第22話 魔人との戦い

 全身に走る鈍い痛みで目を覚ました。

 霞んだ視界に見えたのは大きな丸い月。



「っぅ……クソ……」



 額から流れていた血を拭い、ゆっくりと立ち上がる。背中は痛いし、腕も痛い。足も痛ければ頭も痛い。

 だが、瞼の裏に焼き付いたあのレティの姿が全ての痛みを忘れさせる。

 視界の隅に家が映る。どうやら、庭まで飛ばされたようだった。

 唾を吐き捨てると少し赤黒い。内心で舌を打ち、目を細める。


 俺の目先に立っているのは頭のおかしな魔人だ。

 人間とは決定的に違う頭部には夕焼け色の花弁を咲かせている。

 夜の黒の中では浮かんで見える白い手袋を着けた指先を顎元の花弁に当て、何かを考え込むような仕草をしていた。

 先程までとは変わり、植物の蔦を生やしていた下半身は人の形へなっている。

 黒く長い足と黒い革靴。一見すると貴族の男のようにしか見えないが、それから放たれる異質な気配がそんな印象を全て覆す。



「テメェ、レティに何しやがった」


「レティシアは私の餌にする予定の子でした――」



 話がどう続くのかは関係なかった。

 餌にするという言葉よりも何よりも、目の前のクソ花野郎からレティの名前が出てくることが許せなかった。

 考えるよりも先に体が自然と動く。魔術を使おうと意識するよりも早く、俺の手元にはいくつもの風の刃が生み出されていた。

 右腕に風の刃を纏わせ、拳を握る。地を蹴る際に纏った風の一部を背後に向けて射出することで初速を更に加速させ、俺はクソ花野郎の懐へ肉薄する。

 ヤツは顔をこちらに向けることも、何か対応しようと動く様子もない。簡単にヤツの体を貫いた俺は驚き、動きを止めてしまう。


 ――いや、簡単に貫いたことを驚いたわけじゃない。



「なんなんだ、テメェ」



 大きな穴を開けたその体からは真っ赤な血などではなく、蛇のように動く蔓や蔦が伸びていた。



「私は夢喰。 花の魔人ですよ」



 そう言ってこちらを嘲笑うように夜風に花弁を揺らして見せた。

 クソ花野郎との距離感がわからなくなるほどに冷静さを失ってしまった俺は不用意に懐へと潜り込もうとし、足元から伸びてきていた蔦に気づけなかった。

 腹部に鈍い痛みが広がり、軽く体が浮く。地をころがる最中、右腕の風で地面を叩き、無理矢理体を起こす。

 両足で何とか立つが、数秒も持たずに膝を着く。

 込み上げてくる何かに噎せ、咳き込むと足元には血が飛び散った。



「あァ、クソが……」



 口元を拭い、意志を持っているかのようにこちらを向いて揺れ動く蔦を見据える。

 どこから取り出したのか、黒い杖をつき、膝を抱えて蔦に座り込んだクソ花野郎を睨みつける。


 腕の風をもう一度纏い直し、拳を構える。全身の痛みを忘れるように息を吐き、今度は務めて冷静に相手を見る。


 蔦の数は二本。蔦というよりは蛇なんかの動物のように動き続けているが、枝分かれした先にある緑の葉が生えており、それが確かに植物であることを物語っている。

 蔦は動き続けてはいるものの、俺の方へ伸びてくる様子はない。左右の蔦の間に構えるクソ花野郎も顔だけをこちらに向け、動きを見せたりはしない。


 飽くまでも俺の攻撃に対応し、動くことに徹するような様子だ。


 なら、こちらに分がある……はずだ。

 実力差は歴然。だからこそ、ヤツは余裕を持って俺を見下すことが出来ている。

 何も動くことがないのなら、準備のための時間は無限にある。



 ――無限に?



