第三章 書店での駆け引き

 谷本はすごすごと日本料理亭「はま」から引き揚げていった。刺殺との報道があったので、てっきり刃物だと思っていたが、実際の凶器は尖った鉄パイプだったようだ。刃物ですらない。


 そもそも尖った鉄パイプとは何なのか? 手頃な鉄パイプ自体そんなにたくさん転がっているものでもないのに、尖った鉄パイプなどというものは存在するのか? 普通に包丁で殺しておいてくれれば良かったのに。谷本の脳内には不謹慎な愚痴が渦巻いた。


 村を適当に散策していると、前回訪れたときよりも若干の活気を感じられた。この前は、道路を通っている車はほとんどなかったはずだが、今日はすでに何台も見かけている。しかも本来のんびりしている村に似合わず、急いでいる雰囲気さえある。殺人事件を追いかけるメディアがうろついているのだろう。


 それでも、シャッター街は相変わらずシャッター街のままであった。この村が珍しく全国ニュースで取り上げられたとしても、訪れる者が今以上に増えることはないのだ。浜波村は、徐々にさびれていき、いずれは消えゆく運命なのである。殺人事件が起きたところで、村にとっては一瞬のさざ波に過ぎない。


 シャッター街にある書店では、この前と同じ女性店員がカウンターで本を読んでいた。店内には今日も誰もいない。店員があまりにも暇そうなので、谷本は試しに事件について何か知っていることがないか訊いてみようと思った。


 書店の扉をスライドして中に入ると、店員は文庫本から顔を上げて谷本の顔を見た。眉をやや上げたので、どうやら以前にも訪れた客であることに気づいたようである。


 谷本はカウンターに片手を置いて話し掛けた。


「この村も大変なことになってしまいましたねぇ」


「記者の方ですか?」


 店員は文庫本に栞を挟みながら訊いた。カウンターに置かれた文庫本のタイトルは『殺戮にいたる病』だった。


「いえいえ、まったくそんな者ではありません」


 そう言って谷本は財布から名刺を取り出した。店員はじっくりと眺め始めた。その間に谷本は店員のエプロンに付いている名札を確認した。「風間」という名前らしい。


「食品会社の営業の方が何の用があるんでしょう?」


 風間は訝しげに訊いた。


「まぁまぁ、そう身構えないでください。私が事件が起こる前にも来ていたことを覚えていらっしゃいますよね。記者だったら事件よりも先に来ることはありませんから。私は、出張のついでではありますが、村のことをよく知りたくて訪れているんです」


 谷本は何とかして警戒を解こうとした。しかし、風間の目つきはどんどん鋭くなるばかりだった。


「でも、この前来店なさったのは八日前ですよね。遺体が発見されたのは昨日ですけど、金宮さんが亡くなられたのは十日から六日前らしいですから、あなたが事件と関係がないとも言えないと思うのですが」


 記者の疑いは晴れたが、今度は犯人として疑っているらしい。あくまでも本気ではなく、確認として尋ねているような口ぶりではあったが。そもそも、なぜ彼女は被害者の死亡日を知っているのだろうか。訊いて確かめてみたいが、それはもう少し話しやすい流れになってからでないといけないだろう。


 谷本は咳払いをした。


「ともかく、村のことをもっとよく知りたいんです。実は、金宮さんの息子さんと取引をしているんですよ。だから、何か金宮さんについて知っていることとか、あるいは最近見聞きした妙な出来事とか教えてくれませんか?」


「なんで教えないといけないんですか」


 風間は突っぱねるように言う。


「それはだね、良い情報を教えてくれれば本を買っていくからだ。二冊ぐらい買っちゃおうかな」


 怪しい笑みを浮かべて冗談めかしながら谷本は言った。回りくどい方法で賄賂を渡そうとしているのだった。発言の意図を察した風間は興味を惹かれていた。それから二人の間で奇妙な駆け引きが始まった。


「十冊にしましょう」


「それはさすがに欲張り過ぎではありませんか。三冊でどうでしょう」


「八冊で」


「そこまで言うなら五冊にしようじゃないか。どうです?」


「良いでしょう。ただし、漫画と文庫本以外で」


「よし、決まりだ。じゃあ、情報を教えてくれないか」


「本を買うのが先です」


「良い情報かどうかわからないじゃないか」


「それならお引き取りください」


 平然とした顔の風間には引き下がる気配がない。そもそも風間としては情報を提供しなければいけない義理も何もないだから、圧倒的に有利な立場である。谷本は仕方なくカウンターから離れて、一旦棚を見て回ることにした。


