第9話 価値観

「ご不明な点がございましたら、真木の方にご連絡ください」

 赤いスポーツカーに乗る2人と、それぞれの車に乗る母親たちをホテルの入口で見送ると、疲労感で立っていられなかった。


「勇太さん、うちに寄っていきませんか?」

 母親と一緒に車で来ていたが、気を利かせたつもりなのか、俺だけ送ってもらうことになっていた。

「今日は、このあと会社に行かないと…」

「そうなんですね、じゃあ会社まで送ります」

「…ありがとう」

 赤いスポーツカーが派手な音で出ていくのを見送って、部署に戻ると親父に呼び出された。


「どうだった、ホテルは?」

「別に…っていうか、俺いつOKだした?なんで俺以外で話進んでんの?」

「いいお嬢さんじゃないか、相手にとって不足はないぞ。向こうも乗り気ですぐにでもって…」

「親父が会うだけでいいからって、うちに呼ぶから、ご飯一緒に食べてるだけだろ」

「嫌じゃないんだろ、それなら…」

「結婚なんて…考えてもないよ」

 手元の書類に落としていた目線が俺にあった。

「日取りはまだだが、心構えのつもりでホテルに行ってもらったんだ。少しは実感が湧いただろ?」

「実感どころか、無茶すぎだろ」

「お前の立場や現実をわからせるためにだ」

「立場って何…こういうのって政略結婚って言わない?」

「政略なんて、別にお互い困ってるわけじゃない、ただ同じなだけだ」

「…?同じって、何が?」

 話を遮るように秘書がコーヒーを持ってきた。答えを待つ俺を焦らすように、親父がコーヒーを一口、口に含む。

「環境、水準、意識、価値観…そんなとこだな」

「そんなの人それぞれだろ…結局、同じレベルのやつがいいってこと?気持ちは無視なの?」

「そういうわけじゃない…がそのほうが話を進めやすいってことだろ…それに少なからず向こうのお嬢さんは、お前に気持ちがあるんだからいいじゃないか」

「だからって、俺の気持ちは無視かよ」

「あんな綺麗な、しかもちゃんとしたお嬢さんと結婚できるんだぞ、喜ばしいことだろ」

「ちゃんとした?結婚できる?やっぱり親父とは話が合わないよ。結婚ってできるとかじゃなくて、好きな相手と同じ気持ちになったら、したいと思うもんじゃないの?少なくとも今の俺にはその気持はないよ。だから、これ以上勝手に話を進めないで」

「誰かいるのか?」

「…………」

「いないんだろう、だったらお嬢さんで決まりだ」

「だから、それは無理だって」

「話はそれだけだ。あと北海道は頼んだぞ」

 言いたいことだけ言うと、社長室を追い出された。

 自分の席に戻るとポケットから今日もらった名刺を取り出した。名字の変わらない彼女の名刺、旧姓で働くこともないわけじゃない…海外にいたはず、だけど戻ってきたのかもしれない。考えても答えのでない迷路でぐるぐると迷っていた。

「神原さん、北海道のスケジュール、支社の方に送っておきました…神原さん?」

 穴が空くほど見ていた名刺から、顔を上げると後輩の高木が立っていた。

「どうした?」

「いや、聞いてなかったんですか?北海道のスケジュール、支社に送っときました」

「ありがとう」

「それ誰の名刺ですか?取引先か何かですか?」

「…ああ、誰の名刺なんだろうな…」

「えっ!?知らない人の名刺ですか?」

「いや……知ってるけど、知らない人かな」

「??…なんか、わかんないんですけど」

「そうだな…俺もわかんないよ」

 不可思議な顔をした高木がいなくなると、名刺を胸ポケットにしまった。



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