第24話 風と炎
魔術を使う時、一番最初に考えるのは威力のことだ。
俺は人よりも魔術の才能がある。それは孤児院にいた頃、ミオン姉さんやシスター、それに同世代のノマを見て感じたことだ。
ミオン姉さんたちは魔術を使うのに長い詠唱を必要とするのに対し、俺はそんなものを覚える必要もなく、魔術を使える。
数回使えば疲れ果てるような魔術も、俺にとっては大したことは無かった。
それは魔術学院に入学してからも変わらなかった。
周囲の人たちはミオン姉さんたちと何ら変わらない。
無詠唱で魔術を使えるというのが珍しいことだと瞬時に理解した。が、同時に才能があるやつがいることも理解した。
セシルとレオン、そして担任のルクリール。
俺だけが特別という訳では無かった。
きっと、俺だけが特別だったのであれば、こんな悩みを持たずに済んだのだろう。
似た才能を持つセシルとレオンはそれぞれ水と風を得意とし、魔力を練り上げるのが速かったり、思い描くことはなんでも出来たりした。
対して俺はただ威力が高いというだけだ。
炎魔術が得意で、範囲攻撃が得意。それでいて高威力。
聞こえはいいが、それだけだ。
セシルのように超反応で魔術を編み出すことも出来ないし、レオンのように自在に魔力を操作することも出来ない。
馬鹿正直に魔力を練り固め、それをぶつけるくらいしか俺にはできなかった。
「上げていけ」
けれど、今この場において俺はそれで良かったのだと心から安堵する。
屋敷から飛び出した俺はレオンの背が倒れるのを捉え、加速した。そして花の頭をした魔人が話に熱中している内に跳躍し、ヤツの頭上から攻撃すべく魔力を練った。
眼下にはレオンと花の頭をした魔人。ここは広い庭で、屋敷と違い燃え移りそうなものはあまり見当たらない。
唯一、倒れたレオンだけには気をつけなければならなかったが、俺自身は空中にいる都合上、魔力で覆い熱を防ぐ必要も無いため、その魔力をレオンへと割くことが出来る。
体を巡る魔力に意識を向け、熱を上げる。
右手へと魔力を集中させ、練り上げ、放出する。
初めは赤い球体。それが次第に手のひら全体に絡み付くように溶け出し、腕へと滴る。まだ熱は感じない。だが、それも長くは持たない。
すぐに集中し、溶け出した炎を一点に丸めていく。
次第に膨らみ、やがて拳大の大きさへと変化する。
セシルやレオンのように技と呼べるほど洗練された技術ではない。単に魔力を練り、それを塊にしただけの火球。
今の俺にはそのくらいしかできない。
が、充分だ。
俺にはあの二人には出せないだけの火力がある。それがあれば、あの魔人――植物なんて容易く燃やし尽くせる。
「燃えて灰になれ」
たった一握りの火球。それが、豪炎となり噴射される。
熱風を巻き上げ、魔人目掛けて降り注ぐ業火の滝は一瞬にして周囲を巻き込んだ。
「レオン、無事か?」
「お前の炎で……死ぬところだったぜ……」
地に伏したレオンの状態は見た目では分からない。
傷一つなく、全くの無傷と言っていいのだが、その言葉は途切れ途切れで、今にも意識を手放してしまいそうだった。
「あんま、空気吸うんじゃねェ……アイツ、花粉って言ってやがった……」
花粉。
それを吸い込むことにより、体の自由を奪うのだろうか。
慌てて口元を塞ぐが、すぐに巻き上がった煙の奥から低い声が響いた。
「ご心配なく、その花粉では死に至りません。 それに、今の攻撃で燃やされてしまいました」
黒い礼装と白いシャツに焦げたような後を残した魔人は手を叩きながら現れた。
やはり異様な出で立ちだ。人間の体だと言うのに、頭部だけが花で出来ている。たった一箇所が異形であるだけで、ここまでの違和感が生じるものなのかと実感する。
どう話しているのか、どう見えているのかなどの理屈を全て無視したような見た目であり、魔人には常識というものが通用しないことを理解した。
いつの間にか手にしていた黒い杖を地に付き、会釈するように頭を下げる。その仕草はいちいち紳士的で、その丁寧な所作も存在の異常性を物語っている。
「そうかよ」
間髪入れずに火球を花の魔人目掛けて二つ放つ。
着弾と同時に高密度の熱の塊が爆発し、周囲一帯に熱気が漂う。俺はこうした炎に慣れているためある程度耐えられるが、レオンはそうじゃない。
まして、今の状態だとなおさらだろう。無論、俺の魔力で熱から保護しているためそこまでの影響は受けないだろうが、それも長くは持たない。俺はそこまで器用な魔術操作が出来ないからだ。
立ち上がろうとしていたレオンに肩を貸し、後方へと下がる。
肩で呼吸をしているようだが、花の魔人の言葉通り死に至るような気配は感じられない。全身が麻痺しているような状態だ。
レオンの体が薄緑色の魔力で包まれ、次第に肩を貸さずとも立てるようになっていく。自分の魔力で花粉を調和、もしくは風魔術で放出したのだろう、顔色もたちまち回復する。
