第15話 馬車に揺られて

「なんでそんな眠そうなのよ」



 まとわりつくような視線を向けるセシルに俺はあくび混じりに答える。



「……昨日の夜本読んでてさ」



 レオンから話を聞いた帰り、図書館から参考になりそうな本を借りてみたのだ。

 医学書や薬学書。付け焼き刃の知識でどうにかなるとは思ってない。単に手がかりでもあればと思ってのことだ。


 眠気を誤魔化すために馬車の窓を開け顔を出す。

 白い雲と少し日が暮れ始め橙色に染まりつつある空。澄んだ空気を肺一杯に取り込み、一気に吐き出す。

 心做しか眠気が吹き飛んだようだ。

 道は舗装された街中とは違い、決していいとは言えないが悪いとも言い難い。周囲に建物はなく、長閑な草原が広がっている。時折すれ違う馬車もあるが、俺たちのように地方に向かう馬車はいなかった。


 ――俺たちはルクリールに事情を説明し、レオンの里帰りに着いていくことになり、四人……いや、三人と一匹……で馬車に揺られていた。

 心地のいい揺れの中、俺は昨夜本で読んだばかりの知識をセシルとレオンに言ってみた。眠気覚ましになると思ったんだ。



「結論から言うと何もわからなかった」


「そうだろうな」


「そうね」



 わかっていたように二人とも頷いた。

 レオンはディアンの街から医者や薬師を呼んだと言っていた。ディアンにいる医者なんかは俺が生まれ育った孤児院にたまに来ていた爺さんなんかよりもずっと優秀なはずだ。


 そんな優秀な医者にわからなかったことがたかだか数時間適当な本を読んだだけでわかれば苦労しないだろう。



「一応植物図鑑も読んだんだけど、人に巻きついて眠らせるなんて花はなかった。 人を餌にする植物はいくつかいたけどな」


「そんなのいるの……?」



「うぇぇ……」と舌を出し、眉をひそめる。



「いますよ」


「ジュリア、知ってるの?」



 俺の隣に座った給仕服に身を包んだジュリアは普段の赤黒い仮面を外し、その下にある異質な瞳をセシルへと向ける。

 苦手意識は当然まだあるようだが、それでも少しずつ慣れようとしているのか、セシルは積極的にジュリアと話そうとする。

 見方を変えれば唯一の女同士とも言える。同性の友達がいないセシルにとって、ジュリアはそうなれる可能性を秘めた人物……なのかもしれない。



「ええ。 というか、あの孤児院周りにも昔は居たんですよ」



 そう言ってジュリアは俺の方を流し見た。



「え、まじで?」



 記憶にある限り、孤児院周辺には図鑑にあったような危険な植物は生えていなかったはずだ。

 あの周りは遊び場になっていたし、侵入者が現れて以降、色々な場所に罠を仕掛けるために散策したが、当然見当たらなかった。



「まぁ、かなり昔のことですね。 私も直接見た訳じゃないので」


「そんな場所だったのか……」



 あの孤児院はシスターがまだ若い頃に建てたという話を聞いたことがある。

 シスターの年齢はわからないが若い頃……二十代と仮定すると五十年くらい前だったりするのだろうか。

 となると、シスターがどうにかしたのだろうか。孤児院を建てる前、シスターは何をしていたのだろうか。思えば何も知らない。


 そう言えばミオン姉さんとシスターはディアンの大聖堂というところの所属だと聞いたことがある。

 確か魔術学院から見ると対極にある大きな建物だったはずだ。そこそこ距離がある上、シスターに会いに行くと言うのも気恥ずかしかったため行かなかったけど、今度行ってみるのもありか。

 いやせめて一年くらいは間を空けないと絶対にバカにされる。「もう会いたくなったのかい」と豪快に笑い、俺をバカにするシスターの顔が思い浮かぶ。


 少しばかり過去に思いを馳せていると、セシルがこちらに視線を向けているのがわかった。

「それで、その植物は?」という言葉とともに、ジュリアが人を食べる植物について話し始めた。



「夢喰という植物です。 主様よりも少し大きい花を咲かせる巨大な植物で、その鮮やかな彩りと良い香りで人を誘い、眠らせて幸せな夢を見せて食す。 人だけじゃなく動物であればいいみたいですが、好んで人を食べるようです」


