第二章 漁村の殺人

 谷本が再び浜波村の名前を聞いたのは、それから一週間後の水曜日の午前中のことだった。金宮利明との取引にはかなり見込みがありそうだったので、もう一度会って確実に契約を取ってこいとの上司からのお達しだった。


 同じ日の午後に、谷本は全く別の媒体でも浜波村の名前を目にした。休憩という名目で仕事をさぼってスマートフォンでネットニュースを見ていたときに、その文字は現れた。トップページに掲載されたそのニュースを谷本は一度読み飛ばしたが、すぐにスクロールして戻ってくると、瞬間、全身の筋肉が硬直した。


---------------------------------------------------------------------------

ミネルヴァ通信 二○二四年五月二十九日十三時二十六分


浜波村で殺人事件か 六十代のスーパーマーケット創業者死亡


 二十九日午前九時頃、□□県浜波村浜浦山の山中で七十代男性の遺体が見つかり、警察は殺人事件の可能性があるとして捜査を開始した。県警によると、被害者は浜波村在住の金宮利明(74)。浜波村を中心に展開するスーパーマーケットチェーン「スパルタカス」の創業者兼現会長だった。死因は刺殺とみられている。遺体は二十九日早朝に地元民により発見された。

--------------------------------------------------------------------------


 短い速報記事を読み終えると、谷本は手元のスマートフォンから目を上げた。スパルタカスは、まさに取引相手の会社。そして、金宮利明はこの前商談をしたチーフバイヤーの金宮利光の父親である。これはやっかいなことになった。


 それでも、商談は進めなければいけない。谷本は考えた。むしろ、難しい状況でも契約を取って来られるかどうかこそが営業の腕の見せ所だ。おそらく「スパルタカス」は創業者の社長が死亡してしばらく社内の整理に追われることになりそうだが、そこに我が社との取引を押し込めたら大手柄になる。これはぜひとも勝ち取らねば。


 状況が状況なので、通常の手段ではいけないだろう。何か特別な手土産を持っていきたい。受け取ったら感謝のあまり取引をさぜるを得ないような手土産。


 谷本はあるアイデアを思い付いた。営業界に衝撃をもたらす画期的なアイデアだった。殺人犯を捕まえれば良い。父親を殺した真犯人を警察よりも早く特定して見つけ出せば、きっとチーフバイヤーの金宮は大いに恩を感じるはずだ。


 谷本は決心し、早速明日から浜波村を訪れることにした。犯人の目星はもう付いていた。申し分ない動機と手段を持つあの二人のどちらかだ。



 翌日午前十時半、谷本は「準備中」の札が掛けられている日本料理亭「はま」の扉を叩いていた。内側から扉を開けたのは、八日前に会った女将だった。


「まだ準備中ですよぉ」


 せっかちな客への対応は初めてではないのだろう。女将は扉を開けながら言った。対する谷本は開かれた扉をがっしりと掴んで鋭い声で告げる。


「一つ、お聞きしたいことがあるのですが」


 このとき、女将は初めて谷本の顔を見た。


「お客さん、確か一週間くらい前に利光さんといらっしゃった方でしょうか?」


「その通りです。ご主人もいらっしゃいますよね。少しお時間をよろしいでしょうか」


 谷本は返事も聞かずにずかずかと料亭の中に入り込んでいった。女将は仕方なく後からついて行った。板前の主人は案の定、厨房で天ぷらの準備をしていた。


「ちょうど良かった。ご主人にもぜひ聞いていただきたい」


「誰ですか、あなた?」


 板前は突然の闖入者に気分を害されたようだった。この前、金宮利光と一緒に来ていた客だと女将が説明するが、不機嫌な表情は収まらない。


 谷本としても、板前の機嫌を取るつもりはさらさらなかった。単刀直入に本題に入る。


「この前、金宮利光さんと来たときに、女将さん、あなたは金宮さんのお父様にお世話になっているとおっしゃっていましたね。実際のところ、金宮さんのお父さん、すなわち金宮利明さんとの関係はどのようなものだったのでしょう?」