「やれるか?」
「ここでやれなきゃ、騎士失格だ……!」
「騎士?」
「俺ァ、レティの騎士だからな……! アイツを助けてやる義務が、あるんだよ」
そういうことかと、脳裏にレティシアの部屋にあった絵本が過ぎる。
童話のような話の展開じゃないか。
囚われの妹を兄が魔人の手から救う。
騎士というには粗暴な雰囲気をしたレオンだが、兄としては最高のやつだ。
妹のためにここまで体を張り、魔人と相対するなんて、そこらの兄貴に出来るようなことじゃない。
なら、俺の役割は――
「やってやろうぜ、騎士サマ」
「……言ってろ」
素に戻ってきたのか、気恥しそうにレオンはそう言う。
背を合わせ、花の魔人を見据える。
風と炎。
俺とレオンが共闘して何かと戦うという経験は一度もない。初めてジュリアと戦った時も共闘と呼べるようなものではなかったし、あれ以来強敵にも遭遇していない。
相性は決して悪くない。炎にとって風は無くてはならない存在で、上手く合わせればさらに威力を底上げすることだって可能だろう。
それに、俺とレオンは魔術学院に入学して以来、ずっと一緒にいる友達だ。
相性なんて、考えるまでもない。
「――〈神風・穿〉」
風が吹きすさび、俺たちの目の前に魔力で練られた風の槍が浮かぶ。
回転するように常に動きを見せるその槍はレオンの合図とともに射出される。凄まじい速度と威力。
単なる魔獣が相手であれば過剰すぎる威力ではあるが、あの異質な魔人が相手なのだ、どれだけ過剰であったとしても問題などない。
それに――
俺は目を細め、風の槍が眼前に迫っているはずの花の魔人を観察する。
慌てた様子はない。それどころか回避しようとする姿勢もなく、ただ一つ、杖を前に突き出しただけだ。
「〈花車〉」
花の魔人の魔力が増大するのと同時、レオンが横目で俺を見たのがわかった。それを合図と汲み取り、俺は花の魔人目掛けて地を駆る。
右手には炎を纏わせ、加速する最中もずっと熱を上げていく。
いつの間にか真紅に染まり切っていた髪が炎で赤さに磨きがかかっていく。
まるで、俺の周囲だけ昼間になったかのように明るい。だが、その明るさも次第に赤みを増していき、夕焼けよりも濃い赤へと変化していく。
俺の目先では橙色の――魔人の頭部と全く同じ色と形をした巨大な花弁が咲き誇り、風の槍と衝突していた。
花弁が一枚、二枚と散っていき、次第に風の槍の勢いが衰えていく。
やることはわかっている。
「手貸してやるよ、騎士サマ」
練り上げた魔力を一気に解放する。
緑色の風の槍の背を押すように炎を噴射し、失いかけた勢いを取り戻させる――いや、先程よりもさらに勢いを強くする。
魔術の威力だけならば、俺はセシルにもレオンにも負けない。二人ともそれなりに高威力ではあるが、俺の魔術と比較すると可愛いものだ。
対人相手ではなかなか披露することの出来ない本気の魔術。
地面が溶け、炎が赤から白へと変化していくほどの高熱。
風の槍は炎を纏い、橙色の巨大な花弁を飲み込んでいく。
「――なんと言う」
花の魔人の驚きの声が耳に届く。
俺の魔術を甘く見たな。
俺は、誰にも負けない威力だけがコイツらに負けないただ一つの取り柄なんだよ。
「「くたばれや」」
示し合わせたように、俺とレオンがそう呟き、やがて火焔を纏った竜巻の如き風は巨大な花弁を完全に――破壊した。
◆
意識というものが備わった時、それは自分の在り方を認識した。
自分とは何であるのか、それを理解している生物というのはほとんど存在していないだろう。
だが、それは違った。
他の存在とは一線を画すそれは次第に周囲と自分とはまるで別種の生き物であることを理解すると、まず始めに周囲の同族を喰らった。
それは自分自身の成長の糧とするためだ。
砂漠という過酷な環境に身を置いていたのも影響していたのかもしれないが、何よりも影響したのはやはり、魔力だろう。
誰の魔力であったのかはわからない。だが、それに明確な自我と呼べるものが備わったのは確実に何者かの魔力を浴びたからだった。
途方もないほど邪悪で、他の命ある物がその魔力に触れるだけで生きることを放棄してしまうほどの黒く、暗い魔力。
砂漠の夜よりも暗く冷たいその魔力のお陰で、それは大きな成長を遂げ、やがて花開く。
最初に食べたのは何だっただろう。
それはまるで思い出せない。
ただ生きるために、成長するために必要だったから捕食した。
どう食べたのかさえ覚えていない。そのくらい、自然な事だった。
生来、自然そのものであったそれにとって、捕食することやされることは当然の摂理。だからこそ、その摂理を否定するその生き物の存在をもっと知りたいと思ったのだ。
魔力を操り、それを武器とする生き物。
一際知能が高く、好奇心も旺盛、群れで行動する割に自己愛が強く、それでいて他者を慈しむことの出来る不思議で美しい生き物。
