第20話 嫌な気配
シュヴァリエ家の侍女であるヘレナが用意してくれた食卓に並べられた食事を囲い、俺たちは特別会話もすることなく、箸を進めていると沈黙に耐えかねたのかセシルが口を開いた。
「ねえテオ、一つ聞きたいんだけど」
よく通る涼し気な鈴の音のような声が反響する。俺たちの客間よりも物の少ないレオンの部屋はよく音が響くのだ。
セシルは俺――というよりも俺の後ろにずっと控えているジュリアに目を向ける。
未だに瞳を閉じ、一言も何も発さないため付いてきていることすら忘れかけてしまうが、図体が大きいため忘れるに忘れられない。
それでなくても赤黒い仮面に給仕服などという目立つ見た目をしているのだ。執事であるジルベールも、ヘレナも時折俺の背後に視線を向けているのは感じていた。
が、客人に対して深く踏み込まないようにしているのか、尋ねて来ることはなかった。
「なんでジュリアは一言も喋らないのよ」
「知らねえ」
そう言って俺は口にご飯を入れていく。
美味い。魔術学院の食事もなかなかよかったけれど、ここの食事も捨てがたい。
「ちょっとジュリア、無視し続けるのは失礼よ。 私たちに、じゃなくてここの人達に」
俺ではダメだと判断したのかジュリアへ直接話しかける。
だが、ジュリアは変わらず瞳を閉じたまま口を噤む。眠っているのかとも思ってしまうほどだ。
だが、そうではない。俺が動けば俺の後を付いてくるし、今だって用意された食事の代わりに俺の魔力を吸い続けている。
だから寝ている訳ではないのだろうが、確かにセシルの言う通りなぜ一言も発さないのかは気になった。
「おーい、ジュリア?」
俺がそう言ってもジュリアは口を開かない。黙々と食べ続けていたレオンもさすがに手を止め、ジュリアを見ていた。
三人の視線を一身に集め、居心地が悪くなったのか、それとも観念したのか、ジュリアは薄く目を開く。
一瞬、俺と目を合わせたのだがその意図は汲み取れない。「喋ってもいいか」なんてことは聞かれたこともないし、そもそも「喋るな」なんて命じることもしていない。
「お前まさか喋れなくなったとか、そういうのなのか?」
そもそもジュリアが喋れること自体おかしかったのだ。
――いや、人の形をしているのも変なのだが。
今まで普通に話すものだから気にもしなかったが、何らかの条件もしくは代償があったのかと心配になるが、その心配は杞憂に終わる。
「――申し訳ありません、主様、レオン、セシル」
何を話すかと思っていると、そんな謝罪の言葉が耳に飛び込んできた。
続いて仮面の奥、赤と黒の瞳が開かれる。
「決して、無視したかったわけではないのです」
「ならなんで何も話さなかったのよ」
「ここからすぐ近く、何か嫌な気配がします」
「嫌な?」
俺たち三人が束になっても勝てるかどうかわからない相手であるジュリアが感じ取った気配。
その意味を飲み込む。
自然と背筋が伸びていくのがわかった。
「気取られないように気配を消していたのですが、どうやら目的は私では無いみたいです」
ジュリア曰く、それはシュヴァリエ家に入る直前から感じていたそうだ。
「レオンの父親の気配――などではありません。 もっと別種の、魔に属する者の気配」
少しずつ、ジュリアは言葉を零すように話していく。
「その気配に一番似た気配を持つ者がこの屋敷におりました」
「なんだよ、そんな勿体ぶって」
ジュリアは一度遠慮がちに目を伏せると、すぐに俺の「早く言え」という視線に気が付き、一呼吸の間を置いて答えた。
「――レティシア。 レオンの妹は魔人であると推測します」
瞬きも許さない刹那の間、獣の咆哮の如き風が呻き声を上げ、俺の頬を掠めた。鋭利な風の刃はジュリアの硬い皮膚に弾かれ、何も無い部屋の壁に大きめの穴を開けた。
響き渡る爆発音から数秒遅れて廊下から階段を駆け上がる足音が数人分聞こえてきた。部屋の中まで聞こえてくるほどの足音だ、相当急いでいるのだろう。