 谷本は尋問口調で訊いた。


「あなたには関係ないことですね」


 板前の無愛想な返答を聞いて、谷本は二人には見えないところでにやりと笑みを浮かべた。そして、両手をスーツのズボンのポケットに突っ込むと、その場でふらふらと歩き出した。気分はすっかり古畑任三郎だった。


「そう来るのなら仕方ありません。私だって何もわかっていないわけではないのですよ。


 女将さんの先週の奇妙な行動はとても示唆的でした。利明さん自身から代金を頂戴しないだけならともなく、その息子の連れがお金を払おうとしても受け取らなかったということは、利明さんと相当深い関係があることが覗えます。しかし、それほどの関係があるにも関わらず、実際には関係を切りたいのですよね。あのときの女将さんの表情を見れば明らかでした。


 利明さんは地元の名士ですし、村では一番の資産家なのでしょう。それに対して、この村は人口減少と高齢化が進んで、今や商売が成り立つような場所ではありません。高級志向の日本料理亭ならばなおさらです。


 お金を借りていたんでしょ。利明さんから。それも少なからぬ額を。もしかしたら、実業家の利明さんのことですから、最初は投資だとか何とか言っていたのかもしれませんが、実質的には借金。最近になって取り立ても厳しくなってきたのではないでしょうか」


 女将は目を大きく開いて動揺を隠せないでいる。板前は頭に血が上って何かを言い返そうとした。だが、谷本は片手を上げて制止すると、続けて言った。


「ご主人、何を言っても無駄ですよ。今の女将さんの態度を見て、私が言ったことが図星だったことはよくわかりました。


 ところで、ご主人、包丁の本数は以前と変わっていませんか? どうでしょう。ま、ご主人にはわからないかもしれません。料理人ですから、当然、包丁はたくさんお持ちだと思います。一本ぐらいなくなっても、誰にもバレないのではありませんか?


 多くても二、三本しか包丁がない一般家庭では、警察に家宅捜索されると、本来あるべき包丁がないことがすぐにわかってしまいます。でも、料亭であれば、例えば十本が九本になったところでそう簡単にわかるものではありません。


 つまり、金宮利明さんが亡くなれば借金がなくなり、しかも凶器になり得るものをたくさん持っていらっしゃる。単独犯なのか共犯なのかはわかりませんが、確実なことが一つあります。お二人のうちのどちらかが金宮利明さんを包丁で刺し殺しましたね!」


 谷本は右手の人差し指を板前の主人に向けた。しかし、指を差してから、これだけでは女将を指名できていないことに気づき、遅れて左手の人差し指を突き出して女将に向けた。谷本は目に全身の力を込めて二人を睨みつけている。


 先ほどまで怒りをたぎらせていた板前は、ところが、谷本の口上の最後を聞いてから急に顔の筋肉が和らいでいた。目は少し笑っているようですらある。


「お客さん、今朝のニュースをご覧になっていないのでしょう。地元の新聞でしかまだ報道されてなかったのでしょうか。


 利明さんの殺害に用いられた凶器は、どうやら包丁ではなさそうです。尖った鉄パイプのようなものだとか言っていたと記憶しています。ご自身でニュースを確認なさってはどうですか?」


 板前の自信満々な口調に谷本の自信が揺らいだ。左手の指を下ろすとズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、ニュースを確認した。すると、確かに板前の言った通りのことが報道されていた。凶器は包丁ではない。よって、板前夫妻が犯人である根拠は圧倒的に弱くなってしまった。正面にピンと向けられていた谷本の右手の人差し指はへなへなと折れていった。


「ね、そうでしょう。そもそも、包丁が凶器だとしても、それだけで料亭の人間が犯人だと決めつけるのはさすがに適当すぎるのではありませんか。確かに包丁は何本かありますけど、なくなったら警察でも気がつくと思いますね。置き場所が一箇所空いてしまうのですから。それに、一般家庭で多くても三本というのも甘いですよ。料理が好きな方は少なくありませんから。用途に合わせて様々な包丁をお持ちの方もいらっしゃいます。そういえば、警察でもないのに……」


 板前の説教は延々と続いた。谷本は聞いていられなくなり、耳を塞いだまま平謝りし、料亭からから出て行ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る