第19話 一度落ち着いて

「すまないが、客間は一つしかなくてね」



 そう言ったリンハルトは俺とセシルを客間へと案内した。

 客間は一つしかないということだったが、魔術学院の寮よりも広い部屋と大きなベッドが置いてあり、一つで充分なのだろうと納得した。

 荷物を置き、適当な服に着替えようとしたところ、セシルの鋭い視線に気が付き、俺は静かに部屋を後にした。


 セシルが着替えている間、俺は屋敷の中を見て回ることに決めた。そこには、ここに来てから姿が見えないレオンの居場所を知りたいのも含まれていた。

 奥行きがあり、横幅の広い廊下。高価そうな絵画や花が所々に飾られており、シュヴァリエという家の大きさを感じさせてくれる。

 静かに後を着いてくるジュリアは相変わらず何も喋らず、目を瞑ったままだ。案外、周囲の人たちに気を使っているのかもしれない。変な騒ぎを起こさないようにしてくれるのはとてもありがたい。


 天井から吊るされた見たこともないほど豪華な装飾に目を奪われていると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。



「何してるのよ」


「んぁ、レオンを探そうと思って」


「人様の家の中を勝手にうろつくものじゃないわよ」


「リンハルトさんは自由にしていいって――」



 客間へと案内される道中、リンハルトは「自分の家だと思って自由にするといい」とそう言ったのだ。



「赤バカにはわかんないかもしれないけどね、例えそう言われても真に受けたらダメなの」



 ため息混じりに、まるで小さな子どもに諭すようにセシルは呟いた。半ば呆れ気味に言われたせいもあって多少むっと来るところはあったが、セシルの言っていることも理解できるため反論はしない。



「で、レオンの居場所よね」


「ああ――あ?」


「何よ、バカみたいな声出して」


「そういや初めて服見たなって」



 普段、セシルと会う時は制服か運動用に支給された記事の薄い服だ。

 だが、今こうして眼前に立っているセシルはそうではない。いつもの雰囲気に慣れていた俺はお嬢様のような姿になっていたセシルに違和感を覚えたのだ。

 髪と瞳の色よりも薄い青を基調とした長いスカートを上に着たような服。スカートの裾と白いシャツの袖は先が広がっており、セシルの動きに合わせて揺れる。



「何よ――あ、感想ならしっかりお願いね」


「あ? あんま見たことねえなって思っただけだけど?」


「ずっと思ってたけど、アンタ本当にモテなさそうよね」


「そうなのか?」


「うわ、本当にわかってなさそう」



 そんな会話をしつつ、セシルは俺を先導するように前を歩き、軽やかな足取りで階段を下りていく。階下には執事のジルベールが何やら他の給仕服に身を包んだ人たちに指示を出していた。

 指示を受けている人たちの中に、頬に傷のある人がいるのを見つけた。

 リンハルトの話に出てきた侍女はあの人か、と結びつく。ジルベールの隣に立っているため、他の人たちよりも上の立場にいるのだろう。



「おや、御三方。 どうなされましたか」



 セシル、俺、ジュリアと視線を流し、ジルベールは微笑む。



「レオンハルト君がどこにいるのかご存知ですか」



 俺は空気を読んで答えないという選択を取る。セシルに任せておいた方がきっといい。礼儀作法を全く知らないやつがあれこれと出しゃばるものでもないだろう。



「レオンハルト様ですか。 恐らくは――」


「レティシア様が眠ってらっしゃるお部屋に」



 ジルベールの言葉に続いたのは頬に傷のある侍女だった。

 黒い肩口までの髪とレオンほどではないが鋭い瞳。口元は横一文字に引き結ばれており、感情があまり感じられない顔立ちをしていた。

 ジルベールと同等の立場にいるように見えるのだが、年齢は若いように思えた。が、レオンに少し似た薄緑色の瞳の横に小さなしわがあるのが見えた。見た目通りの年齢ではなさそうだった。



