第5話

 置いていかれた後も一人でいつも通りの速さで歩いていた。出たのが早かっただけにいつもよりまだ早いくらいの時間についた。トモキはいたがオレを見ると走って逃げた。

 ムカつく、というところかもしれないが、自分の思いを自覚してしまった今となってはむしろかわいい。

「今日はいつも以上にトモキが逃げてるけど、いったい何をやったの?」

 それを目撃しながら教室に入ってきた、隣の席のモブAが聞いてきた。いや、この子は別にそんな名前ではない。

「ごめん、オレ、今までお前に失礼なことしてたと思う」

「は? 何が?」

「なんかモブAとか誰かが言ってたから、つい一緒になってそう言ってたけど、もう言わない」

「いまさらそれは別に……でもそれならそれで嬉しいよ」

 まあこれも言えてよかった。でも実際はこの男子は名前なんていうんだったかな。山下くんだったか。クラスメイトもみんな、よく見るとかわいいもんだな、ちっちゃくて。

「ところで僕の質問にも答えてくれよ、今日トモキどうしたの?」

「怒らせちゃったんだよ。どういえばいいのかな……ちょっと朝早くにあいつの家に行って、それで一緒に登校してたんだけど、途中でトモキをぎゅってしたら怒って置いてかれた」

「それだけで?」

「嫌がってたんだと思う。無理に前と同じように仲良くしようとしたからいけなかったんだ……。でも、オレのこと嫌いになったわけじゃない、とも言ってくれてたっけ……今はもうそうじゃなくなったかもしれないけど……」

 そう話すと、相手は両手を組んで考え込むような態度を見せ、真剣な顔でこう言った。

「ちょっとどんな風にそのぎゅってしたか、試してみてもいいか?」

「試しってどういうこと?」

「トモキが嫌がるようなことがあったのかも。例えば服のトゲが刺さるとか。やってみたらわかるんじゃないかと」

「ああ、なるほど。じゃあそこ立ってて」

 納得したオレは軽い気持ちで立ち上がり、手を広げて、その時のことをしっかり思い出しながら彼に近づこうとした。


「そこまでよっ!」

 大きな声がして、女子がその間に割って入った。

「おい、邪魔するなよ!」

 彼が叫んだ。

「うるさい、このドスケベ! 何を雪くんの身体に触ろうとしてるの!」

「そ、そんなこと……してねえし、よく見ろ、僕から近づいたんじゃないじゃん」

「そうだよ、オレからハグしようとしたんだよ」

 悪い気がして助け舟を出したがはねつけられた。

「だめだよ、そんなことしないで。はい、あんたは座ってなさい。ちょっと雪くんはこっちに来て」


 その女子、新木に手を引かれたらまた女子に囲まれた。やっぱりこのパターンになるのか……。振りほどくのは簡単なんだけど。

「雪くん、男子に近づくのやめなよ」

「なんでダメなの? 嫌がってなかったのに」

「そりゃ嫌がる男子がいるわけないよ、触りたくて仕方がないんだから」

「あんた男だった頃のこと思い出したりしないの? それとも、マジで性に目覚めてなかったの?」

 ずいぶんと乱暴な口調の女子もいる。ちょっと見た目も不良っぽくて怖い子だ。

「まだ中学生だからそういう子もいるでしょ」

「雪くんは天使なんだよ」

「天使だって? ぷぷっ、お前、そう言われて嬉しいのかよ」

「勝手に言われてるだけで、オレは嬉しいなんて言ってない!」

 つい熱くなって不良を睨むと、中学生女子にしては背の高いそいつはたじろいだ。もちろん、こちらの方がずっと大きい。

「火野さんはあっち行ってなよ」

 アラキが言って追い払った。火野はいつも孤高みたいな感じで隅っこの席でぼうっとしてたそがれてたり、あるいはどっかに行ってることが多いのだが、珍しく周りに興味を持って集まってきていた。しかし追い払われて不快そうに自分の席に戻った。その様子は少し気にはなったが、オレ自身がそれどころじゃない。


 どうしたらオレが慎みを持ってくれるのかという話になっていった。慎みって、オレは変なことはしていないはず。妙なことなんてひとかけらも考えていない。

「オレに化粧したり派手な格好にするのはお前らじゃん!」

「それはまあ……でもそれとこれとは別よ、男女で身体を触ったり触らせたらだめなのよ!」

「だから、それだったらオレからしたら、お前らに触られるのが一番困る……それが一番、戸惑うんだよ」

 そういうことになるのか、と女子も意表を突かれた思いで気がついたようだ。

「そうか、私たち、勘違いしてたんだね。ユキくんって外見が大人の女性だから、中身もそうなると思いこんでたけど、まだユキくんは男の子なんだね……」

 泣き出してしまう女子もいる。なぜか。

「ごめんね、雪くんの気持ちわかってなくて、私たち、ひどいことして……」

 むしろその反応の方に辟易する。

「全然気にしてないよ、オレが気にしなすぎてるからみんな今言ってくれてるんでしょ? 泣くようなことなんてないって」

「うん……ごめん……」

 そんなこと話してたら先生が教室に来たので解散した。


 休み時間に女子を代表してアラキ一人だけが来た。

「雪くんのこと、しばらくはそっとしておこうってことになったの」

「それは、まあありがたいけど」

「だけど、絶対に忘れないでほしいことがあって」真剣な目でこちらを見るので、こちらも見返した。「あえてきつい言い方になってしまうんだけど、男は怖いのよ、あなたに触ったり変なことしたくてたまらないって思ってるんだよ、だから絶対に自分の身体を守って!」

