第23話 氷の華

 炎を纏った二振りの剣は容易に私の氷を溶かしていく。

 私には目もくれず、リンハルトは迫ってくる茨を切り付ける。延焼していく茨をもう一つの茨で切り離し、先端を伸ばして攻撃を続けるレティシア。

 けれど、そんな攻撃がいつまでも続くはずもなく、すぐにリンハルトがレティシアの懐へ潜り込む。

 熱気で揺れて見えるリンハルトの剣がレティシアの首元へと迫る直前、彼の右腕に氷をぶつけることで軌道を逸らす。



「――セシル君」



 リンハルトは厄介そうに瞳を細め、私を睨む。


 ――私がやるべきことは二つ。


 一つはレティシアの無力化。

 茨の対処やリンハルトが避け切れなかったもの――今のところ一つもない――を凍らせたりすること。

 それがやらなければならないことの一つ。


 そしてもう一つ、リンハルトの対処。これが一番難しい。

 正直、彼一人でレティシアは簡単に制圧出来るだろうという実感がある。それほどまでにリンハルトの実力は高い。

 けれど、その剣には確実な殺意が込められており、彼に任せるということが何を意味するのか、それは容易に考えつく。


 それだけは絶対にダメ。


 父親が、娘を殺すなんてことあってはならない。あって欲しくない。そんなことは、認められない。絶対に。


 それはレティシアのためや、レオンのためと言うよりも――私自身のためのもの。

 そんな現実を否定したくて、私はリンハルトを止めたいのだ。



「炎なら、何度も相手してきたのよ……!」



 尋常ならざる炎を扱う赤髪赤目の友達――テオドールの姿を思い描く。

 魔術学院で幾度となく対戦し、その火力の前に何度も苦汁を飲んだ。

 私の生み出す氷では歯が立たず、唯一有利だと思っていた水魔術も時間を増す毎に威力を増していく炎を前にすると水蒸気へと変えられてしまう。


 そんな経験を幾度となくしてきた私にとって、一般的な魔術で生み出された炎なんて簡単に相手できるはずなのだ。



「――っ!」



 炎だけならば、私の相手じゃない。

 リンハルトの異常なところは、その剣技にある。

 目を奪われるほど流麗な動きを見せる二つの剣筋は物語に出てくる妖精が空を飛んでいるかのように美しく、それでいて鋭い。

 そして、そこに乗せられた確かな殺意は冷たく、重い。もしも、それが私に向けられたものであったのなら、きっとここまで平常心を保って魔術を扱えはしなかった。



「捕らえて――〈水牢〉」



 床に手を付き、魔力を流し練り上げる。

 レティシアが伸ばす茨を参考にして急遽練り上げた魔術。倒すための魔術ではなく、捕まえるための魔術。

 二つの水の柱が伸び、リンハルトを捕らえようと走り回る。リンハルトの動きに合わせるように線を描き、その背中を追い続ける。

 煩わしく思ったリンハルトが炎を纏わせた剣で切り付けるけれど、当然――



「――凄まじい才能だ」



 ただの炎が私の魔術に勝てるはずもない。


 ――捕らえた。


 と、そう思った次の瞬間。

 リンハルトの姿が消える。

 と同時、私の視界は反転した。

 すぐに投げ飛ばされたのだと理解する。床に叩きつけられるまでの一秒にも満たない刹那、再度リンハルトの姿が消え、次の瞬間にはレティシアの懐へと潜り込み、月光を写した銀の剣をその細く白い首筋へと伸ばしていく。



