『お屋敷』と言われる程広くもない。それと、挨拶は不要だ。父も母も、もうおらん。妻も居ない。二年前、都に行くという流れの男と村を出て行った」

「知らぬこととはいえ、失礼いたしました。どうか、寛大な心でお許し願えませんでしょうか」

「構わん、どうせ村中が知っていることだ」


 ガラリと開けた襖の先は客間となっていた。

 上に菱欄間が設けられた戸の部屋側には唐紙が貼られ、一面に描かれた見事な松の絵は、墨一色で描かれたとは思えない程に色彩を感じさせた。部屋の奥に立てられた屏風にも同じ筆使いで匂い立つような睡蓮が描かれており、その前に膳が二客用意されている。

 広さこそ左程ではないものの、その様は、さながら都の大商家のようだった。

 りんは促されるまま膳の前に座り、驚いたように部屋を見回した。


「素晴らしいお部屋でございますね。特に、その屏風の美しい事。どなたの作か存じませんが、今にも香りが漂って来そうです。それに、このような豪勢な食事を用意して頂けるとは……誠に、ありがたいことでございます」


 その言葉に、次丸は苦笑する。


「部屋は俺の趣味だ。都風のものが好きでな。それと、その絵は手慰みに俺が描いたものだ。褒められて悪い気はしないが、大したものじゃない。まあ、村長の家になど生まれなければ、都で絵の修行でもしてみたかったが。だが、食い物はそうもいかん。ただの田舎飯にそんなに畏まられると、却って嫌味だ」

「とんでもございません。一助様の処でも、こんなに立派なお膳は頂きませんでした……いえ、失言でございます。お忘れ下さい」


 大げさに口を押さえたりんに、次丸が小さく笑う。


「うちは、毎年田畑が良く実る。奥ノ村に比べたら、飯だって少しはまともな物が食えるさ」

「豊かな村に、立派な村長様。こちらの村は恵まれておりますね。しかし、手伝いの方もいらっしゃらないとなれば、もしや、こちらの食事は次丸様がご用意して下さったのでしょうか?」


 途端に、次丸が顔を顰める。


「……娘が用意した」

「左様でございますか。お嬢様は料理上手でいらっしゃるのですね。ですが、膳は次丸様とわたくしの分しか無いようですが……」

「あまり人前に出ないように言ってある。少々問題があるのでな。それと、娘と言っても血が繋がっている訳じゃない。村に来た人買いが連れていた子供を買い取った」

「次丸様は、慈悲深くていらっしゃる。中々出来る事ではございません」

「妻はその人買いと出て行った」

「ああ、重ね重ね申し訳ございません。先程から失礼ばかりで」


 りんが慌てて詫びる。


「随分お喋りが好きなようだが、それで身を滅ぼさんよう気を付けた方がいいぞ」


 そう言ったっきり、次丸は口を閉ざした。

 暫くは互いに黙々と箸を進め、殆ど同時に食事を終えると、懲りた様子もなくりんが口を開いた。


「大変美味しゅうございました。出来れば、お嬢様の名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか? 美味しい食事を作って頂いた方の名を知りたいのです」


 次丸は半ば呆れたように、溜息交じりの口調でぶっきらぼうに答えた。


梔子くちなし

「梔子様、ですか。美しい名ですね。次丸様から梔子様に、わたくしが感謝していたとお伝え願えますか」


 りんは深々と一礼し客間を辞した。その背に向けた次丸の苛立たし気な目には、押し込めきれない感情が混じっている。


(……いい加減に諦めろ。村が俺の全てだ、それでいいと決めただろう)


 酷く疲れた仕草で眉間を揉み、次丸は大きく息を吐いた。


(そうとも。ここを何処よりも豊かにするまでどこにも行かん。兄貴だって、そう望んでいた筈だ)

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