分岐点

 この世界で魔力量が少ないというのは大きなハンディキャップだった。


 魔力は魔法の源だ。

 そして魔法を使えば身体能力を強化したり、虚空に火や風を生み出したり、無機物をドローンのように操作出来たりもする。


 魔法で身体強化をした同級生が素手で成獣の熊を倒した光景を見た事があるし、日常生活でも魔法が使えれば中世のような世界でも二十一世紀並みの快適さを手に入れる事が出来る。


 卓越した魔法の使い手は引く手数多であり、社会の様々な業種で高い報酬を受け取っている。

 そして何より、魔法は人だけが使えるものではない。


 ある種の獣、或いは魔力的変異を起こした魔獣。

 竜などの高位存在や聖霊の御使いたる聖威や、悪邪などの世界を害する存在である災威。


 この世界は地球のように、人類種が星の覇者を気取る事など出来はしないのだ。


 平穏な日々も平和な景色も、ある日突然終わるかもしれない。

 その時に戦う力の無い者は、無残に死ぬしかない。


 死の瞬間はとても身近に在る。

 だから、生きたいと願うなら、大切なものを守りたいと思うならば強くなるしかない。


―― どうすれば好きな人を守れるか。

―― どうすれば好きな人に相応しい男になれるのか。

 

 

 誰もがエリゼに手を伸ばす。

 俺よりも強大な者達が、美しい彼女の放つ光に群がって来る。


 弱いままでは届かない。

 弱いままではまた踏み潰される。


 だからずっと恐かった。

 だから俺は口をつぐみ続けた。

 

―― でもそれは嫌だった。


 力が欲しかった。


 大切なものを手に入れる強さを。

 前世呪いを振り払う強さを。


 この手にと願い続けた。

 

 ……。

 

