第26話 戦いが終わって

 レオンの風の槍――神風が夢喰の体を穿ち、俺の炎がその身を灼いた。

 爆発のような大きな光の後、灼熱に身を包まれ、夢喰は夜闇を鮮やかな紅蓮の花で彩った。



「素晴らしい! 素晴らしい! ああ、なんて――華々しい」



 花車は砕け散り、その身も炎で包まれ、修復する間もなく焼け焦がれていく。植物の体を包んだ炎が消える気配はなく、夢喰を業火の中に閉じ込めることに成功した。



「テオドール、それに――レオンハルト」



 その声は今まさに消えゆこうとしている者の声ではなかった。

 不敵で、不気味。だと言うのに、不自然なほどこちらへの敬意が感じ取れる声。聞き取る者に安心感を与えるようなそんな声だ。



「君たちは素晴らしい魔術師になるだろう」



 余計なお世話だと、そう言えるだけの体力はなかった。既に俺の体力は尽き、ジュリアの頭部で両腕と両足を広げて大の字で天を仰いでいた。

 レオンも似たようなものだろう、様子は見えないが、ふてぶてしい夢喰の言葉に対して何も言わないということはそういうことだ。



「これから始まる激動の時代。 君たちが人間側の代表として、活躍してくれることを切に願っている――」



 朽ち果てていく夢喰の体を見届け、頭上に浮かぶ大きな月に向けて、拳を突き上げた。



 ◆



 俺も、セシルも、そしてレオンも大きな怪我はなかった。

 唯一、リンハルトだけがレティシアの茨により負傷していたが、それも大事に至ることはなく、しばらくら安静にしていれば治るだろうという見込みだ。


 夢喰が燃え尽き、周囲に夜の静けさが戻ってきた頃、他に伏兵がいないかジュリアが探ってくれたが、そんな気配はなかった。

 俺とレオンは人の姿になったジュリアに担がれ、屋敷で治療を受け、いつの間にか眠りに落ち、今に至る。


 時刻は既に昼を過ぎ、もうすぐで日が暮れるという時だった。

 朝方に駆けつけていたという医者の話では骨にヒビが入っているものの、重症ではないということだったため、俺は屋敷の中を歩いて見ることにしたのだ。


 というのも、俺よりも重傷であったはずのレオンがどこにも見当たらなかったからだ。

 医者の話では起きるなり、診察も受けずに走り去ったということだ。



「――っと、えと、たしかヘレナさん」


「この度は我々を助けて――」


「お礼とかいいよ。 守ろうとか思って戦ってなかったし。 それより、レオン見てないですか?」


「レオンハルト様なら――」



 既視感。

 なんだか、こんな場面を前にも見た気がした。

 そうだ、レオンならこんな時、きっと……



「レティシア様のお部屋におられるかと」



 やっぱりそうだ。

「ありがとう」と伝え、俺はヘレナの案内を断り、レティシアの部屋を目指した。



「ん、随分と遅いお目覚めで」


「――無茶言うなよ、相当頑張ったんだぜ?」


「わかってるわよ」



 レティシアの部屋の戸を叩くと、迎え入れてくれたのはレオンではなく、セシルだった。

 青色を揺らしたセシルの皮肉めいた言葉とは真逆に、その紺碧の瞳には安堵が宿っているように見えた。



「レオンは?」


「いるわよ。 だけど、今は――」


「やっぱり、レティシアは目覚めないのか」



 夢喰を倒したはずだと言うのに、あの茨は未だにレティシアを解放しようとしないのか。

 夢喰の魔術がそういう性質なのか、それともまだ夢喰がどこかで生きているという――頭を振る。

 そんなはずはない。

 この目で散っていく様を見ていたじゃないか。

 あれでまだ生きているだなんてことがあれば、魔人なんて言葉では表しきれないほどの化け物だ。


 そう、夢喰はたしかに倒した。


 俺と、レオンの手で。確実に。


 なのに、まだ目覚めることはないのか――と、そう思った矢先。

 セシルが口元に微かな笑みを浮かべて体を逸らした。


 レティシアが眠っていたベッドの上。

 夕日の鮮やかな橙色で彩られた部屋の中で、涙で顔をぐしゃぐしゃに歪めたレオンと、満面の笑みを咲かせたレティシアが身を寄せあっていた。