やがて廊下から「皆様!」と中の様子を心配するジルベールとヘレナの声が聞こえてきた。
が、俺とセシルはそれどころじゃない。
レオンの周囲には抑えきれなくなった魔力が刃となって渦を巻いていた。そんな状態で外から人が入ってくるとどうなるのかは想像に難くない。
俺が声を上げ、人が入ってくるのを防ぐよりも早く、セシルが瞬時に魔力を部屋に巡らせ、扉を氷漬けにする。
「笑えねェ冗談だ」
普段の鋭い瞳を数倍尖らせ、レオンは凄む。
今しがた風の刃を放った右手を突き出したまま。
口調はいつものレオンではあったが、放たれる殺気は決して穏やかなものではない。
「失礼しました。 ですが、レティシアの体から放たれている気配は異様としか言えません」
「テメェ……」
ジュリアは文字通りそよ風でも浴びたかのように涼しい顔をしたまま、赤と黒の瞳をレオンへと向けた。
そして瞳を閉じ、「恐らくは」と前置きし言葉を繋げる。
「彼女の全身を包んでいた茨。 アレが原因かと」
「わかるのか? テメェに」
それは妹の病が治る可能性を求めての質問ではない。
妹を魔人だと言われ、我を失った者の問いだ。
医者たちにもわからなかった原因が、ジュリアにわかるとは俺も思っていない。だが、ジュリアは確信に満ちたように首を縦に振る。
舌打ちをし、レオンは「言え」とだけ言って右手を下ろした。
すると、周囲に纏っていた風の刃も鳴りを潜める。
突如としてやってきた静寂をジュリアはすぐに切り裂いた。
「わたくしは主様の魔力によって生み出された存在。 魔力の塊みたいなものなのです。 そのため、魔力を感じ取る能力が他の生き物よりも優れているのです」
そう言い切るジュリアの瞳には迷いがない。
その瞳に一瞬、反論の言葉を失った様子のレオンだったがすぐに瞳を鋭くさせ、ジュリアを睨む。
「なあ、ジュリア」
「なんでしょうか」
俺はひとつ疑問に思ったことを尋ねる。
「似た気配、って言ってたよな。 それに目的はジュリアじゃないとも」
俺の方を見てジュリアは頷いた。
ジュリアは別に気配の正体がレティシアだとは言っていない。
単に似た気配がしているため、レティシアは魔人の可能性があると言っているのだ。そして、そう思わせる原因こそが、あの茨だと言うことだ。
「で?」とレオンが急かす。セシルは中に人が入ってこないように凍った扉の前に立ち、静観したまま。
「どうやら――」
そう言ってジュリアは不意に窓際へと歩く。
「私が間違っていたようです」
ジュリア言うが早いが、部屋に影が落ちる。
と同時、天が落ちてきたかような轟音が響く。地を震わせ、巻き上がった土煙により何が起きたのかを把握するのが遅れる。
屋根が、吹き飛んだようだった。
視界の中、ゆっくりと崩壊していく屋敷の壁。その瓦礫の隙間に見えた異質な存在を捉えていた。
「――初めまして」
黒く糊のある衣服に身を包んだ、紳士のような声を響かせたのは月光をその身に浴びた影。
冷たく響く低い声は崩壊する瓦礫の音の中でもはっきりと耳に届いた。決して大きな声ではない。
そうだと言うのに、何故か目を奪われた。
いや、違う。
本能的に、それから目を離してはいけないのだと勘づいた。
「まずは挨拶を」
巨大な蔦のようなものが足から生えている。蔦の上に乗っているのではない。
生えている。
見間違いなどではなかった。
それは仰々しく右手を上げ、半円を描くように手を下げる。
人影――そう呼ぶにはあまりに異質な頭部を下げるとそれは名乗りを上げた。
「私は花の魔人。 ――ああ、貴方たち人間から付けていただいた名前の方がわかりやすいですね」
極めて紳士的に、それは言う。
言葉尻に恥じらいとも言えぬような笑みを混ぜて。
「私は夢喰。 どうぞ、お見知り置きを――」
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