「嫌らしい植物ね」


「ええ。 ただ、見せられる夢は突飛もないものばかりですので、どうして引っかかるのか不思議ですね」



 ジュリアは首を傾げた。



「あと、生息地がよく変わると言うのも特徴の一つです」


「読んだ読んだ」



 昨夜読んだ植物図鑑に夢喰という植物についてわずかではあったが記載されていた。

 色とりどりな花畑の中心に咲いている人の体以上に大きな花弁を持つ植物。周囲の花畑は夢喰が人を誘うために咲かせているものであり、夢喰の一部とされている。

 そしてジュリアの言う通り、この夢喰は生息地が限定されていないのだ。


 一番最初に確認されたのは……えっと……



「海を挟んで隣の大陸――ドーナ大陸。 砂漠の大陸で発見されたため当時の研究者たちはこぞってドーナに向かったとされています」



 そうだ。

 砂漠の中心に花畑が出来たという情報がこの夢喰という植物の始まりだった。

 奇妙なことに夢喰は砂漠で発見されてから数年後、一年のほとんどが雪で覆われている大陸で発見される。

 何が奇妙かと言うと、生息環境がまるで違うのもそうなのだが、砂漠の夢喰は姿を消すのだ。


 そしてその数年後ディアン大陸の南東部で目撃されるのと同時期、雪原に自生していた夢喰は姿を消す。

 何度も生息地を変えては元の生息地から姿を消す植物なのだ。


 ここから研究者たちが推測したことは、


「夢喰は自らの意思で移動している」


 と言うものだった。

 単なる植物がどういう移動手段でこれだけの距離を動いているのかは不明だ。何せ、研究材料として持ち帰ろうと近づくと眠りに誘われる。

 周囲の花を摘み取って研究しても何も判明しない。



「新種の植物――あるいはそれに擬態した動物であるとの見解が通説になっています」



 とジュリアが締める。



「夢喰がレオンの妹に巻き付いてるって言うのは……」


「ねェな」



 いつになく口数が少なく、気分も落ち込んでいるような様子のレオンが首を振る。

 いつも立ち上げている新緑の葉のような緑色の髪は垂れ下がっており、長い前髪の隙間から見える緑の瞳には普段の元気が見えない。

 レオンの胸中に渦巻く不安は俺には推し量れない。



「図鑑に乗ってる草だったらもう解決してる」


「それもそうか……」



 会話が途切れ、少しだけ気まずい雰囲気が漂ったのを察したかのように御者を務めるおじさんが小窓から声をかけた。



「嬢ちゃんたち、もう少しで夜になる。 今日はここで野営しよう」



 日が暮れ、黒一色になった空には星が疎らに散っていた。

 焚き火の光しかない草原の影響で普段よりも星々が輝きを増しているような気がした。



「綺麗だな」


「あァ」



 草原に寝そべり星を見上げる俺とレオン。

 柔らかな草の感触が心地よいような、くすぐったいような。段々とくすぐったさが勝ち、俺は半身を起こした。

 視線の先では焚き火の近くで料理をしているセシルとジュリア。その奥では馬の様子を見ている御者のおじさんがいる。



「何よ」


「や、料理出来るんだなって」


「簡単なものくらいならね」



 馬車に積んであった鍋に水を入れ、適当な野菜やら肉やらを入れて煮詰めていく。

 野菜はセシルが買い込んでいたものらしかったが、肉に関してはジュリアがどこかからか持ってきたものだ。



「こうして食べるご飯もなかなかいいわね」


「そうだな」


「あァ」



 当初は馬車で旅をする予定じゃなかった。ジュリアの背に乗って高速で移動するのが俺の案だったのだ。早く妹に会いたいだろうと思っての提案だったのだが、セシルに却下された。

「絶対に乗りたくない」という断固たる意思のもと断られたのだ。

 レオンとセシルには一度だけジュリアの本当の姿を見せたのだ。レオンが感動していたのに対し、セシルは悲鳴を上げて泣いてしまった。


 あれに乗るくらいなら歩くというセシルの意志を尊重し、馬車での旅になったのだ。

 レオンもゆっくり行くことに関しては特に何も思ってなかったようで、むしろそっちの方が気がいいような感じだった。



「なァ」



 お椀を片手に、レオンは食事の手を止め焚き火を見つめたまま呟く。

 その言葉に俺は手を止め、セシルは手を止めずに視線を向ける。



「ありがとな」


「何よ、らしくない」



 そう言ってセシルは次々と食材をお椀の中へと入れていく。

 俺やレオンよりも小さい体だというのに一体どこに入っているのかと不思議に思い見ていると、鋭い視線で睨まれた。



「こういうのもいいなって思ってよ」


「それはそうね。 こういう旅は初めてだから楽しいわ」


「次はいつ行けるのかしら」



 セシルはようやく食事の手を止めて呟く。



「次? もう次の話かよ」


「何よ、いいじゃないの」



 不貞腐れたように口を尖らせ、お椀の中の食材を一気に胃の中へと流し込んだ。

 そんなセシルを横目に小さく笑ったレオンの横顔を見て、俺はほんの少しだけ安心した。

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