 ……。


 汽笛の音。

 雑踏の音。

 そして俺の深呼吸の音。


 目を開けて自分の頬を叩いた。 


「行ってきます」

「体に気を付けるのよヨハン」

「兄さんがんばって!」


「ありがとう母さん、ノルマン」


「ヨハン、こいつを持って行け」


 父さんから一振りの短剣を渡された。


「俺が昔手に入れた魔剣だ。二百年物で属性は風。そこいらの魔獣なら瞬殺だぜ」


 鞘から抜くと、緑色の剣身から吹いた風が前髪を揺らした。


「ありがとう。壊さないようにする」


 もし売れば、衛兵である父さんの三年分の稼ぎと同じ位の値段が付くだろう。


「馬鹿野郎。剣を大事にしてお前が怪我したら本末転倒だろうが」

「わかった。うん、大切にする」


「ハリス様、リルトリルアーナ様。俺の息子をお願いします」

「はい、承りました」

「任せて頂戴」


 十二時を告げる時計の鐘が鳴る。

 あと十分で俺達の乗る汽車がやって来る。


「おーいヨハン!」

「デバソン。それにペーター」


「はぁ、はぁ、はぁ。フォルカーさんに聞いた。町を出るんだってな」

「水臭いな。見送り位させてくれよ」

「すまん」


「いや、謝るのはこっちの方だ。家の親父がすまねえ。お前をあんなに罵倒して殴りまでしたんだ。その息子がどの面下げてここに来たんだって話だが……」

「気にするなよデバソン。おじさん達がエリゼの事になると頭に血が昇るのは知ってるから。寧ろ課題をこなせなかった俺の方こそ申し訳なかった」

「ヨハン……、すまん……」


「でもヨハンが剣の修行か。てっきり錬金術師か商人になると思ってたよ。ほら、前から言ってたし」


 ペーターの言葉に苦笑した。

 そういえばずっと言っていたな、と。


「何か転機でもあったのかい?」

「良い師匠に巡り合えたんだ。それで俺に「最強になれる」と言ってくれたんだ」


「やあ初めまして。僕がヨハンの師【鏖風奇刃 ハリス・ローナ】だよ。よろしくね」

「「深紅こきくれないの剣魔!?」」


「ん? どうしたんだペーター、デバソン?」

「…………」


「ヨハン、お前昨日のA級昇格試験を見てないのかよ?」

「見てないけど」


 B〜S級の試験試合は一般公開されているので観戦可能だが、バイト先の退職の挨拶などで見に行く時間は無かった。


 ただA級昇格試験のようなプレミアムチケットを買う余裕は無いので、どっちにしろ行かなかっただろうなと思う。


「あ、あの! 僕は【ペーター・リック】と申します! 同盟軍第一騎士団団長【誓聖剣 ブラッドリー・リック】の息子です!」


 拳を握ったペーターがハリスの前に立った。


「僕を弟子にして下さい!!」

「ごめんね、君を弟子には取れない。それに僕はすぐこの町を出るんだ。何より、君のお父さんは許さないだろ?」


 ペーターの父がペーターを溺愛している事を俺達は知っていた。

 学校の実習で半日だけ外へ出る事も許さなかったのだ。


 というかハリス、よく知ってたな。


「父は必ず説得します!! ですからお願いです!!」

「そうだな……」


 ハリスの紅の眼が少しだけ細められた。


「っ!!」


 短剣を抜きペーターとハリスの間に突き出した。


「ヨハン?」


 何も起きなかった。

 強い潮の匂いがハリスから発せられ、剣を振る気配を嗅ぎ取ったのだが……。


「あっはっは! ごめんペーター君。今回は連れて行ってあげられない。けど、来年またこの町に来るからさ、その時にまだ気持ちが変わっていなかったら僕を訪ねて来るといい」

「…………はい」


 汽笛が響く。

 時計の針は十二時八分を指していた。

 

「さあヨハン、リリ、行こうか」

「はい」

「わかったわ」


 最後に手を振ってハリス、いや先生の背中を追った。


 これから俺は生まれ故郷のペシエを後にし、スス同盟国の外へ、果ての無い世界へと進んで行く。

 何時か再び故郷に戻り、エリゼの手を握る為に。


「必ず」


 改札で切符を出そうとした瞬間、背中に風の気配を感じた。

 視界の端に一瞬だけ深い青の洸、紺碧こんぺきの輝きが見えたような気がした。


 振り返る。


 父さんと母さんとノルマンとペーター。

 そして、笑みの形に顔を歪めたデバソン。


 あの形を知っている。

 よく見たものだ。

 魔法無しと蔑む奴らの顔に、前世で俺を蔑んだ奴らの顔に、よく在ったモノだ。


「デバソン」

「な、何だヨハン。忘れものか?」


 考える。

 デバソンは俺の何を見ていたのか。

 何を見て見下し、間抜けと思っていたのか。


 魔法無しの俺が剣を、戦う術を学ぶ愚かさか?

 無駄な努力で歳月を浪費する愚かさか?


「お、おい、何すんだよ!」


 胸倉を掴みデバソンの眼を覗き込む。

 怯える瞳の奥に、濁った光を見付けた。


 それは未来の俺ではなく、今の俺を見ていた。

 いや、俺と別の誰かを見ていた。


「なあデバソン。エリゼはどうした?」

「お、お前に会いたがっていたが親父が家から出るなとグエッ!?」

 

 右手でデバソンの喉を掴んだ。

 兄貴分と慕っていた幼馴染の眼はとてもよく見たモノだった。


 俺を下に見て利用し、騙し、嘲笑った者達と同じモノだった。


「先生」

「何だい?」


「エリゼは今どこにいますか?」

「ちょっと待ってね、探知魔法を使うから。おや?」


 デバソンが口の端からよだれを垂らし始めた。

 少し顔が赤黒くなったが、眼の中の濁った光は強いままだった。


「馬車で移動しているね。でもここは、トヴェール侯爵の屋敷の敷地内なんだけど」


「先生すいません。出発を遅らせてもらっていいですか?」

「もちろんだよ」


 デバソンを放り捨て駅の外へと走る。

 不快な嘲笑わらい声が後ろで響いていた。


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ソード・エッジ/ブレス・アズール 紺碧の剣士と八柱の聖霊 大根入道 @gakuha

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