第2話 来訪者の章 1

 その人物が中ノ村を訪れたのは、実りの季節を迎え、漸く村中の田畑がすべての収穫を終えた夕暮れのことだった。


 数日後に迫った収穫祭の準備に、村の端では男達の手によって櫓が組まれ、女達は祭りに使われる太縄を飾りつける為の拵え作りに精を出している。子供等がその周りを駆け回り、悪戯でもしたのか時折大人達に叱られている声が響く。

 毎年繰り返される、賑やかで、ありふれた農村の風景。


 その風景に、異質なものが一吹き。


「恐れ入ります。わたくし、こちら様に宛てた文を持って参ったものでございます。村長の次丸つぎまる様はご在宅でしょうか?」


 村の中心に建つ、丈高い垣に囲われた屋敷に、男とも女ともつかない風のような声が響く。

 寸の間。

 屋敷の奥から、がっしりとした体格の男が土間に現れた。


「俺が次丸だが、あんた、誰だね」

「しがない旅のものでございます」


 丁寧に頭を下げる旅人の姿に、次丸の眉根が寄る。突然の来訪者は、声だけでなく、何とも掴み処のない人物だった。


 しっかりと撫でつけうなじで纏められた髪は、真っ黒で、そう歳はいっていないのだろうと思われた。

 ように妙につるりとした顔に薄っすらと笑みを浮かべ、ただでさえ細い目と薄い唇を三日月に歪めたその表情は、特徴の乏しい顔立ちに反して、次丸の心を妙にざわつかせる。

 凹凸の乏しいひょろりとした身体に纏う旅装束で、なんとか男だと判断はつくものの、首回りや、筒袖や小袴から覗く細い手足の指先近くまでしっかりと布が巻かれ、顔以外の地の肌は全く見えない。その念入りぶりに、装束の下全てがそうなっていることが容易に想像出来た。

 そして、漂うにおい。不快という程ではないものの、特徴的なにおいが、来訪者を中心にじわりと空気に溶けていた。


 総じて、「胡乱」を絵にしたような人物である。


 無遠慮にじろじろと眺める次丸の視線を気にする風もなく、旅人は懐に細い手を差し入れ、一通の文を取り出した。


「先日よりお世話になっております奥ノ村で、村長の一助いちすけ様から、こちらの村長様宛にお預かりいたしました」


 次丸に差しだされた文の表書きの筆跡は、確かに隣村の村長、一助のものに間違いない。

 次丸の眉間に寄った皺が更に深くなる。


 奥ノ村から先は、土地の痩せた貧しい集落が点在するだけで、さらにその先は山脈が連なる袋小路のような地形になっている。昔からごく一部の限られた者や山の者だけが行き来する、まともな道などあってないような山々で、何かしら理由がない限りは山越えをする旅人など滅多にいない。

 必然、奥ノ村へ行く者の殆どは、中ノ村とその手前に位置する先ノ村を貫く街道を通り、再び中ノ村を通って先ノ村の方へと帰っていくことになる。結局、奥ノ村に行くにしても帰るにしても一度は中ノ村を通る筈なのだ。

 誰もが顔見知りの田舎のこと、余所者が通ればあっという間に噂になる。こんな奇妙な出で立ちの者なら尚更だ。だがここ数日の間、次丸の耳にこんな旅人が通ったという話は聞こえて来てはいなかった。


「あんた、どうやって奥ノ村に行ったんだ」


 声に含まれた険に気付いているのかいないのか、旅人は飄々と、


「向こうの山を越えて参りました。わたくしは野山から薬効のある植物などを採取して、自分で薬を拵え乍ら旅をしております。あの山は質の良い薬草が多うございますね」


 見れば、その来訪者は、よく薬屋が携えている柳行李を背負っている。

 成程、漂ってくるにおいは自身で拵えているという薬のものかと得心し、次丸は肩の力を抜いた。


「それはご苦労でしたな。だが、何時までこちらに居られるつもりか? 悪いが、見ての通り収穫期だ、この後に祭りも控えていて、皆忙しい。それに、その身体中に巻いた布は何の為なんだ? まさか、見られたくないものでも隠しているんじゃなかろうな」

「申し訳ございません。わたくしの肌は生まれつき特殊でして……そのまま晒す方がお目汚しになってしまうので、こうして隠しているのでございます。決して人様にうつるものではございませんが、そう言ったわけでございますので、どうかご容赦くださいませ」


 腹を立てた風も無くそう言われれば、流石に次丸も気まずく感じたらしく、「失礼した」と小さく詫びる。


「いえ、村長様であれば、当然の心配でございましょう。一助様も始めは同じことをおっしゃられました。真心込めてご説明させていただいたところ、わたくしの事情を酌んで下さり、今ではありがたいことに、文をお預かり出来る程の信用を頂けたのでございます」

「…………」


 奥ノ村でも収穫の時期であり、一助も簡単には村を離れられないのだろう。文を預けられる人物の登場は願ったりだろうことは、次丸にも理解が出来る。だが、この来訪者の真意は解らない。果たして、純粋な親切心で手紙を届けに来たのだろうか。

 次丸の表情から察したのか、来訪者が目的を口にした。


「実は、次丸様にご相談がございまして……こちらの中ノ村は、とても豊かだと聞き及んでおります。その、わたくし、路銀が乏しくて。出来ましたら、収穫祭で商いをさせていただけないかと」


 次丸は渋い顔で唸った。

 余所者、しかも、自作の薬などという胡散臭い物を売る者をハレの日に招くのは躊躇われた。村の安寧を護るべき立場で、軽々しく是と言うことは出来ない。それを見越したように、来訪者が懇願する。


「一助様からお預かりした文に、一筆添えて頂いております。どうか、ご検討願えませんでしょうか」


 手の中の文を、次丸は改めて眺めた。何度か文と来訪者に交互に目を遣り、やがて鼻から大きく息を吐くと文を開いた。


 『以前より打診されている件、喜んでお受けする』


 そう始まる文面には、確かに来訪者の紹介も添えられている。

 贖った薬で村の子供の熱病があっという間に治ったこと、腰痛でながらく寝付いていた母も床上げし、妻も娘も胸を撫で下ろしたことなどが書かれ、この恩人をどうか丁重に扱って欲しい、と結ばれている。


 一助からの色好い返答に気を良くした次丸は、先程と寸分違わぬ姿勢で土間に立つ来訪者に頷いた。


「いいだろう。あんたの商いを許可しよう」

「ありがとうございます。ですが、よろしいのでしょうか?」


 村人達に相談をしなくても良いのかと含ませる来訪者に、次丸はあっさりと答えた。


「ここは村だ。誰も文句など言わん。御覧の通り、宿屋等も無い辺鄙な村だ、家で寝泊まりするといい。ただし、俺は余所者は好まん。少しでも厄介事を起こしたら、即座に出て行って貰う」

「ありがとうございます。よくよく肝に銘じておきます」

「では、少々待て。部屋を用意しよう……あんた、名は?」

「これは名乗りもせず、大変失礼いたしました。わたくしは『クスノキの』と申します。りん、とお呼び下さいませ」


 次丸の片眉が上がる。深々と頭を下げたりんから漂ってきたのは、強い樟脳のにおいだった。

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