「――――」


「――お兄ちゃんは妹を守ったのよ」



 どこか憂いを帯びた瞳を細め、セシルは二人の様子を眺めていた。

 その二人の傍ら、安堵の表情を浮かべ、瞳を少し潤わせた男――リンハルトがこちらに気づき、二人の邪魔をしないように足音を消して近づいてきた。



「本当に、ありがとう」



 部屋の外の廊下でリンハルトは深々と頭を下げる。



「あ、頭を上げてください……!」



 セシルが焦ったようにそう言うとリンハルトは口元に笑みを浮かべ、元に戻る。

 さすがの俺でも大人に頭を下げられるというのは歯痒いものがあった。俺でさえそうなのだから、同じ貴族であるセシルならもっと何か感じるものがあったのだろう。



「君たちにはしっかりと礼がしたい。 セシル君、テオドール君、それに……」



 そう言ってリンハルトは周囲を見渡す。

 探しているのは恐らくジュリアだ。

 俺が目覚めてから一度もジュリアの姿を見ていないが、どこにいるのかはわかっている。

 地中で体力を回復させているのだろう。

 リンハルトにはジュリアの正体が虫であることは明かしていない。無論、あの戦いで既にバレているのかもしれないが、わざわざ明かすような事でもないだろう。



「ジュリアなら、多分……夢喰がちゃんと死んだか確認しに行ってると思います」



 と、適当に誤魔化してジュリアが回復するのを待つことにした。

 俺が何も話さそうとしないことから何かを察したのかリンハルトはそれ以上何も聞こうとはしなかった。

「さて」と前置きし、リンハルトは俺たちに視線を向ける。



「――何か、欲しい物とかはあるか」


「そんな! 私たちはそういうのが欲しくてやったわけでは――」


「わかっているとも。 しかしだ、シュヴァリエ家の当主として、君たちには礼をしなければならないのだよ」



 リンハルトは「後でまた聞く」と言い残し、この場を去る。

 俺もセシルと同じく、何か見返りが欲しくてやったことではない。あの場で即座に見返りについて考えられるほどの余裕は全くなかった。

 というか、目覚めてからも見返りについて考えもしていなかった。



「美味しいご飯とか……はダメか?」


「そういう事じゃないのよ、バカ」



 恨みがましい瞳で睨まれてしまった。

 頭を抱えるセシルを横目に、俺は屋敷を出ようと外を目指す。

 レオンのあの様子を見て、声をかけるほど野暮ではない。怪我の状態も悪くないように見えた。ならば、わざわざ邪魔するようなことはない。


 セシルにジュリアの様子を見てくると告げ、屋敷の外に出る。道中、ヘレナさんに声をかけられたが適当に散歩してくると言ってきた。

 どうやら、もう少しで夕飯の支度ができるということだった。


 庭の中、屋敷から少しだけ離れたところにある林の中で地面を二回ほど足で叩く。

 周囲に人はなく、屋敷からもあまり見えない位置であるため仮にジュリアは虫形態であっても平気なのだが――それはどうやら杞憂だったようだ。



「申し訳ありません、主様」


「いやいいよ。 無理させてごめん」


「無理などでは――」



 目立った外傷は見られない。

 が、普段よりも魔力に乱れが見られる。しばらくの間は戦闘行為はさせずに安静にさせておこう。

ジュリアがあの戦いに駆けつけるまで多少時間がかかったのは、夢喰が現れた際に花粉によって動きを制限させられたせいだったのだという。

 身動きを封じられた上、瓦礫に覆われてしまい、脱出が遅れた。

 俺としては間一髪のところを助けてもらったため、文句などは何一つないのだが、ジュリア本人は違うようだった。



「私が全力で戦えていれば……」


「気にすんなって、もう終わったんだし。 助けてくれただけでありがたいんだよ」


「主様……!」



 そう言ってジュリアは両腕を広げて俺に抱きついてくる。相変わらず締め付ける力が強く、油断のできないじゃれつきではあるが、今は少し我慢する。



「――相性勝ちだったな」


「そうでしょうか。 主様の実力では?」



 ジュリアから離れ、屋敷を眺めながら草むらの上に腰を落ち着かせた。

