最強のカノウセイ

 空と海だけの世界で、俺は水面の上に立っていた。

 目の前には一体の骸骨が浮かんでいる。

 

 偶に見る白昼夢だ。


『やられたな』


 耳障りな声で髑髏がしゃべる。


「だが右手を叩き折ってやった」


 取巻きを連れて襲い掛かって来たクルカス。

 魔法でボロボロにされたが、それでも一矢報いてやった。


『はっはっは、あれは良かった。敵には報いを与えろ。弱さに躊躇ためらわず、傷に怯えず、拳を前に突き出せ』

「解かってる」


『走る事が出来なくても歩ければいい。歩けなくても這う事が出来ればいい。そうすれば必ず』


 骸骨の姿が霞んでいく。

 暗闇に包まれた景色が開き、見慣れた病室の天井が見えた。


「……勝てる、か」


 宙へ伸ばした両手を握った。


っ!?」

「ヨハン! 目が覚めたの!」


 朽葉色の瞳と目が合った。


「エリゼ、とデバソンか」

「おう。派手にやったなヨハン」


 エリゼの兄で俺の一つ上の幼馴染。


「派手にやったのはクルカス達の方だ。魔導杖を持ち出して撃魔法の乱れ撃ちだ。警兵が来るのが遅れてたら死んでたよ」


 授業で使う訓練用ではない、対魔獣用の魔導杖を持ち出して来やがった。


「まあお前が無事で良かったよ。あのクソオーガ野郎もかなりエリゼに執着しているからな。下手したら殺してしまうんじゃないかと心配したぜ」

「デバソン!」


「……ごめん、なさい。私が」

「っとわりいエリゼ。すまんヨハン、口が滑った」


 顔を伏せたエリゼから小さく嗚咽が聞こえて来る。


「というか何でデバソン達が病院ここにいるんだよ?」

「ん、ああ。ヨハンを探すように頼まれてな。そしたら爆発音が聞こえるわ、警兵が走って行くわ。で行ってみたら案の定だ」

「誰が?」


 コンコンとノックの音が響くと同時、扉が開きティム先生が入って来た。


「災難だったねヨハン君。調子はどうだい?」

「大丈夫です」


「それは良かった。ああ、クルカス君達には後で罰を与えておくよ。加えてもう二度とこんな事はしないようにきつく言っておく。だから安心しなさい」

「ありがとうございます」


 ニコリとティム先生が笑った。

 この笑顔が好きだという女子は多いが、さて。


「おいヨハン、何をする積もりだ!」

「バイトに行く。少し痛むが問題無い」

「ダメだよヨハン!!」


 ベッドから降りようとするが、エリゼの小さい手がそれを許さない。


「ふむ」


 ティム先生の右手が俺の肩に触れた。


「魔法治療のおかげで傷は癒えてるようだね。無理をしなければ大丈夫だよ。さあエリゼ君」

「……」


 靴を履き、上着を羽織る。

 

「ああ、そうだヨハン君。少しだけいいかな?」

「何ですか?」


 小さな封書を渡された。


「ジックス工房からだよ」


 封書を開けて出て来た紙には不採用と書かれていた。


「残念だったよヨハン君。君の努力は知っているから、もしかしたらとは思っていたんだ」

「ヨハン、すまん、何て言ったらいいのか……」


「……これでおじさんとの約束は駄目になったか」


 ダーン武器商会の社長であり、エリゼ達の父である男は、魔法無しの俺がエリゼと付き合う事に強く反対していた。

 それはエリゼの母も同じであり、俺がエリゼと手を繋いでいる所を見られた時、頬を叩かれた事もあった。


 そして、この町一番の工房であるジックス工房に入る事が出来ればエリゼの周りをうろつく事は許してやると、あの男は言った。


「ヨハン君、ジックス工房に肩を並べる工房は外の世界に幾らでもあるんだ。それに僕が紹介出来る工房もあるからさ、心配はいらないよ」

「ありがとうございます、先生」


 拳を握り、ドアを開ける。


「ヨハン!!」

「悪いエリゼ。後で来る父さん達には上手く言っといてくれ」


 外へ出て、奥歯を噛んで、痛みを無視して、全力で走った。


* * *


 観光客で賑わう繁華街の端。

 赤煉瓦の古い建物の連なりの中に立つ木造五階建ての酒場。

 バイト先であるバレル亭の中に入ると、既に少なくない客がテーブルに着いていた。

 

