第11話 最深部へ

 迷宮内部は想像よりも明るく、涼し気な空気で満ちていた。

 人が寄り付かない孤高の迷宮を想像していたため拍子抜けしてしまったが、今一度気を引き締める。


 息を吐き、ぐるりと視線を動かした。

 等間隔に設置された松明が周囲を照らしている。それに加え、ルクリールの魔術で生み出された光の球が俺たち3人の周囲を飛んでいるため視界は良好だ。


 向かってくる魔獣たちも低級なものたちばかりで、ルクリールの言う通りこの迷宮は俺たちにとって簡単すぎた。



「交代ね」


「少し動きたりねェけど仕方ねェ」



 レオンは、歪んだ顔と小さな緑色の体を持つ小鬼を風魔術で壁に叩きつけると退屈そうに頭をかきながらセシルに先頭を譲る。


 俺たちは交代交代で戦闘を受け持つことにした。仮に多対一となった場合でもこの程度ならば問題はない。

 この迷宮の魔獣は知能が低いのか、徒党を組んで襲いに来るということがない。統率が取れていない連中を相手にするのは簡単だ。こちらが手を下さずとも、喧嘩になり自滅することもしばしばあった。


 ルクリールに禁じられてしまった大規模な魔術を使うまでもなく、俺たちは迷宮の奥深くまでやってくることが出来た。



「あくびが出るほど簡単じゃない。 これが迷宮?」



 口元に手を当て、小さく欠伸をして見せる。

 セシルの周囲には額に小さな穴の空いた小鬼が何体も転がっていた。



「そう言うなよな、他の皆はそうじゃないみたいだし」



 足元の小鬼を跨ぎながら、チラと後ろに視線を向けた。

 後続が俺たちに追い付くような気配は無い。

 一番初めに迷宮入りした俺たちが魔獣を殲滅して回ったとしても迷宮は無限に魔獣を生み出す。

 つまり、後続が楽して迷宮踏破できるような仕組みにはなっていないのだ。


 盛り上がり所の無い迷宮攻略に、退屈からか会話が少なくなる。


 不意に、俺は足元に視線を落とす。

 一度試してみるか?

 いや待て、ルクリールの監視もある。あまり不用意に呼ぶべきではないか?

 いやでも退屈だしな。遊び相手としてアイツは充分すぎるだろう。まだレオンとセシルには紹介してないし、アイツも久しぶりに体を動かしたいだろう。


 反応があれば、だけど――


 首を振り、俺は足元を2回ほど叩く。


 ――が、やはり反応は無い。

 このところ毎回こうなのだ。外に出て呼び出してみても、人目のないところで呼び出してみても、声をかけてみても何も反応が無い。

 今までこんなことは一度もなかった。

 もしかして迷宮内なら、なんて思ったけれどその期待も裏切られる。

 何かあったのだろうかと心配になるが、ジュリアに何かあるところは想像できない。

上手く意思の疎通が出来てなかったのかと不安になるじゃないか。



「ねえ! 大きな扉があったわよ」



 先行していたセシルからの声で俺は我に返る。

 セシルの言う通り、少し歩くと青銅色の扉が現れた。



「もう最深部だったのか。 なんか不完全燃焼だな」


「次は傭兵団の方がいいかもなァ。 何の収穫もねェ」


「こんな呆気ないと研究の方に行きたかったわね」



 各々、迷宮攻略が終わるということもあり胸の内に小さくない後悔が渦巻いていた。

 さすがに一年生向けということもあり、研修先をどこにしたとしても同じだったとは思うが、あまりにも簡単に事が運びすぎた。


 迷宮最深部にあった扉は思いの外重く、3人で押してようやく開いていく。

 中に閉じ込められていた冷たい風が足元を吹き抜ける。こちらを掴んで離さないように足に巻きついた風は胸の中に決して小さくない不安を植え付けた。

 が、すぐにここまでの道中を思い出し、大したことないだろうと心を落ち着かせた。


 ルクリールの話によれば最深部にいるのはここに至るまでで大量に見てきた小鬼の上位種という。


 ゴブリン……なんだっけ。



「ホワイトゴブリンね」



 まるで心の中でも覗いたかのようにセシルが答える。「顔に出てるのよ」と言っていたがそんなにわかりやすかっただろうか。


 そうして最深部に足を踏み入れると、俺たちの視線は一箇所に釘付けになった。


 骨ばった丸い背中でありながら今の俺たちと同じくらいの背丈。緑色の体をした小鬼たちとは違い、その肌は白い。

 ごく稀にしか生まれないという個体の小鬼は――奇妙なくらい歪んだ顔をさらに歪めて地面に伏していた。


 青緑色の液体が周囲に飛び散っている。

 まるで上から押し潰されたかのように体は平たく、眼窩を飛び出した眼球が神経とともに転がっていた。

 認識した途端、室内に充満していた臭いに気づく。体に内包されていた油と、独特な色味を持った血の臭い。セシルは眉をひそめ、口元に手を当てて視線を横に逸らした。

 三人とも、そのおぞましい光景に足が止まる。



「う、ぁ――なによこれ」


「は? もう死んでんじゃねェか」


「そ、そんな訳ないだろ……」



 ルクリールから言い渡されていたのはこのホワイトゴブリンを倒して地上に戻ってくること。

 その際、体の一部を持ち帰れば倒したと認めるというものだ。

 ならば、あれごと持って帰れば俺たちは余裕で迷宮攻略完了というわけだ。


 だが、何かが違う。それはホワイトゴブリンという名の魔獣が地に伏していることもそうだが、決定的に今までの迷宮内部との空気が違う。

 別の場所に迷い込んでしまったような錯覚に襲われる。これまで歩いてきた道が確かにあることを確認したくて後ろを振り向くと、扉が閉まりかけていた。



「やば――」



 言い切るよりも早く、扉は俺を嘲笑うような音を立てて閉じられた。


 これはルクリールの想定の範囲内なのだろうか。それとも、俺たち3人の実力を試すためのテストなのか?