 俺は首を傾げるジュリアの言葉に首を振り、手のひらの上に作り出した炎を眺め、夢喰との戦いを思い返す。


 もしも、俺の得意な魔術が炎ではなかったら。


 きっと勝てていなかった。

 レオンの魔術やジュリアの防御と回避。そして植物と炎という相性。それら全てが噛み合ったお陰で倒すことが出来た。

 ――加えて、夢喰には俺たちに対する明確な殺意が欠けていたように思える。

 最初から殺す気であったのなら、結果は大きく違っていたのかもしれない。


 それに、レティシアの茨との戦いでは何の役にも立てなかった。

 魔術を使えないとなると途端に置物へと変わってしまう自分自身が情けない。魔術だけに頼りきり、その他の技術を身につけようとしなかった自分自身の怠慢だ。



「学院に戻ったら威力調整と――」



 ある考えが閃く。

 魔術に関しては魔術書なり、担任であるルクリールに訊ねてみるなり、セシルやレオンを頼ればいい。

 ならば、もう一つの課題について。


 つまり、魔術以外の技術。

 武術や剣術はどうする?


 その答えは俺の中で固まりつつあったが、現実的ではなかった。

 が、言ってみる価値はある。



「よし!」


「どうかされたのですか?」


「欲しい物が決まったんだよ!」



 リンハルトから言われていた欲しい物。

 報酬が欲しかった訳ではないが、この機会を逃す訳にはいかない。


 ――俺は、戦闘の師匠が欲しい。


 リンハルトに俺の師匠となってもらおう。

 そうと決まれば善は急げ。

 俺は立ち上がると屋敷に向かって走り出した。



 ◆



「夢喰が殺られたって本当かよ」


「ああ。 風と水の覚醒者たちの実力が高いのは嬉しい誤算だった。 けど、こちらの戦力が欠けるのは喜ばしくない」



 黄金の長髪を後ろでひとつに結んだ男。テーブルに肘をつき、口元で指先を組み合わせ祈るように瞳を閉じたその男はため息混じりにそう言った。



「風と水如きに殺られるたぁ、情けねえ」


「違うんだ、ディアナ」


「あ? 違う? 何がだよ」



 背中まで伸びた長い髪。その色は燃え盛る炎を連想させた。大きな瞳は吊り上がっており、威圧的な印象があったが、何よりもその瞳の色が特徴的だ。

 人間であれば本来白くあるべき箇所が黒く、黒くあるべき箇所が紅い。まるで夜空に浮かんだ真紅の月のような瞳をしていた。

 そして、肌の色もほんのりと赤みがかっている。



「夢喰を倒したのは風と――炎だ」


「あ?」



 信じられないという様子でディアナと呼ばれた女は目を丸くした。


 炎と男は言った。


 夢喰を倒したのはディアナと同じくらいの年齢の人間だとも聞いた。

 それと、風と水の覚醒者だと。



「炎だ? 間違いねえのか?」


「彼に渡された連絡用の魔術石に映っていたのは紛れもなく炎の魔術を扱う者だった。 あれは数年前に俺が予見した覚醒者候補――」


「炎の覚醒者がいるのか? あ?」


「まだ確定した訳じゃない。 訳じゃないけど、あの髪色に瞳、君と全く同じだった」



 そう言われ、ディアナは鋭く尖った歯を見せつける。



「なあ、ブライト」


「なんだい?」


「今よぉ、確か向こうに送り込むヤツを探してたよな」


「それならもう彼女に行ってもらったよ」



 ブライトと呼ばれた男は片目を開き、真紅の少女を見つめた。

 その黄金の瞳に射抜かれ、少したじろいだがすぐにまた悪態をつく。



「ちっ、またあいつかよ」



 と、言って見せたディアナだったが、その脳内にはとある考えが浮かんでいた。

 それを実行するため、この部屋を後にしようとブライトに背を向ける。



「あまり悪さはしないでくれよ」


「わーってる」



 鋭く尖った歯を見せつけるように笑ってみせ、ディアナは足早に部屋を出た。

 その背を見届けたブライトは一人、窓際に置かれていた花に視線を向け、目を細めたのだった。

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