それが人間であると認識した。
人間はそれにとって美味なる餌に過ぎない。
自分の生態を知りたがる人間たちを捉え、眠らせてその人物を知るのは容易いことだった。
どんな人間にもそれなりに物語があり、読み応えがあった。
ある者は番を持ちながらそれを裏切る行為をし、ある者は他者の成果を自分の物に変換し、ある者は自らの生のために他者の生を踏み躙った。
美しくも、醜い人間という存在の虜になったのはいつからだったのか、それにはもうわからなかった。
気がつけば人間が好物となっていた。
記憶に残している人間も少なくない。
愛に飢えた孤独な少女。
彼女は今、自由に愛を求めることが出来ているのだろうか。
濃い魔力を浴び続け、体が異形と化した少年。
彼の復讐は終わったのだろうか。
両親から道具のように扱われ、同族を殺め続けた少女。
あの子は今、笑っているのだろうか。
そして、物事を十全に把握するだけの知能を持ちながら、囚われの――最愛の兄のために無垢なる妹を演じる可憐で滑稽な少女。
人間という存在は本当に面白い。
それがそう思うのは必然とも呼べた。
気に入った人間には種を植え付け、それが開花するのを待った。
愛に飢えた少女は桃色の花を咲かせた。
異形の少年は枯木の獣を生み出した。
殺戮の姫は体を溶かす毒を作り出した。
それぞれが、その境遇を壊すために力を開花させたのだ。
だからこそ、無垢を演じる滑稽な少女が何になるのか、興味が尽きなかった。
蕾を付けたその茨がいかにして目覚め、どう育つのか。
そして、少女の記憶にあった緑色の髪をした兄は何を思うのか。
それ――夢喰にとって、そのことが今最も重要なことだった。
己の生き死によりも、兄妹の物語がどういう結末を辿ることになるのか。
それへの好奇心だけが、支配していた。
◆
「――素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい!」
紅く、白い炎の中、高らかに響き渡るその声が耳朶を打つ。
おかしいだろと叫びたかったが、豪炎の中から伸びてきた黒々とした蔦を回避することに精一杯で、悪態をつくことすら出来なかった。
「まさか、炎の覚醒者が本当にこちらにも実在していたとは!」
「ぁ? 何言ってんだてめえ」
覚醒者?
実在?
いや待て、覚醒者という言葉はどこかで聞いた。
それがどこであったのかを思い出そうとしたが、炎熱を纏ったいくつもの蔦の回避に忙しく、それは叶わない。
訳の分からない言葉に翻弄されるより、今は目の前の敵を倒すことを考えろ。
意識を他に割けるほど、俺に余裕は無い。
背後に視線を向ける。
レオンは既に限界だ。もう立っていることも出来ず、その場で膝をつき、こちらを見ているだけだ。
後方への回避は出来ない。今のレオンにこの猛攻を避けるだけの体力は無いし、俺がレオンを抱えて回避することも不可能だ。
「だったら……!」
灼熱の炎の塊へと距離を詰める。
至近距離から蔦が伸びてくるのを感覚で避け続ける他ない。
幸い、延焼している炎は俺の魔力によって生み出されたものであるため、その些細な動きを読み取り、蔦の動きを読むことは出来る。
だが、やったことも無いものに意識を割きながらけたたましい唸り声を上げて迫る蔦を避けるのは容易なことじゃない。
「っ――!」
鈍い痛みが全身を抜けていく。
いくつか回避することは可能でも、明らかにその本数が異常だ。
今まで、余裕の態度を崩さなかった花の魔人が追い詰められている証拠でもあるのだろうが、ここまで力の差を感じさせてくるとは思いもしなかった。
植物にとって炎は天敵であるはずなのに、それをものともしない猛攻。
「〈花炎〉」
「な――」
紫色の炎が伸びてくる。
炎魔術を得意とする俺だからこそわかる。
この炎は食らってはならない。
だが、この蔦の猛攻から逃げることは出来ない。かと言って後方へ飛べばレオンが焼かれてしまう。
俺の炎で中和しようかとも考えたが、俺はセシルのように素早く魔術は練れない。
絶体絶命。
どうすることも出来ないことを悟り、歯を食いしばったその瞬間、俺は自分の勝ちを確信した。
「遅えよ――ジュリア!」
地中、目にも止まらぬ速度で這い出て来たのは漆黒の体と真紅の頭部を持つ多足類の昆虫――ジュリアだった。
「主様、遅れてしまい申し訳ありません」
「さすが、相棒! 最高の時に来てくれた!」
虫形態となったジュリアの頭に飛び移り、俺は合図を送る。
大きすぎる体を露出させたジュリアはシュルルと鳴き声を上げ、敵を睨みつける。
「覚悟しろ、花の魔人――夢喰。 喰われるのはお前だってことをわからせてやるよ」
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