「いらっしゃいませ! ってヨハンじゃない」

「おはようリリ。遅くなった」


 両手にジョッキを持って飛ぶ赤竜の子供、リリに挨拶して奥へ急ぐ。


「おはようございますマスター。申し訳ありません、遅れました」


 カウンターに立つ壮年の偉丈夫、元S級開拓者でバレル亭のマスター【峰舞の拳 フォルカー】が頷く。


 エプロンを着けて厨房に入る。

 顔見知りの店員達が忙しそうに動いている。


「あ、おはようヨハン」

「おはようハリス」


 一週間前に知り合った魔人の青年【鏖風奇刃おうふうきじん ハリス・ローナ】。

 凄腕の剣士だが開拓者ではなく、連れのリルトリルアーナ(リリの本名)と一緒にバレル亭に住み込んで働いている。


「今日は十二個の私部隊パーティーの予約が入っているよ」

「了解」


 予約帳をパラパラと捲る。

 殆どが三~八人の私部隊パーティーだったが、二十人超えが三つあった。


 開拓者はとても良く食べる。

 なので調理場はいつも鉄火場になるのだ。


「さて、がんばりますか」


 ……。


 ……。


「十番十一番追加! キーリン牛の炭焼きステーキ、大羽鴨の香草焼き、季節野菜の盛り合わせサラダ、パンとご飯大盛で」

「三番から催促! 兎に角何でいいからつまみ持って来いって!」


「ほら持ってけ! 一番にはそこのボールに入れた煎り豆持って行け!」

「了解!」


「大羽鴨の香草焼き出来たぞ! って置き場がねえ! おいヨハン!」

「何ですか!」


「こいつ十番に持って行け!」

「はい!」


 バカでかい鴨の丸焼きを乗せた、たらいより大きな木皿を持ち上げて、頭の上に乗せる。


 両手で支えながら慎重に素早く、二階への階段を駆け上がった。


「喧嘩売ってんのかテメエ!!」

「騒ぐな蛮人」


 筋骨隆々とした大男と、洒落た装いの女が睨み合っている。

 大男が大剣の納められた鞘を左手で掴むと、女の右手が腰の刀の柄頭に触れた。


 酒精に顔を赤らめていてもその物腰と気配から、二人が相当の使い手であると解かる。


「これだからホーフヒト王国人は困る。品性無く猿そのものではないか。こんな荒くれ者どもが開拓者を名乗るから、私まで野蛮に見られるのだ」


 抑揚無く紡がれる、玲瓏な女の言葉。

 蔑むものであっても、思わず浸ってしまいそうな華があった。


 だが向けられた当人の額には太い血管が浮かび上がり、大男の発した凄まじい殺気が吹き付けて来た。


「クーリッカ帝国の女狐が! 剣を抜け! 叩き斬ってやる!」

「いいだろう。A級試験の前に私が冥府に送ってやる」


 二人の右手が剣の柄を握った。

 彼らの仲間達は、止める気は無いようだ。


「はぁ、面倒な」


 視て、潮の匂いを嗅ぐ。


 大男と女の刃が抜き放たれるより先に、俺の一歩がホールの中を駆けた。


 背後で二つの風切り音が鳴った。


「な、何だ?」

「これは?」


 もう一度二人の間をすり抜けて、十番テーブルの上にある空になった大皿を右手に持ち、代わりに左手で頭の上の大皿を置いた。


「お待たせしました大羽鴨の香草焼きです」


 テーブルに置いた瞬間、大羽鴨にXの線が現れ、ずり落ちた肉がテーブルの上に転がる。


 大男と女の刃がお互いを斬る前に、頭の上の鴨を斬らせたのだ。

 また肉を斬る最中に大皿を動かして刃の軌跡をずらし、最後は空振りになるように小細工もした。

 

「坊主、お前……」

「この店では喧嘩、殺し合いはご法度です。それを破った場合、すぐに開拓者協会本部へ通報します」


「お、おう」

「っ……」


 女は刀を鞘に納め、乱暴に椅子に腰を下ろした。

 男も椅子に座り、手掴みで肉を取って口の中へ入れた。


「美味い。悪かったな騒がせちまって」

「いえ。こちらこそ出過ぎた真似でした」

 

「ついでだ。酒も持って来てくれないか? ペシエのワインは楽しみにしてたんだ」

「はい、喜んで」


* * *


 嵐のような営業時間が終わった。

 銘々が帰り支度を始め、俺もエプロンを置いて店の外に出た。


 火晶石の街灯が人通りの無い石畳を照らす。


 少し歩いた先で、人影が闇の中から現れた。


「ハリス」

「お疲れ様ヨハン。実に素晴らしかった」


「何の事だ?」

「二階での仲裁の件だよ。いやあ、久しぶりにゾクゾクしたねえ」


 陰の欠片も無い快活な笑いだった。


「ヨハンって確か小学校の五年生だよね。進路はどうするの?」


 溜息が出た。


「どっかの工房に入って錬金術師を目指す。駄目なら商人」

「そっか」


 ハリスの頷く様が何故か癇に障る。


「それはヨハンの夢?」

「何?」


「いや、だからそれはヨハン自身の夢かって話」

「そうだよ。俺自身の夢だよ!」


 ハリスを睨む。

 ああ、剣を持っていなくてよかった。

 