「よければ私がご案内いたします」



 その言葉に甘え、俺とセシルは頬に傷のある侍女――ヘレナの後を着いていく。

 再び階段を上がり、俺たちのいる客間とは真反対の位置にある部屋。元は客間の一つだったそうだが、それをレオンの妹レティシアのための部屋に変えたそうだ。

 ヘレナが扉をノックしても答えはない。



「失礼します」



 返答を待たず、ヘレナは扉を開ける。

 そこには見慣れた後ろ姿と大きなベッドに横たわる小さな女の子の姿があった。



「――お前らか。 悪ぃ、気遣わせた」


「いいわよ、別に」



 そう言ってセシルはヘレナに向けて頭を下げる。俺も真似をして頭を下げ、部屋に入るとヘレナは静かに扉を閉めてどこかへと姿を消した。


 セシルは椅子に腰かけたレオンの隣に立ち、ベッドに横たわる少女に視線を落とした。遅れて俺もその少女を見る。

 栗色の髪はふわりと柔らかそうな膨らみがある。きめ細かな髪質から、普段から手入れを怠っていないことが伝わってくる。

 横になっているため正確な背格好はわからないが、十歳近くの少女にしては幼すぎるような気がした。


 ――いや、そんなことよりも。



「これが病気なのか?」


「あァ、見たことねェだろ」



 全身に巻き付くような蔦がまず目を引く。

 紐のようなものであったり、何か人工的に巻き付けたようなものではない。

 一目見てすぐにそれが植物であると理解できるものだ。


 少し棘の生えた蔦。

 そこから生えた表面のザラつきが見て取れる葉。

 うっすらと花の色がわかる程度に色がついた蕾。

 そして左の胸元に咲いた白い花。



「レティ、紹介するよ。 テオドールとセシルだ」



 そう言うとレオンは蔦で覆われていない頭をゆっくりと撫でる。目を瞑ったままのレティシア何の反応も見せず、静かな寝息を立てるだけ。

 レオンの横顔から視線を逸らし、行き場のなく部屋の中を見渡した。

 俺とセシルが案内された客間と何ら変わらない広い部屋だ。何点か違うのは椅子の数が少しだけ多いということと、机の上には絵本が並べられていることだ。

 机まで歩き、絵本を眺める。何度も読まれたのだろう、しわになってくしゃくしゃになった本が一つだけあった。


『勇者デュランの冒険』


 これは俺の孤児院にもあった絵本だ。

 確か、騎士デュランが魔人に攫われたお姫様を助ける話だ。何度かドロア姉に読み聞かせてもらった記憶があるし、逆に弟妹たちに読み聞かせた記憶もある。

 懐かしく思い、絵本の頁を捲ると栞でも挟まっていたかのようにとある箇所が勝手に開いた。

 そこは勇者になったデュランがお姫様と結婚する場面だった。



「レティはその本が好きだったんだ。 中でもそこがお気に入りでよ、何度も読まされた。 描いてあることから絵まで、見なくてもわかるほどにな」



 それからと言うもの、部屋には沈黙が続いた。時折レオンが思い出したようにレティシアとの思い出を語り、俺とセシルが静かに聞く。

 そんな時間が続き、日が暮れ始めようとしていた頃、扉のノックの音が静寂を破った。

 入ってきたのは俺たちを案内してくれたヘレナだ。深々と一礼すると一度レオンを見る。が、すぐに反応がないことを確認し、俺とセシルへと向いた。



「御夕飯の用意ができました」



 そう言われ、セシルが見かねたように「レオン」と呼ぶが返事はない。

 一人でいたいのかもしれないが、ここにずっとレオンを置いておくのは良くない気がして、俺も声をかける。



「飯だってよ。 行こうぜ」


「先行ってろ」


「バカ、行くわよ」



 そう言ってセシルはレオンの腕を引く。体格差があるため、当然動かない。が、すぐに俺もレオンの腕を引き、無理やりレオンを部屋から引き剥がした。

 抵抗しなかったところを見るに、レオンもこのままでは良くないことは自覚しているようだった。


 部屋を出るとレオンは観念したように歩き出したかと思うと、ヘレナの後には付かず、3階へと続く階段を上がっていく。

「ちょっと」とセシルが声をかけるが、それを遮ったのはヘレナだった。



「レオンハルト様の御食事は毎回別々なのです」


「は? なんでよ」


「レオンハルト様からの要望なのです」



 どこか思うところがあるのか、レオンの背を直視出来ずにヘレナは目を伏せた。



「なら俺も別でいいや。 ご飯は自分で運べばいい?」



 そう言って俺はヘレナよりも先に下へ降りようと階段に足をかける――とセシルに襟元を掴まれ、動きを封じられる。



「あんたねぇ……私たちは客人とは言え、急に来ているの。 こうしてもてなして貰えることがどれだけ――」


「構いません。 リンハルト様はそのようなことを気になさる方ではありませんから。 むしろ、御三方が良いのであれば、レオンハルト様の傍にいてあげてください」



 そう言われ、セシルは躊躇いがちに「うーん」と唸るとやがて諦めたように息を吐き、俺の襟元を掴んでいた手を離した。

 急に解放されたため体勢を崩しかけたがなんとか踏みとどまる。

「あぶねえ」と呟くがセシルはこちらを気にした様子もなく、ヘレナに向かっていた。



「それじゃあ私たちはレオンの部屋に行ってるわね」


「かしこまりました」


「え、あ、いいの? ご飯くらい自分で――」



 さすがに何でも任せっきりというのは申し訳ない。それに、夕飯時ということはヘレナだってそうであるはずだ。そんな時間に俺たちのをレオンの部屋まで運ばせるだなんて、と思ったのだけどそういう問題じゃないらしい。

 後からセシルにきつめに言い聞かされた。


 ヘレナにとってはあれが仕事なのだと。客人である俺たちは黙ってもてなしを受けることが大切なのだと。


 貴族の社会というのも大変そうだな、なんてそんな簡単な感想しか出てこなかった。

 レオンもあんなだけど、しっかりとその辺は弁えているのかもしれない。そう思うと、なんだか俺だけが取り残されているような気がして悔しかった。

 今度、セシルに教えてもらおう。


 そうして俺たちは酷く殺風景なレオンの部屋を訪ねたのだった。

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