第37話 「森田研究室 卒業」と「もう1つの卒業」

 全然話をしてこなかったのだけれど、これでも一応部活の主将だったのである。工業大学の運動部というそれだけでも部員数はすくないのだけれど、それでも人数の少なかった部活を「何とかしなければ」として様々な取り組みを行ってきた。


例えば今まで全く行われていなかった他大学との合同合宿とか合同練習の企画とか、部活をもっと緩くして参加してもらいやすくするとか。その結果、部員数も増えてかなり賑やかになった。


 そしてそんな後輩たちから「松下さん達をきちんと送りたいです」と兼ねてから言われており、その日が3月20日だった。年末年始に実家にも帰らず、2月に行われた親族の結婚式にも「研究室があって・・・」といって出席しなかった。自分の事を全て研究室の活動に専念し続けたものの


「これは・・・断ることが出来ないよなぁ」


 とそういう風にさすがの私もその時は思ってしまったので、とりあえず同じ部屋に居た同期に相談をした。そしたら彼は「まっつん行ってきなよ。最後の仕上げは僕がやっておくから」とそう言ってくれたため、私は行くことにした。


 環境論文の最後のやり直しをしたものが集まって、あとは印刷して教科書と同じような形にし、それで夜に行われる森田先生との最後の飲み会で渡す。という所まで来ておいて私はその後の作成を同期に「任せて」部活の送る会に出かけることになった。


 部室に言って作業着からジャージに着替えて指定の場所に行くと監督やコーチも含めて後輩たちから色んな物を貰った。


 本当に申し訳ない。ここら辺は本当に睡眠不足で覚えていないのもある。けれど貰ったアルバムはその後キチンと読み返したので許してもらいたい。


 送る会が終わり、部室で作業着に着替えると時刻は20時。先生との最後の飲み会は始まっていた時間になる。


 私は部室棟の前にある自販機の前に座り込んで考えてしまった。


「どういう顔をしていけばいいのか分からない」


 最後の最後。本当に最後の段階で断り切れないことが有ったにせよ、投げ出してこっちに来てしまったことは事実だし、何よりもここまで余裕がない状態になってしまったのは間違いなく自分のせいである。


 イガさんや院生から見れば「11期のせいだよ」と言われてしまうかもしれないが、それはそっちの意見の話であって、こっちの意見の話ではない。だからこの時の私は自分のなんとうか無力さをずっと感じていたのである。


 それが何というか情けなく、悲しいとは別の感情が込み上げてきたわけだけれど、どうしようも出来なくてただ座り込んでいた。


 携帯を見ると着信が沢山かかってきている事に気が付いた。


「そうか、行かなきゃいけないんだ」


 それを見た私は重い腰を上げてトボトボと歩き出す。大学の門を出て、会場の有る場所までは大体徒歩10分。歩き続ける足取りは重く、行きたくないなという気持ちがいっぱいだった。


 私はそこから睡眠不足なのもあったし、疲労もあった、解放もあったし、色んなことが有ったせいなのか、そこからずっと泣き続けて歩くことになる。


 今思えばこれ、相当危ない人に見えなくもない。というか見えるだろう。夜に泣きながら作業着を着た人が歩いているなんていうのは。


 会場に到着する頃には多分私の顔は涙と鼻水で大変なことになっていたのだろう。心配して出向いてくれた院生の人に


「まっつん!どうしたの!出来たよ!大丈夫だよ!」


 そう言われて肩を抱かれて先生や同期、院生の待っている場所へと案内された。そして泣いている私を見てみんな笑っていた。でも馬鹿にした笑いではない。なんというか何だろうか、そういうのではなかった。


 その姿をみた先生から一言言われた。


「まっつんにもね、色々あるからね!」


 と遅れたて来た理由も、泣いている理由も一切聞かず、ただ笑っていたのを覚えている。


 そうして先生に環境論文を渡す時がやってきた。というよりも多分きっと私が来るのを待っていてくれたんだと思う。渡したのは最後に作り上げてくれた同期が先生の元に行き、環境論文を手渡した。


 それを見届けられただけでも私はもう満足だったのだけれど話はここで終わらないのである。


 伝説の「水力学」のプレゼンの発表を行うという企画が何故かあって、泣きながらそれの発表を行った後に、なぜか「カエルくんへ」の動画上映も行われることになった。結果としては散々なものであったが、この時の発表がなぜか楽しかったのを覚えている。


 飲み会が終わった後、森田研では恒例行事になっていることがあって、それが先生と一緒に中部屋で卒業アルバム班が作った動画を見るということである。研究室に帰ると卒アル班がその準備を進めていて、プロジェクターの設置がされていた。


 私はこの時、限界が来ていたので本来なら先生や同期と色々思い出は話をしたりするのだろうけど、隣の部屋で布団を敷き寝ることにした。


 そしてそれをきちんと誰も止めなかった。


 睡眠不足の時に寝るとそのまま深い眠りについて朝まで起きないだろうと私もこの時おもっていたのだけれど、なぜか寝て目を覚ますと2時間くらいしか経っていなかった。これは本当に今でも不思議な感覚でちょうど起きたタイミングがみんなで動画を見終わるタイミングだったのである。


 起きてしばらくぼーっとしていると隣の部屋から先生の声が聞こえてきた。


「まっつんにも挨拶しとかないとね!」


 と言って先生は中部屋から私のところにやってくると手を差し出してこう言った。

「まっつん!いいものを見させてもらったよ!」


 それだけ聞いて私は森田先生と「これまでかつてないくらい固い握手をすると」また布団に寝っ転がりそのまま朝まで眠ってしまったのである。


 次の日。私に待っていたのは「自分の事」だった。ここまでの話の中で全く自分の事が出ていなかったのは、ここまで本当に研究室の事をやっていたため、そっちの方は全く何もしていなかったからでもある。


 これは環境論文作りに参加していた同期もそんな感じだったらしい。


 日付は3月21日。4月1日には会社の入社式の為に北九州へ行けなければいけなくなる。私はそこから慌てて下宿先の引き払い、電気、ガス、水道の契約関係、それからとりあえずの荷物のまとめ作業、そして会社からの健康診断という感じのやらなくてはいけない事を残された9日間で何とかこなし、実家に帰った次の日には新幹線を乗り継いで北九州へ向かい入社式に出る事になったのである。


 こうして私は「大学」と「森田研究室」を卒業した。けれど、その際に先生から言われたことが「まっつん!卒業はしたけど、森田研究室の社員であることはこれからも続くからね!」とのことだった。これは私だけに向けた言葉ではなく卒業していく全員に向けての言葉だったのだけれど、それが私にとって別の意味になっていくことになる。


そして私にはまだやることが1つだけあって、それが北九州で再度、作業着を渡してくれた院生の方に会うことだった。その目的は「作業着の返却」だった。


 私が就職した先に作業着を渡してくれた院生が居たことも、私の勤務地がこの後千葉県になってそこにはあの「五十嵐武志」が居ることも、これはなんか「そういう運命にあるのよ」ということになってしまっているのだけれど、その本当の意味を知るのは「もう少し後」になっての事だったのである。







おしまい

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