第36話 理系的な文系人、文系的な理系人

 合同合宿が終わり、再び研究室の自分の場所へ座ることに。カレンダーを見ると日付は3月2日。卒業は20日である。もうこの時点では他の4年生は卒業を待つのみの状態であり、言ってしまえば「大学生活最後の遊べる時間」でもある。私の知り合いの中にも海外旅行に行ったりする人たちも居たのを覚えているのと同時に、新生活の準備をしなければいけないため、下宿先を引き払い、帰省している人も中には居た。


 しかし、私達にとっては「ここから」だった。


 色彩の本を少しだけ開くと私は今までの事と全く違うことを書き始めることに。それはOB会をきっかけとした、ある「考え」が私の中に出てきたことにある。


 色彩について少しだけ説明をすると例えば赤色を絵に塗りたい時にどうするか。大抵の場合、絵の具とかクレヨンの中から「赤色」を取り出して塗ることになる。別に赤色でなくともいい。青でも空色でもパープルでも何でもいい。


 そういった色を取り出して塗ることで様々な色のある絵を作ることが出来る。事実、私が今まで沢山作ってきたプレゼン資料に使われている色だってそうやって選んできたのであるが、ここで森田研究室と色彩の重ね合わせを行う時「これでは説明が出来ない」ということが私に分かってしまったのである。


 例えば10期生、11期生そして12期生では明らかにそれぞれの雰囲気が違うというのは言わなくてもわかる。これはその期に「色」のようなものが有るからである。別にこれは森田研究室でなくとも世間一般にあるようなよくある話である。「あの世代はこんな感じだよね」みたいな話。


 それで大切なのは「その色は常にその色なのか?」ということ。赤い色を選んで作ったものは10年後、赤いままである。という至極当たり前のことは本当に「当たり前のことなのか」ということである。


「私達11期生は入った時と今で同じ11期生なのか」ということである。それは12期生を見ればわかるし、院生を見れば答えは分かる。


「違うよね、当然変化してるよね」


 ここまでくるまでに、私たちは様々なことをやり、学び、そして作り上げてきた。その結果、入ってきた当初の11期生の雰囲気は様変わりしている。


「これを言えばいいのではなかろうか」


 と思いついたわけである。


企画係になったということは本当に企画だけやればいいのか?


当然予定もあるから総務のことも知る必要が有る。


予算のこともある。会計のことも知る必要が有る。


写真を撮らなければいけない。卒アルのことも知る必要が有る。


 イベントについていえば「企画が主なリーダー」になる。けれど、リーダーという色を塗った状態だけで居るとそれはそのままの状態。重要なのは企画のリーダーという役割を遂行する事ではない。


「森田研究室として行う企画を遂行する」ことが重要。例えば先に合った合同合宿とか。それが遂行できるのであれば別に企画がリーダーにならなくてもいい。ということが重要な事。そして自分がリーダーに固執していれば他の係のフォローに回れなくなる。


 役割分担を決めて、その役割のみをやり続けることが大切なの?違うよね。そうじゃないよね。役割はあくまで役割だよね?


 会社に入った時、割り当てられた部署が重要なのではなく、その会社が結局何の事業をしているのかが大事なんだよね?


「全体を見渡し、その中で動くということはつまり、動けなければいけない」ということになる。


 森田先生、イガさん、院生にも当然立場があるし、役割がある。もちろん11期生にもあるし12期生にもある。


 それを表現したのが

「森田研究室の色」だった。


 11期生の色、時期の色、場面の色。大事なのは色が変わるということ。絵の具やクレヨンから「選んで」塗った色だとその色自体は変化しない。赤は赤のままだし、青は青のままである。


 しかし、11期生は11期生のままここまで来たのだけれどそのまま来たわけではない。それは言葉を変えれば「成長」したということでもある。


 人が成長することを「色彩」に重ね合わせて表現をし、論文を作成した。


 それをイガさんに見せた時、初めて色彩について書いた文章で「全部書き直し」ではなく「もっとわかりやすくして」と言われたのである。


 この達成感は多分、今までで感じたことが無かったものである。11月後半くらいに本を渡され、そこから約3カ月。ずっと毎日「どうまとめればいいのか」を考え続けた結果、ようやく「方針」が見えた瞬間だった。


 とはいうものの章立ては他にもある「共育」と「森田研究室について」それ以外にもあった。ここから先は院生も論文作りに乗り出し、表現や誤字脱字。そして表現と言った点に関して「もっと良い物を」ということでやり直しの連続が始まっていく。


 ようやくその状況になった時、イガさんから「11期生、あなたたちはいつも遅い」と言われてしまうわけであるがそれは本当に何というかごもっともです。


 そこから1日、1日と過ぎていき、だんだんと今まで姿かたちが無かった環境論文の形が見え始めた時、ようやくイガさんから論文のタイトルを言い渡された。


 11期生の環境論文のタイトルは「名も無きリーダーたち」だった。


 イガさんは「イガファンタジー」という特徴を持っている。何の話か分からないにしてもとても表現がファンタジーだということだけわかってもらいたい。だから多分きっと「名も無き」という言葉にファンタジーを感じていたのだろうし、10期の論文のタイトルも「名も無き若者たち」だったりする。


 それで、イガさんは全く環境論文に何も書かないのかと言われるとそうではなく、イガさんが書いた文章も載せることにもなる。


 そして最後の1週間。これは今、10年経ったからこそ言えることになるのだけれど私を含めた何人かの同期はこの期間、院生に「常に起こされ続けた」ためかなりの睡眠不足になっていた。何日も寝ていない状態で椅子に座って限界が来始めていた頃、後ろから叩かれ「お前らが寝たら間に合ないぞ!」と言われて叩き起こされたりしていた。


 もう、何を書いているのかわからないという状況になりつつ、同期の力を合わせて最後の最後、3月20日の昼間にようやく「森田先生に渡せる形の環境論文」のデータが揃うことになったのだけれど、ここで私のもう1つの顔をやらなければいけなくなった。


それが「部活の送る会だった」

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