第3話 あなたが来たんだ
気が付くと私は目の前に有るドアノブへ手が掛かっていた。不思議なことにそれは自分の意思だけでは無かった。何か他の力もかかっているようで手を外そうとしても離れない。
「ノブを回してください」
と言わんばかりのメッセージ。あんまり気が進まないのだけれど仕方がない。ここにずっといるわけにもいかない。勇気とは違う、なんだろうか、本当に「仕方がない」という気持ちだけでノブを回した。
ドアを開けるついでにさっき話しかけいたことなのだけれど、自分がやるべきこと。やるべきこと、と言うよりかは「人生何をしていくの?」ということについて真剣に考えようとしたとき、今までやってきたことに何にも引っ掛かりを感じないのであれば「何をして生きていこうか」「やりたいことなんか無い」という回答になってしまうわけで。
要するに何か疑問とか悩みが出てきたとき、それを解決するための引っ掛かり。よく糸口なんて表現されるのだけれど、その糸口を見つけられないと迷宮入りしていくことになる。
「何をして生きていこうか」
「好きな事をして生きていけばいい」
というありがちな回答を私は何度も言われた。この回答の問題点は「そもそもの好きな事」があればいいのだけれど、言われた本人に好きな事が無かった場合、何をして生きていけばいいのか?という問題にまた返されることになる。
つまりこの回答は私にとっての糸口にならなかった。
そこで私は自分で考えることにした。その結果、ざらつきのある言葉、自分にとって引っかかる言葉が自分にとっての「やるべきこと」に近いんじゃないかと思うようになった。
簡単に言えば私は、自由と由来という言葉に子供のころから何かしらの引っ掛かりを感じていた。だから私は自由と由来ということを「やっていく」のが自分にとって適しているのかもしれない。という考えである。
これが例えば私が「花」という単語に引っかかったのであれば、短絡的に「花屋さん」とか「花を育てる人」とかそういうのに向かったのだろう。
しかし私が気になったのは自由、そして由来という物質を持たない、実態を持たない言葉。
だから私はいつまでも自分の好きなことを見つけることが出来ないままここまできた。気になることを見つけることが出来なかった。
今の私にはそれを示すだけの「言葉」しか存在しなかった。
そういうあんまり他の人に言ってもしょうがない感覚を私達は多分、無意識に隠して生きているのだと思う。あれが気になる、それが気になる。とかそういうやつね。なんでそれを言わないかと聞かれれば答えは単純、
「そんなこと気にしてないで、勉強してテストで100点取ってくれ」
という大人たちの意見がそこにあるから。要するにこれは「無意味で無価値な感覚」というよりも「邪魔な感覚」であるという認識になる。
だからこそ、その感覚を捨て去って、何となく生きることにした。周りの空気に合わせてただ何となく。私としてはこういう感覚を捨てると困るのかもしれないと思っていたのだけれど、何となくでも何とか出来るように世の中が出来上がっていることにある日気が付く。
私も含めてそうだと思う。子供の時代に気にしていたことは気にしなくなり、それでも何となく生きていけるからこそ、子供時代の感覚は「いらない」という結論に至る。
別に大人を責めたいというわけでもない。もし、責めるとしたらそれは世の中になるのだけれど、世の中を責めたところでそれってまた同じこと。対象物が無いのだから責めは空虚に消えて何も残らない。
「本当はそれが一番大事なのだけれどね」
ドアを開けると冷たい空気と共にその言葉が流れ込んできた。
「ようこそ、森田研究室へ。歓迎はしないけど、歓迎するよ」
そういわれて私は中へ向かった。
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