「へえ、オレより男について詳しいんだ」

「嫌味を言うのはやめて。真面目なの、それもあなたのことを本気で思って言ってるのよ」

「わかったよ……まあ覚えておくよ」

 アラキはこういうけど、同級生とか、子供に対しての警戒心はどうも持てそうにない。逆に、知らない大人は確かに怖い。街で寄ってくる人は男も女も関係なく怖い、って思うようになった。だからこそ、男は全員怖いなんて思ってたら気が持たないよ。


 放課後にスマホを見たら、トモキに送ったメッセージの返事が来てた。

「いや、俺も悪かったよ。でもあんまり外では会わないようにしよう」

 そこは妥協できないらしい。だが、オレは逆に光明を見た。外じゃなければいいってことだ! まるで屁理屈だが気にしないことにしよう。

 それでオレはトモキが帰るのを追っていって、あいつの家にまで来た。ちょっと震える手でチャイムを押すと、ムッとした顔でトモキが出てきた。

「遊ぼう」

「なんでだよ!」

 地団駄を踏んで怒っているみたいだ。

「俺がお前を避けてるんだってことくらいわかるだろ!」

「まあまあ」といってオレはスルッと家に入り、トモキの部屋まで来た。前はしょっちゅうこうして二人して遊んでたんだ。まあゲームするだけだけど。オレはこれからもそうして遊びたいだけだ。なんでダメなんだ?


 しかし待っていてもトモキはゲームを出してくれない。そわそわした様子で落ち着きがない。

「どうした? 何かやろうよ、カードゲームでもいいよ」

 そういってカバンを開けようとしたところで、トモキからやめてと言われた。じゃあ何がしたいんだ。

「俺はもうお前と一緒にいると良くないんだよ、お前は友達だ。そうだろ」

「そうだよ、何をいまさら」

 イライラしたように彼は部屋を歩き始めた。あるいは言う言葉を探すように。

「お前、身体大きくなったよな。俺の部屋に二人いたら狭いだろう」

「それがどうかした? オレは狭いとは思わないけど……そうか、邪魔ってことか」

「ああ、めんどくせえ、はっきり言ってやる、お前が気になって仕方ないんだよ、俺は! それも、友達としてじゃない、性の対象としてだ!」

「ひえっ……」

「友達をそういう目で見たくないんだよ、わかれよ、わかってくれ。わかるだろ、友達なら。なあ」

 女子たちからも言われていたことを思い出した。とはいうものの、やはりまともに受け止めることができない。だって、オレよりずいぶん小さいからだ。子供にしか見えないし、実際そうだろう、と。

 だから、オレは立ち上がった。立ち上がると、トモキを見下ろすようになった。それだけでちょっとビビってるのがおかしみを感じて、笑ってみせた。でもすぐに後悔した。これじゃまるで喧嘩だ。やめとけばよかった。

「この野郎、わからせてやろうか」

 トモキが激昂して、オレの胸ぐらを掴んだ。思ったよりもその力が強くて驚いた。よろめいて倒れてしまったのだ。トモキを下敷きにして。

 その拍子に、そんなことがあるのかという感じだが、口と口がくっついていた。偶然かどうかはわからない。ついでに胸も揉みしだかれていたがそれはまあいい。いや良くない。ファーストキスがトモキとだなんて……! いや、それもまだいい。むしろどうでもいい。しかし……。飛び退って距離を取ったが、ぺたんと尻もちをついた。

「お前、本気かよ!」

 オレが叫ぶとトモキは顔を真っ赤にしていた。この顔は、前も見たことがある。

「お前が挑発するから、つい頭に血が上ったんだ」

「頭じゃねえだろ! 血が上ったのは!」

 いかん、オレも何を言ってるんだ。おかしいぞ。あ、あ、やばい、なんかトモキが近づいてくる。オレは立ち上がれない、というか腰が抜けて動けない。血相を変えたあいつが近寄ってくるのを抑えることができない。手を伸ばして遮ろうとしたその両手を逆につかまれて、引き込まれた。

(まずいまずいまずい)

 考えるほどに身体は動かず、つかまれた腕の握り込んでいる指だけが固くなって開かない。またトモキにキスされた。いやだいやだ、どうしたらいいだろうか。

 答え。別に考えたわけではなく、とっさの動きで頭が働いた。つまりつまり頭突きをしたのだ。火花が散った、星が見えた。お互いが痛くて、しかし自由になったので、ふらふらのそのそ立ち上がりドアを開けた。トモキのやつは追ってはこなかった。家を脱出し、少し歩いたところで生えてた電柱にもたれて心を落ち着かせる。

 しかし逃げてよかったのだろうか、この結果を招いたのは自分だ。もっと、本当はやるべきことがあったのではないのか? 逃げるのを追ってを繰り返して、いざとなったら自分が逃げるのか。

「お姉さんどうしたの?」

 知らない男の声がかけられた。これには返事をすることもなく、その場を逃げ出した。

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