「ダメ――」



 か細く、願うような呟きが私自身の口から零れたものだと理解するまで時間がかかった。

 縋るように伸ばした右手の先、レティシアの口元が微かに動く。



「おとうさま」



 糸のように細く、小鳥のように小さな声。けれど、その声は確かに私の耳にまで届いた。

 当然、それはリンハルトの耳にも届いており、首元にまで迫っていた剣はぴたりと動きを止めていた。



「レティシ――」



 鮮血が、夜空を濡らした。


 リンハルトが苦痛に表情を歪め、宙を舞う。体を貫く寸前で二振りの剣で軌道を逸らし、致命傷を避けたが、左の脇腹を抉った茨はその先端を赤黒い血液で花を咲かせた。

 レティシアから距離を取り、膝を着くリンハルトは浅く早い息をしながら、その額に大粒の汗を浮かべていく。

 レティシアは小さな顔に大きな笑みを浮かべる。

 大きく揺らぐ煉瓦色をした瞳に狂気を宿らせ、私の方を見た。背後から伸ばした茨が眼前に迫り、身を捩る。


 ゆっくりと視線を戻し、レティシアを視界に捉えようとして気がつく。

 その姿がどこにも無いことに。



「痛――っ」



 横腹から伝わってくる鈍い痛みと鋭い痛み。

 茨で叩きつけられたのだと理解するのと同時、茨が私の体に触れたことを利用し、凍てつかせる。

 思いもしない反撃にレティシアは驚くが、すぐに怒りへと変換し再び私へと襲いかかる。


 初撃は恐らく遊び程度だった。

 現に、左脇腹を抉られたリンハルトに対して私は軽い打撃を受けただけ。なおかつ反撃するだけの余地もあった。

 だが、今度は違う。確かな殺意を込められた、鋭く尖った茨の先端が私の体を貫こうと迫っていた。


 氷での防御――


 は、間に合わない。

 軽い打撃とは言え、茨の棘で切り裂かれた箇所から伝わってくる鋭い痛みに思考を邪魔され、魔術の練り上げが間に合わない。


 まだ、死ねない。

 私は誰にも認められていない。

 こんなところで――



「――娘に、息子の友人を殺させる訳にはいかん」



 凄まじい剣気が落ちた。

 右手は左脇腹を抑え、左手のみの剣でリンハルトは茨を捌いて見せた。



「ありが――」



 私の言葉を遮り、リンハルトはこちらを見ずに縋るような声の小ささで呟く。



「最早、私の剣にアレを斬るだけの力はない」



 アレというのは茨のことではなく、レティシアのことだろう。その瞳には先程まで込められていたはずの強い意志は消え失せていた。

 そこには父親としてレオンの話を聞いていた時のリンハルトが立っていた。



「言いたいことは、わかるな」


「――甘いのですね」


「ふ――そうだな。 そもそも、私はこれで子供好きなんだよ」



 そう言ってリンハルトはこれまでに無いほど柔らかくさせた表情で微笑む。

 左脇腹を抑えたまま、リンハルトは切っ先をレティシアへと向け、構える。その背後、私は両手を床に付け魔力を流し込んでいく。

 威力は関係ない。範囲はこの部屋――いや、屋敷全体。


 真冬を思い起こさせるような冷気が周囲に満ちていく。急速に冷やされた空気が水滴へと変化した白い煙が部屋に立ち込める。

 私の魔力で覆ったリンハルトには無効だけれど、そうじゃないレティシアは足元から少しずつ凍っていく。

 その異常さに平常心を失ったのか、甲高い悲鳴のようなものを上げ、二つの茨を伸ばす。


 が、意味はない。

 これだけゆっくりと魔力を流し込めれば、私に向けられた攻撃は全て無効化できる。


 凍てついた茨はリンハルトの眼前で動きを止め、内側から破裂するように砕け散っていく。

 砕けた氷が月光を反射しながら宙を舞い、煌びやかで幻想的な空間を作り出していく。



「少しの間、おやすみ――〈氷華・花月〉」



 茨に囚われた小さな体のお姫様は再び眠りにつく。

 少しの間待っていて。きっと、貴方の大切なお兄ちゃんが、貴方を助けてくれるから。


 ――月光の下、美しい氷の華が咲き誇った。



 ◆



「――っ!」



 視界が揺らぐ。

 反撃されたのかと思い、周囲を見渡すが何も無い。

 俺が放った風の槍は地を抉りながら進み、憎々しい魔人へと確実に迫っていた。


 致命の一撃。


 頭部を飾る夕焼け色の花弁が暴風に殴られ、揺れる。興奮したように両手を広げ、高笑いを見せるクソ花野郎は風の槍が直撃する寸前、黒い杖を突き出す。



「――〈花車〉」



 クソ花野郎の頭部と同じ花弁が咲きほこる。

 橙色の巨大な花弁は俺の放った風の槍を受け、大きく靡く。

 次第にいくつかの花弁が散っていき、残り三枚というところで風の槍は勢いを失い、霧散する。



「素晴らしい威力。 私の防御をここまでやぶったのは久しぶりです」


「クソが、黙って――」



 くたばれ、そう言おうとして俺の視界は横に揺れる。立っていることさえままならなくなり、すぐに地面が迫ってきた。

 受身を取ることもできず、顔面から崩れるように倒れるが、不思議なことに痛みは無い。

 すぐに起き上がろうとして、気づく――



「――――!」



 動くことが出来ない。それどころか、声を上げることも叶わない。



「その力、我々のために使うつもりはありませんか」



 何をふざけたことを――


 当然、声は出せないが瞳だけでそう訴える。

 それを察したのか、橙色の花弁の顎の部分を触り、微笑んだ――ように見えた。



「申し訳ありません。 戦力は多い方がいいでしょう? 悪いようにはしません。 あの二人も勿論連れてきていただいて構いません。 待遇に関しては最高級のものを約束しましょう」



 何を、言っているんだ。



「悪い話じゃないはずです。 人間側は覚醒者の重要性を理解していない。 たった一人で国一つを滅ぼせるだけの力を秘めている覚醒者たちを一人でも多く確保したいと思うのは、当然のことかと」



 意味が、理解出来……ない。

 思考が、まとまらない。

 俺は――レティを、助けるために――



「おっと、少し花粉の量を間違えてしまいましたか。 興奮しすぎてしまいましたね――それで、どうでしょうか、私の提案は」



 だま……れ。



「魔人の覚醒者は今のところ雷と土、それと――」



 クソ花野郎の言葉が止まる。

 首の向きは上を見ているようだった。

 そして、血相を変えた――ように、後方へと飛ぶ。

 次の瞬間、俺の視界は赤に染まった。

 視界の奥を直接叩いてくるかのような明るさがまず先に落ち、続いて喉奥を焼くような熱気が支配した。

 辛うじて見上げることが出来た頭上で、よく見た赤い髪が夜風に吹かれて揺れている。炎をその身に宿した俺の友達――



「テオ……ドール……」


「そこの花野郎、テメェは絶対に焼き尽くす」



 枷から解き放たれたテオドールは夜空に右手を掲げ、豪炎を生み出した。

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