第12話 謝罪
全身が重い。押さえつけられているような重さを感じながら、目だけを動かして周囲を観察する。
目を覚ました俺がいたのは迷宮内――などではなく、魔術学院の救護室だった。
俺の右横は薬品が並べられた棚。左にはセシルの姿が見えた。
「起きたかよ」
その奥、チラと見えた緑色の髪が動きを見せる。
顔を覗かせたのはレオンだ。その表情はいつになく険しい。それもこれも全て、レオンの視線の先に立つ女――ジュリアのせいだろう。
その隣には静かに本を読む俺たちの担任であり迷宮攻略における責任者であるルクリールの姿。
長く垂れた薄茶色の髪の隙間からルクリールの瞳が俺を捉える。紐の着いた黒縁の眼鏡の位置を調節するように指先で摘んで持ち上げると、口を開く。
――が、それよりも早く、ジュリアが花のような笑みを浮かべ、すぐに俺のもとへと駆け寄ってきた。
「おはようございます、主様」
「お前……やりすぎ……」
恨み言一つで許すつもりは毛頭ないが、今はこれ以上何かする気は起きなかった。
「――テオドール君。 僕の問に答えられますね?」
言葉を遮られたルクリールは俺とジュリア雰囲気を咎めるように問いかける。
「これは何か」と。
その目は鋭く細められ、俺とジュリアとを交互に見ていた。
「コイツはジュリアって言って……」
「なぜ、魔人が君のそばに居るのですか」
「魔人……? いや、ジュリアはただの虫で――」
「ただの虫だと? これが?」
「小さい頃から俺が魔力を食べさせて、そうしてるうちに大きくなって、それで」
「――人になったと?」
そうだ。それで間違いなどない。真実だ。
ジュリアは孤児院の外で俺が捕まえた多足類の虫だ。
最初は適当な草ばかり食べさせていたけど、ある時から俺の魔力を込めた草を食べさせてみた。
単なる思いつきで、遊びの範疇だった。
それがいつの間にか魔力だけを主食とするようになり、体も大きくなって、硬く強くなった。
普通の虫とは違う育ち方をしているのは間違いない。だけど、俺にとってジュリアは大切な友達であり、相棒だ。
孤児院で一緒に育ってきた仲間なのだ。
「魔力を食べさせると人になる? そんな話聞いたことありません」
「そうだけど……! ジュリアは!」
「人の魔力を餌にして育つ魔獣などは確かに存在しています」
ルクリールは淡々と表情を変えずに話す。
俺の横ではその言葉にレオンの表情が曇った。が、今の俺にはそれを気にしている余裕はなかった。
「ですが、ただの虫が人に――魔人になるなど聞いたこともありません」
そう言ってルクリールは立ち上がる。
場の雰囲気が変わるのがわかった。一触即発。ルクリールはその薄茶色の瞳に冷たいものを宿らせる。
右掌をジュリアに向けるように突き出す。
対するジュリアはそれを受けて立つように口元に薄く笑みを浮かべる。2人の間に入らなければ、すぐにでも戦闘が始まりそうな空気だ。
「ま、待ってくれ……いや、ください……。 ジュリアは俺の、友達で……! 魔人なんかじゃ……」
ルクリールは俺の方へと一度目を動かすと、逡巡の後ため息を吐いた。それと同時に右手は下げられ、ジュリアの方も一歩後ろに下がった。
「安心してください。 さすがに生徒たちのいるところで戦いませんよ」
ルクリールは再び椅子に腰を落ち着かせ、スラリとした足を組む。膝の上で両手を組み、真っ直ぐに俺を見つめて口を開いた。
「テオドール君、一つだけ条件を飲んでください。 それでそこの魔人――ジュリアについてこれ以上疑うことはやめます」
「飲むよ……なんだって聞いてやる……!」
「ジュリアのことを調べさせていただきます」
◆
魔人の中には人間を食べる者も存在する。
正確に言えば人を食べているのではなく、人の魔力を食べている。無論、肉体の捕食も兼ねているのだが。
――食べた魔力を自身の力へと変換し、より上位の存在へとなる。
過去、討伐された魔人の中にはそういう者も多数いた。
では、同様の存在とされる魔獣はどうか。
魔獣は人に限らず命あるもの全てを食らう。それには人も魔人も関係ない。
魔獣とは理性なき獣の総称だ。
ならば、普通の動物――今回の場合、虫はどうだ。
人を主食とする動物はいない。人を食べてしまう動物はいるが、狙って獲物にするそんざいはいない。
そして、虫が人を食べるなんて事例は一度たりとも聞いたことがない。
加えて、魔力を食べる虫など聞いたこともない。
新種の虫かとも思えたが、テオドール君の話を聞く限りその可能性は低いと考えられる。
彼の育った孤児院が特別な環境だったということや、その孤児院がある地域が珍しい場所であるということも無い。
そこで、一つの仮説を立てた。
その仮説を立証するために、ジュリアという存在になる前に捕まえたと思われる多足類の虫を数匹。
実験用の小さな鼠も数匹。
