第4話 梔子の章1

 翌日、朝食の刻限。


 次丸が声を掛けると、既に身支度を整えたりんは雨戸を開け放ち、庭に目を遣っていた。何時からそうしていたのか、綺麗に畳まれた寝具とりんの荷は部屋の隅に寄せられ、この部屋で昨夜誰かが寝ていた気配など微塵も感じられない。 


「随分と早起きだな。眠れなかったのか」


 屋敷の主に、りんがにこやかに首を振る。


「夜明け前から山に行くこともよくあることですし、寧ろ、ご用意いただいた寝具があまりにも心地よくて、寝過ごした位でございます。それにしても、見事なイチイの木でございますね。随分と長生なようですが、あんなに沢山の実をつけて……」


 倉の手前に生えた大きなイチイが、時折吹く風に枝を揺らしている。


「ひい祖父さんが生きていた頃には既にここに生えていたらしいが、詳しいことは知らん。興味もない。それより、飯だ」


 昨日と同じ座敷には、やはり昨日と同じ位置に、二人分の膳が置かれていた。汁物はまだ湯気を立て、焼き魚は香ばしい匂いを漂わせている。

 それぞれ膳の前に腰を落ち着け、菜に箸を伸ばす。


「あんた、今日はどうするつもりだ」

「村の皆様のお話を聞いて回りたいと思っております。体の不調があれば、症状にあわせた薬を拵えておきたいので」


 次丸は箸を止め、りんに念を押した。


「皆、忙しいんだ。余計な話は慎んでくれ」

「勿論でございます。決して皆様の邪魔にならないとお約束致します。ところで、お庭のイチイですが、もっと近くで拝見してもよろしいでしょうか? 出来れば、葉を少々お分けいただきたいのですが」

「あれには毒があるだろう」


 訝しむ次丸にりんは頷き、


「どんな薬草も過ぎれば毒でございます。毒草に見えても、配分さえ間違わなければ良い薬になるのものです」

「分かった分かった、好きなだけ持っていけ。但し、倉にはあまり近寄るな」

「ありがとうございます」

「それと、夕飯は昨日と同じ刻限だ。声は掛けんから、勝手にここに来い」

「承知いたしました」


 暫く、互いに黙々と箸を動かす。やがて食事を終えたりんが客間を下がると、


「梔子、膳を下げろ」


 次丸の声に、隣室から青白い顔をした娘が現れた。


「俺は部屋に戻る。読み物をするから、今日は俺の部屋の掃除は要らん」


 黙って頷く梔子に目を遣る事も無く、次丸は客間を後にした。



 朝食の片づけを終えた梔子は、水を汲みに庭に出てすぐに違和感を覚えた。イチイの前に、昨日までは無かった木が植えられていたのだ。 

 突然その木が動き、こちら側に大きな実を向けた。梔子は身体を強張らせ、息を呑んだ。

 よく見れば、それは木と見紛う程ひょろりとした人影で、実に見えたのはその人物の頭部だった。見覚えの無い顔立ちに、昨夜から滞在している客人であることに、ようやく思い至る。慌てて屋敷へ隠れようと客人に背を向けた梔子の背を、秋風のような声が絡めとる。


「お早うございます。貴女様は、もしかして梔子様ではございませんか?」


 今更隠れることも出来ず、梔子はおずおずと振り返り頷いた。客人は親し気に梔子に話しかける。


「わたくしは、昨夜からお世話になっております『りん』と申します。急な滞在にも関わらず、食事や部屋の用意をして頂き、お手数をお掛け致しました。お食事、大変に美味しゅうございました。ありがとうございます」


 慇懃すぎる口調で述べられた礼に戸惑いながら、梔子は会釈した。

 りん、と名乗った客人は、見れば見るほどおかしな人物だった。

 ひょろりとした体と不思議な響きの声だけでは、性別もよく判らない。りんを中心に広がる、嗅ぎ憶えのある独特の匂いも、衣類から覗く手足に巻かれた布も、常に浮かべている薄ら笑いも何処か作り物めいて、からくり人形を彷彿とさせる。


(この人、なんだかこわい……)


 先の見えないうろのような笑い顔に、梔子の身が固くなる。それに構わず、りんは更に目と口を三日月にして話し続ける。


「梔子様は、お体の不調はございませんか? わたくしは薬を売り歩いておりますので、よろしければ、おもてなしのお礼に一服いかがでしょうか? 我ながら、効能は中々でございますよ」


 梔子はりんの身体から漂う匂いに納得し、同時に安堵した。


(薬屋さんなんだ。それに案外、親切そう……もしかしたら、わたしの……)


 梔子はほんの一瞬眼を輝かせ、口を開きかけたが、すぐに顔を伏せた。力なく首を振る少女に、りんはゆっくりと近づき、片膝をついてその顔を覗き込んだ。


「……梔子様は、もしやお言葉が出ないのでございませんか?」


 驚き頷く梔子に、


「わたくしは医者ではございませんが、商い柄、多少の心得はございます。失礼いたします……」


 りんは、梔子に大きく口を開けさせ、喉を診た。次に、袖から除く少女の細い手首を軽くとり、見える範囲の手足や肌を診察していく。

 と。

 突然大声が響いた。


「何をしている!」


 梔子がびくりと肩を震わせ振り返ると、次丸が大股で近づいて来るところだった。

 りんは笑顔のまま、


「梔子様のお身体を診察させて頂いたのでございますが、わたくしは、何か問題を起こしてしまったのでしょうか?」


 次丸は寸の間鼻白み、すぐに顔を真っ赤にしてりんに怒鳴りつけた。


「親の許可も取らず、年端もいかない娘の身体に触れるとは何事だ! 梔子、お前もぼんやりしているんじゃない!」


 次丸は、青い顔で身体を硬直させる梔子の腕を掴み、乱暴に引っ張った。今にも掴みかかってきそうな次丸の剣幕に怯んだ様子も無く、りんは薄っすらとした笑みを浮かべたまま謝罪した。


「次丸様のおっしゃる通り、配慮が足らず申し訳ございませんでした。梔子様にも、怖い思いをさせてしまいましたでしょうか。お許し願えますか?」


 梔子は青い顔で頷いたが、まだ怒りが収まりきらない次丸は、りんを睨みつける。

 唐突にりんが問うた。


「梔子様は、お幾つでございますか?」


 その毒気のなさに、思わずといった風に次丸が、


「……十一になる筈だ。それがどうした」

「お歳の割に、身体が小さくていらっしゃいます。勿論、実のご両親に似た可能性もございますが、恐らく気のお力が弱っているせいで成長が遅いのだと思われます。気に力を付ける薬も商っておりますから、後程お試し下さいませ。勿論、お代など頂きません。おもてなし頂いたことへのほんのお礼でございます、他意は御座いません。ただ、お声は生まれ持った性質の様ですので、残念ですが、薬で治ることはないかと思われます。お役に立てず、申し訳ございません」


 次丸は溜息を吐き、直ぐに険しい顔をりんに向けた。


「あんたに悪気がない事は判った。今回は見逃すが、次回は無い」


 りんの返事を待たず、次丸は梔子の腕を掴んだまま、足音も荒く屋敷に消えていった。

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