「嘘だね。それはエリゼの為のものだ」


 切れた。

 踏み込み、握り込んだ拳を放つ。

 全力の、最悪の気分の、会心の一撃だった。


「いや、正確にはダーン武器商会の社長さんの意向かな」

「っ、お前!」


 俺の拳打は、ハリスの右手の人差し指一本に止められた。


 魔法無しの人間ざっしゅでも、俺の力は大人の土鬼人プレオーガの四分の三程度はあった。

 

 人種の坩堝たるこの町では、様々な種族が交じり合う。

 だからはっきりと血に現れなくても、先祖の誰かの一滴に鬼人オーガ土人ドワーフ獣人ビースターのものがあったかもしれない。


「黄金の才と呼ばれるライムントとセツナを凌いだ君の才能かのうせいを、僕は惜しいと思う」


 右回し蹴りも躱された。

 動きが全く見えなかった。


「僕と来ないかヨハン。僕なら君に最強となる為の切っ掛けをあげられる」

「切っ掛けだと? 何だそれは。俺を合成獣キメラにでもしようってんのか」


「プッ、クハッハッハ!! そんなチープな事はしないさ! プ、クク、にしても合成獣キメラ合成獣キメラか。ヨハンにとってはそれが『強い存在もの』なのかい?」

 

 少なくとも開拓者で二人、合成獣キメラ手術を受けてS級まで成り上がった者達がいる。

 武勇伝やゴシップでは彼らも昔、俺程じゃないが魔力量が少なかったらしい。


「いやあ笑った笑った。僕がヨハンにあげるのは剣の技だよ」

「……ばからしい」


「まあ見ていたまえ。そうだな、あの雲がいいだろう」


 見上げれば白い月を隠そうとする、雲の陰があった。


 ハリスが亜空間の蔵庫から剣を出し、抜いた。

 闇の中に輝く鋼色の剣身。

 潮の匂いは薄く、魔剣ではないと解かる。


「都市結界に悪さをすると捕まるぞ」


 現代魔導学が生み出した民の傘たる都市結界。

 都市全域を覆う巨大な魔導の結界であり、魔獣や災害から人々を守るものである。

 巨大な魔力炉から供給される膨大な魔力によって形成・維持されており、人の力で破れるものではない。


 ハリスの剣の腕が凄い事は知っている。

 だが、たかが剣士だ。


「大丈夫。しっかり見てなよ」


 っ!!

 鼻を激痛が襲った。

 

 これ、もしかして、とんでもない潮の匂い、か?


「五手乃剣・第二手」


 涙に滲む視界の先で、ハリスが剣を振り被った。


「針通撃」


 嵐のような圧を感じて目を瞑った。

 だが何も起きない。


 眼を開ける。

 石畳がはっきり見える。


 ハリスを見て、空を見上げた。


「雲が、切れている」


 白い月を真ん中に、その左右を、定規で引いた直線のように真っ二つになった雲が流れて行く。


「これが最強の剣技『五手乃剣』。君が手にする力だ」


 真実ほんとうに、ただの剣の技だった。

 そしてそれは確かに、俺の心を震わせた。


「改めて。一緒に来ないかヨハン?」


 差し出された右手を、両手で掴んだ。


「お願い、します!」

「うん! これからよろしくね!!」


 また視界が滲んでしまった。


「さて、最後にもう一つ見せてあげようか」

「?」


「いやね、都市結界程度をどうこう出来ないと思われるのはしゃくだからさ」


 ハリスが剣を構える。

 今度は切先が地を指した。


「これが五手乃剣の第四手。全ての魔を払い邪を清める究極の剣」


 潮の匂いが香る。

 これまで感じた事の無い、清く静謐せいひつな匂いだった。


清雷きよめいかづち


 ハリスの剣が走り、地より色の無い雷が昇り、雷轟が鳴り響いた。


―― そして都市結界が消失した。


「どうだい凄いだろ?」

「バ」


「バ?」

「馬鹿野郎―――――!!」


 大音量の警報が町に鳴り響く。


 マジで空襲警報。

  

 そして俺達は一晩中、町中を逃げ回る羽目になったのだった。

 


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