 違う。

 茨を纏った姿になってしまっていたレティを忘れるな。

 レティを早急に助ける必要がある。あの状態が何であるのかは不明だが、ずっとあのままにさせるのは良くないと直感が訴えてくる。



「くたばれや」



 右手を前へと突き出す。範囲は前方、クソ花野郎と蔦二本を巻き込むような意識。

 威力は最大。油断しているヤツを完全に殺せるように魔力を練り上げろ。

 思い描くのは風の槍。纏った刃をいくつも繋ぎ合わせ、新たに作った刃も繋げ、一つの風の槍を作り出せ。


 暴風が吹き荒ぶ。

 俺を中心として渦を巻くように風を集め、一つに収束させていく。

 細く、長く、鋭く。練り上げた風の槍の周囲にまだ風を纏わせていく。どれだけ大袈裟だろうが構わない。

 完全に殺せるだけの威力を作り出せ。


 ――俺にはテオドールのような超高火力の魔術は生み出せない。セシルのように魔力を練り上げるのが早いわけでも、ジュリアのように強く硬いわけでもない。


 アイツらに比べて、俺は体格的に優れていると言うだけで魔術だけで見ると全体的に劣っている。

 大きな欠点もないが、大きく優れた点もない。



「――けどなァ、それがどうした! 俺はレティの兄貴だ!」



 優劣なんて関係ない。

 ただ、この一撃に乗せる思いの強さは誰にも負けない。



「――素晴らしい」



 ヤツがぽつりと呟いた。

 この暴風の中、辛うじて聞き取れるほどの小さな声。

 されど、どうしてか、その声は俺の耳にハッキリと届いた。

 その瞬間、小さくない焦りが胸中に渦を巻く。焦る必要なんかないと言い聞かせ、首を振る。

 落ち着け、ヤツは動きを見せたわけじゃない。

 ただ呟いただけだ。それが、どうしたと言うのだ。


 自分に言い聞かせ、俺はさらに魔力を練っていく。

 やがて風の槍は薄緑に発光し、回転を増していく。

 周囲の魔力をも取り込み、強度を上げる。


 右手人差し指をヤツに向け、親指を立てる。

 狙いすませ。与えられた好機はこの一瞬だけだと思え。確実にヤツを殺せ。


 そして、レティを救って見せろ。


 お前は、レティの騎士になのだから――



「〈神風・穿〉」



 それは周囲の地面を抉り取り、あらゆるものを風の刃でもって切り裂いていく。



「素晴らしい。 素晴らしい!」



 圧倒的な威力を誇るその技を見て、ヤツは興奮気味に立ち上がり、橙色に染まった花弁を大きく揺らしながら両手を広げた。



「これが、覚醒者! これほどまでとは!」



 訳の分からないことを――


 既にヤツが何をしようと間に合わない。

 俺に準備するだけの時間を与えたのが間違いだった。これだけ魔力を練り上げる時間があれば、どんな魔人だって一撃で屠れるほどの魔術を――



「――ッ!」



 ◆



 戦況は素人の私にでも判断ができるほど圧倒的に私たちが有利に進んでいた。



「――! ――――!」



 戸惑ったように後退し、焦りの表情を見せるのは茨に包まれたレティシアの方だった。

 いくつもの茨を伸ばし、その身を守るために何層もの壁を作り出すけれど、そのどれもを尽く彼女の父であるリンハルトが破壊する。

 その剣技は凄まじく、白い剣筋がまるでそういう生き物であるかのようにしなり、容易く茨を切り裂いていく。


 この場を任せてテオの後を追うべきなのかと考え、私は踏み止まる。

 それはリンハルトの剣に躊躇いがなかったからだ。あれは自分の娘に向けられる剣ではない。間違いなく、目の前にいる敵を殺すための剣だ。


 そんなこと、許されていいはずがない。



「っ――、何をしているんだ、セシル君」



 失敗だ。

 力量差なんて考えなくたってわかるはずなのに。

 あの二人の影響で私までバカになってしまったのだろうか。