 本棚の間を歩きながら、店内のどこかにいるはずの風間に向けて話しかけた。


「風間さん、そう言えば、先ほど金宮さんが亡くなられたのは十日前から六日前だとおっしゃっていましたけど、その情報はどこから聞いたのでしょう?」


「あれ、私、そんなこと言いましたっけ? 駄目ですよ。それは本を買ってから話す情報です」


「その情報はもう言っちゃっているんですから、どうして知ったかぐらい教えてくださいよ。そうしないと、あなたが犯人だから知っていたということになってしまいますよ」


 何気ない調子で谷本は急に疑惑を風間に向ける。風間はしばし呻き声を上げてから答えた。


「別に犯人だから知っているということではないんです。昨日から警察が事件に関係のありそうな人に事情聴取をしていますけど、聴取されている人は村の人ばかりなので、大体私の知り合いみたいなものなんです。小さな村ですから。それで、十日から六日ぐらい前の行動をよく聞かれたとおっしゃっている方がいて、それならそのくらいが死亡推定時刻なのかなと思っただけです」


 谷本はこれまで都会にしか住んだことがなかったため、村人が大体知り合いだという感覚がよくわからなかったが、本当にそういう場所はあるのだと妙に感心した。


 十分後、谷本は『成瀬は天下を取りにいく』『変な家』『FACTFULNESSファクトフルネス』『人は話し方が9割』の四冊を手に持ち、あと一冊をどれにしようかと悩んでいた。すると、横から風間がひょっこりと現れ、とんでもなく分厚いグレーの本を手元の四冊の上に置いた。手にかかっている重力が五倍に増えた。表紙には「京極夏彦」と『鵼の碑』と書かれていた。


「こんな厚い本、読まないんですけど」


「ま、ま、そうは言わずに」


 結局、谷本はこの五冊を購入することになった。財布は軽くなったが、リュックは一気に重くなった。八割方は『鵼の碑』のせいである。


 本を仕舞うと、谷本はようやく本題の質問をした。


「それで、最近あった妙な出来事とは一体何なんだい?」


 風間は顎に右手の親指と人差し指を当てて考えるポーズをした。あざとくも見えるポーズだが、不思議なことに風間がやっているとそのようには感じられない。


「そうですねぇ」


 返事がやけにのんびりとしている。


「まさか何も知らないの!?」


 谷本は素っ頓狂な声を上げた。


「そんなことはないですよ。そういえば、先週の水曜日のことなんですけど、五十円玉を二十枚持ってきて千円札に両替してくれって言ってきた人がいました」


「そういうことじゃなくて、もっと事件に関係があることを教えてよ」


「でも、昨日も来たんですよ。そして、また五十円二十枚を千円札に両替してほしいって」


 谷本は落胆して言った。


「それが殺人事件と関係あるわけないでしょ。それに、自分も見てたから。もっと何か良い情報ないの?」


「それくらいですね」


 風間はあっけらかんと言った。


「さすがにあんまりじゃないか。一万円近くも本を買ったのに」


 谷本が抗議の声を上げる。風間は再びうーんと考え込んでから言った。


「それならあと一つだけ。両替を頼んできた人は、裏山で山菜採りをすることを仕事にしている山科さんです」


「もうその話は良いって!」


 盛大に突っ込むと、谷本は見切りを付けて外への扉に手を掛けた。ところが、風間は急に考え事を思いついたのか、谷本の怒りのジェスチャーを見ることもなく全く関係ない方向の中空を見つめ始めた。谷本はそんな彼女の様子が気にはなったが、引き返す理由もなかったのでそのまま外に出ていった。


 道路を渡ると、谷本は立ち止まって先ほどの店員の奇妙な態度を思い返した。きっと何かを思い出したのだ。事件の真相に直結するようなことを。しかし、いくら本を買ってくれたとはいえ、村外の人間に話すわけにはいかないと、考えたのではないだろうか。


 では、次に風間は何をするのだろうか。村外の人間に話せないのなら、村内の人間に話すのではないだろうか。何にしろ、次の行動は事件の真相に繋がるものである可能性が高い。


 そう考えた谷本は、シャッター街の店と店の間に身を隠し、書店を監視し始めた。

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