レオンハルト君の意見も取り入れ、植物も数種類揃えた。
これらに僕自身の魔力を注いでいく、という実験だ。
テオドール君、レオンハルト君、セシル君の3人が目覚めてから一週間が経過したが実験には何の変化もない。
僕の考えが正しければ、この実験を何数週間……いや、何年続けたところで変化は無い。
僕が立てた仮説とは――
「テオドール君の魔力に原因がある」
だが、仮にそれが正しかったとしてその答え合わせが出来る日は来るのだろうか。
◆
「貸し1つだから」
凛とした切れ長の青い瞳を閉じ、顔を逸らしてセシルは言った。
冷たく突き放すような言い方ではあるが、許してくれるということだった。
「本当にありがとう。 そしてしつこいようだけどごめん」
俺たち3人が迷宮攻略を終えてからしばらくの時間が経った。ルクリールの治癒魔術のおかげもあり、順調に回復し、全員が今まで通りの生活に戻ったのがつい先日の出来事だ。
最初に回復したレオンのところへは既に行ってきており、謝罪を済ませた……と言っていいのかは不明だけど、頭を下げたことには間違いない。
レオンはまるで気にした様子がなかった。
迷宮の最深部で俺たちを待ち構えていたジュリアの飼い主として責任を感じていた俺からしても不自然なほどあっさりしたものだった。
ジュリアと俺で頭を下げたのだが、どこか気の抜けた返事で、何かを考えているような様子だった。すぐに何かを思いついたように「あー」と言葉を漏らすと、俺とジュリアとを交互に見たあと、これもまた不自然に何も言わず、部屋に戻ってしまったのだ。
そんなこんなでレオンへの謝罪は一応終え、続いてセシルのところへとやってきたのだ。
この間、ようやく治療が終わり、俺とジュリアは面会を許可されたのだ。
恐怖の対象であるジュリアと会いたくないと言うのが本音らしかった。
何せ、3人の中で一番重症だったのがセシルだ。俺やレオンはセシルが吹き飛ばされた後で戦闘に移行しているため、ある程度の防御体勢が整っていた。だが、セシルは違う。
油断はしてなかっただろうが、ほとんど不意打ちのような形で壁に打ち付けられ、意識を失った。複数箇所にヒビが入っており、骨折も見られた。それでも大事に至らなかったのはジュリアが本気ではなかったからだとルクリールは話した。
「許したわけじゃないから」
セシルはあくまで俺の横に立つジュリアに対して言っているようだった。
その瞳の奥に仕舞いこまれた今日負の感情を推し量ることはできない。俺にはいつも通りのセシルにしか見えなかったが、胸の前で組んだ腕を見ると指先が小さく震えていた。
「申し訳ありません」
ジュリアは迷宮最深部にいた時のようなドレスに似た給仕服に身を包んではいるものの、武装はしておらず、あの赤黒い仮面も付けていない。
素顔を晒し、真摯に頭を下げている。
「それでいい。 その言葉は忘れない」
「はぁ……そんな固くならなくてもいいから。 別にもう怒ってもないし」
「そ、そうか……それなら、よかった」
「ただし、次はないから。 次は絶交よ」
「肝に銘じておく」
強い口調でそう言ってセシルは人差し指を立てた。
貸1つとすることでセシルの方も矛を収めてくれるようだ。
俺はもう一度頭を下げる。それに続くようにジュリアも頭を下げる。
「で、結局ジュリアは何なの? ルクリールから聞いた話だと――ちょっと中入りなさい」
ぐいっと腕を引っ張り、俺を部屋の中へと引きずり込む。
扉を閉め、鍵をかけると声を潜めてもう一度質問を飛ばした。
「魔人って本当なの」
周囲に聞かれることを配慮してくれたようだった。
「違う。 ジュリアは俺が捕まえた虫だ」
「ただの虫が人になるわけないじゃない」
俺はルクリールに話したことをセシルにももう一度話した。
納得はできないが理解はした様子で頷き、ジュリアの姿を見上げた。
セシルの冷たい青い瞳に射抜かれ、赤と黒の瞳が揺らぐ。
その額には少し汗が浮かんでいた。
「敵じゃないのよね」
確認を取るようにそう言う。
「絶対に違う」
「そ。 ならそれでいいわ、納得してあげる」
肩を落とし、セシルはようやく緊張の糸を解いたようだった。
溜めていたものを一気に吐き出すように息を吐くと、扉の鍵を開ける。
「ほら、ご飯食べに行きましょ。 お腹すいたし」
「――そうだな」
ジュリアの一件はこうして一応の幕を下ろした。
ルクリールの計らいにより、学院内でのジュリアの立ち位置は俺の従者ということになった。
ルクリールがどう立ち回ったのかは不明だが、他教師陣からの追求もない。生徒たちからは好奇の目で見られはしたが、元々注目を集めていた俺たちにはあまり関係のない話だった。
「あ、今日奢ってよ」
「おう。 好きなもん食べさせてやる」
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