「そこを退きなさい」


「いいえ、退きません」



 氷の壁を背に、私はリンハルトの前に立ち塞がる。

 壁の向こうには茨に包まれたレティシアの姿。その表情は私に対してどこか驚いたようなものを浮かべていた。




「セシル君、これは子供のわがままでどうにかなる問題じゃない」


「……わかりません」



 剣先を下ろし、リンハルトは私に言い聞かせるようにそう言い放つ。

 本音の部分では私だって理解している。どうするのが一番理想的なのか。そのくらい、わかっている。


 けれど、それでも、こんなのは間違っている。


 父親が娘を殺すだなんて、そんなことあっていいはずがない。



「ロンド家の娘に対して剣を向けることはしたくないのだが」


「構いません。 あの家は私のことなどどうなってもいいと考えていますから」


「そんなことはないと思うがね」



 そう言いつつも、リンハルトは私に切っ先を向ける。

 レオンによく似た鋭い瞳を細める。


 ――来る。


 そう思ってからでは遅い。

 私の長所は魔術速度。

 テオみたいに高威力の魔術を簡単に出せるわけでも、レオンのように器用になんでも出来るわけでもない。


 ただ速いだけ。


 それが私の唯一の取り柄。

 だから、その取り柄だけで制圧してみせる――



「っ! なんと言う……!」



 部屋に満たした私の魔力。

 冷気で満たされたこの部屋は今となっては私の空間と言っても問題のないものになっていた。

 少しでも動けばそれを察知できる上に、私の魔力が満ちている場所であれば溜めからの放出という魔術の段階を無視して即座に放出へと至る。



「〈氷華・乱舞〉」



 氷の華が乱れ咲く。

 澄み切った月の光に照らされて、氷の華は幻想的な輝きを放ちながらリンハルトへと襲いかかる。

 当たればその場所から凍てつかせる。死に至ることは決してない、拘束するためだけの氷。

 想像していた通り、簡単に砕かれる。

 けれど、これだけの氷の華に囲まれてしまえば、いずれ綻びが出る。


 青白い部屋に舞い散る氷の華と、華麗に舞を見せるリンハルト。白い剣筋がそれをより一層美しいものへと変えている。

 見惚れてしまいそうになる光景だったけれど、本来の目的を忘れてはいけない。


 私が私自身に課したものは二つ。

 リンハルトの無力化とレティシアの救出。


 この内、前者の方は氷華次第でどうにでもできる。けれど、レティシアは――



「――なんで」



 私の頬を茨が切り裂いた。

 直前に氷華を咲かせて軌道を逸らすことが出来ていなければ、頭を貫かれていたかもしれない。


 レティシアは茨を二つ……いや三つほど束ねて太さと強度を高め、氷の壁を貫いたのだ。

 静かにしてくれていれば助かったのだけれど、これでは三人の目的が噛み合わず、衝突が避けられない。



「セシル君、子供の甘えは捨てなさい! この場においての最優先事項は魔人をこの屋敷の敷地内から出さないこと! この二体が外に出れば――」


「レティシアは魔人じゃないわ!」


「っ……ロンド家の人間と言えどやはりまだ十二歳の子供か」



 苦虫を噛み潰したように表情を歪め、リンハルトは一度大きく後方へ跳ぶ。



「巡れ、赤き星よ。 廻れ、赤き月よ。 汝、我が問い掛けに答えよ――〈炎召〉」



 リンハルトの低い声が詠唱を奏でる。

 右手から炎を垂らし、剣に纏わせていく。

 中心部が白く発光している――ように見えるほどの高熱。少し剣を振るだけでその熱波が私の氷を溶かしていく。



「悪いが、手加減はしない」



 リンハルト、レティシア、そして私。

 三者の思惑が絡み合う三つ巴の戦いが、幕を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る