第6話 次丸の章

 りんが次丸の屋敷に滞在して、二度目の日暮れ。


 この日の座敷には、膳が三客用意されていた。今更隠しても仕方がないと思ったのか、昨夜と同じ場所に次丸とりんの膳、少し離れて下座に梔子の膳が置かれている。

 既に膳の前に落ち着いている次丸に、りんは頭を下げた。


「今朝は、大変失礼いたしました」


 次丸は思いの外静かな口調で、


「もういい。俺も少し短慮だった。この話はもう止めだ」


 りんが用意された膳の前に座ると、次丸が箸に手を伸ばす。梔子もそれに倣い、食事を始めた。

 口のきけない梔子はともかく、次丸もただ黙々と食べ続ける。何処か張り詰めた空気を破ったのは、一足早く食事を終えたりんだった。


「梔子様は、不思議な話などはお好きでしょうか?」


 その言葉に梔子は箸を止め、不思議そうな目をりんに向けた。次丸も興味を惹かれたのか、それを咎める気配はない。


「あちらこちらと旅しておりますと、様々な話が耳に入って来るものでございます。よろしければ、どうかお食事の手を止めず、耳汚しにお付き合い下さいませ」


 そう前置きをし、りんは語り始めた。

 都の女性に流行りの遊びや物語、噂話。中ノ村から遠く離れた地の幽霊譚。旅芸人の話。ある里に春先にだけ訪れる美しい鳥。波間に現れる小島程もあるあやかしの影。

 りんの披露する話はどれもが面白く、次丸も梔子も目を輝かせ、すっかり聞き入っていた。とりわけ、都の話は次丸の好みに合っていたようで、時折身を乗りだし、話に相槌を打ったりと、いつもの不機嫌さはすっかり鳴りを潜めていた。

 気付けばそこそこ時間が経っていた。梔子は慌てて後片付けを始め、頭を下げ、座敷を下がる際には、名残惜しそうな顔をりんに向けていた。


 二人になった座敷で、次丸が感心したように、


「中々の語り上手だな。薬よりも、そっちで稼げそうだ」

「恐れ入ります。こういった話を幾つか知っておくと、存外商売の役に立つのです」

「成程な。では、俺も一つ話を加えてやろう。これは、この辺に古くから伝わる話だ」


 機嫌良く次丸が語り出す。

 それは、奥ノ村の先、りんが越えて来たという山に伝わる話だった。


 ――あの山には材木に向いた樹も生えているのだが、どの村でも切り出すことを禁じている。樹を傷付けると、龍の祟りがあると信じられているからだ。

 樹齢五百年を越えた古木は命の形が変化し、更に五百年を過ごし最初の満月を迎えると、龍となって空に飛び立ってゆく。収穫祭で使う太い縄は、その龍を模したものだ。

 村には、一際大きな楠が生えていた筈の場所に穴だけが残され、何処にも残骸が見当たらなかったとか、大きな杉を切り出した後、何日も続く大雨で大規模な山崩れが起きた上、その年の作物は全て枯れてしまったといった話が幾つも残っている。

 幼い頃からそんなのを聞かされて育つこの辺りの者は、山を恐れ、滅多に立ち入らない。日が暮れてから立ち入るなど以ての外で、仕方が無く入山する際には、決して樹々を傷付けない様に細心の注意を払うのだ――


「確かに山中には、立派な樹があちこちに見受けられました。どこも手付かずで疑問に思いましたが、お話を聞いて腑に落ちました」


 次丸が、話を聞き終え頷くりんを睨んだ。


「あんた、樹を傷付けたりはしなかったか?」

「とんでもございません! 確かに、少々葉や実を頂きましたが、木々に影響が出る程頂いたりはしておりません」


 慌てた様子で言い募るりんに、次丸は笑った。


「まあ、迷信深いこんな田舎ならいざ知らず、真面な大人が取り合うような話じゃあない。大方、山から子供達を遠ざける為の作り話といったところだろう。あの山は危険な場所が多いからな」


 成程、と、りんは頷いた。


「次丸様は、そのお話を信じていらっしゃらないのですね」

「……さあな」


 やや間を置いて、りんが再び次丸に尋ねた。


「次丸様は、都に行かれないのですか?」

「何だ、突然。何故そんなことを聞く?」


 次丸が何とも言えない目をりんに向ける。


「先日、都で絵の修行でもしてみたかったと仰ってました。こちらの部屋も、とても垢抜けていらっしゃる。旅暮らしの薬屋風情にも、才気が伝わってまいります」

「……単なる田舎者の憧れだ。本気で興味を持つほど若くも無い。それに、俺はこの村から離れないと決めている。そういう宿命なのだ」


 次丸は、りんの問いに答える己を不思議に思った。心を覗かれることを好まない己は、こんな質問をされたら、常なら癇癪を起すだろう。まさか、己はりんに気を許し始めているのだろうか。


「宿命、でございますか」


 りんは、次丸の答えに感心しているのか受け流しているのか、よく判らない顔をしている。次丸はその様子に安堵し、納得した。

 こいつがおかしな来訪者だから、己は正直に語れるのだ。器物のような見てくれで、ほんの数日もすれば目の前から居なくなる。木の洞に秘密を打ち明ける様なものだ。決して気を許した訳では無い。


 ――やりたかったことなど忘れろ。気を許すな。俺は、この村を豊かにする為だけに生きていくのだ。どうせ、それしか手に入れることは出来ないのだ。


 次丸は小さく頭を振った。


「おしゃべりは終いだ。俺はやることがある」

「これは、長々と申し訳ございません。部屋に下がらせて頂きます。興味深いお話、有難うございました」


 再びむっつりと顔を顰め、口を閉ざした次丸を気にする風もなく、りんは深々と頭を下げた。

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