 いや、テストにしては過激すぎる。ルクリールは生徒を大切に思う教師なはずだ。これはルクリールのやり方には沿わない。なら――


 本能的にまずいと思った。

 何がそうさせたのかはわからないが、俺たちはすぐに戦闘態勢に入った。


 警戒を一段階……いや三段階ほど上げた俺たちはそれでもまだ、ホワイトゴブリンから目を離せずにいた。

 誰一人、油断などしていない。些細な変化も見逃すはずなかった。

 身を寄せ合うようにして立ったセシル、レオン、俺は互いの息遣いがうるさく感じるほど神経が過敏になっていた。


 三人のうち、誰が初めに気づいたかはわからない。皆が同時に気づいたようにも思える。


「あっ」とセシルの短すぎる言葉。

 何かと尋ねることはない。それは俺とレオンの心の声を代弁したものでもあったからだ。


 ――人型の何かがそこにいた。

 黒と白で作られたドレスのようなものに身を包み、顔には赤黒い仮面のようなものを付けている。目元が少し見えるように細い穴が六つほど空いており、その奥には赤と黒の瞳が覗いていた。

 この場には似つかわしくない格好をした背の高い女。レオンよりも高い。体の線からして女性であることは確かだが、根本的な何かが全く違う。


 いつからそこに居たのかという動揺が後からやってくる。


 この場にいる誰一人、あの死体から目を離していない。それなのに、アレはそのすぐそばに立っている。



「何よ……アレ」


「知らねェ。 けど、かなりヤベェぞ」


「いつの間に――」



 知識にない魔獣だ。いや、魔獣なのか?

 迷宮最深部にいるから魔獣なのだろうが、あまりにも人に姿が近い。魔人族か?だとしたらなんでこんなところに。


 黒い篭手のようなものに覆われた指先でドレスの端をつまみ上げ、足を引き、頭を下げる。その所作は貴族がするような礼に似ていた。

 呆気に取られはしたが、決して油断したわけじゃない。油断など、するはずもないのだが――



「きゃ――――」



 短い悲鳴とともにセシルの姿が消えた。それと同時に聞こえてきた大きな音と、パラパラと破片が落ちるような音が耳に届き、俺はすぐに後ろを向いた。

 凄まじい速さの何かに吹き飛ばされたのだ。壁に打ち付けられたセシルはぐったりともたれかかり、こちらの呼び掛けに答えない。

 セシルが立っていた場所には、ヤツがいた。

 赤黒い仮面の下から覗く瞳が俺とレオンを捉える。



「速――」



 防御態勢を取るのが少しでも遅れていればどうなっていたかわからない。

 防御したはずだと言うのに、全身が悲鳴をあげている。

 腹部からは優しくない痛みが伝わってくる。視界が激しく揺れ、何度も何度も回転する。

 有り得ない視界の動きに着いていけない。


 ようやく止まったかと思えば今度は込み上げてきた吐瀉物を堪えることもできず撒き散らす。

 一部、血が混じっているのか赤黒いものも転々とあった。

 視線を横に移すと、レオンがヤツと対峙していた。


 レオンは俺やセシルよりも強い。魔術では横並びの俺らだが、格闘に関しては体格差によって順序があった。

 だから、レオンだけはヤツと対等に――



「な――ッ!」



 戦えると思っていた。

 レオンの拳と風魔術を軽くいなしていく。レオンの蹴りに反応し、右手でそれを受け止めるとレオンの体を軽々と持ち上げ、まるで子どもがおもちゃを投げるように腕を振る。

 声を上げることも無く、レオンは静かに土煙の中に飲まれてしまう。


 残ったのは今にも意識を失いそうな俺だけだ。

 やるしかない。


 これまで感じたこともないほどの激痛を訴えてくる腹部を押さえつけるように左手を添え、震える体と霞む視界で膝を着く。

 立ち上がることは無理だった。


 ――大規模魔術の使用を禁じます。


 ルクリールの言葉が頭をよぎったが関係ない。


 そんなものを守って死ぬくらいなら、破って死んでやる。


 轟音とともに俺の髪が下から発生した熱風によりかき上げられる。体の内部を焼くような熱風。

 腹部の痛みをより一層強調してくるが、逆に今はありがたかった。そのお陰で意識を強引に保つことが出来る。


 間違ってもレオンやセシルに被害が及ばないように細心の注意を払いながら、魔術の範囲を前方にいる――推定魔獣へ絞り込みながら地面に魔力を流し込んでいく。


 孤児院の周囲を焼け野原にしたあの時と同じように俺は炎の大地を作り上げるつもりだ。

 地面から漏れ出た炎が勢いよく噴射され、ヤツの体を燃やしていくが、その体には傷一つつかない。それどころか、ドレスが燃えることもなかった。



「なんなんだよ、お前……」



 瞬間、ソイツは口元に大きな笑みを浮かべ地面を踏みつける。

 身にまとったドレスが風圧で巻き上がり、瞬きも許さない刹那の間に姿を消した。


 足元が炎の魔術により脆くなっているとは言え、そこはヤツの足跡がハッキリとわかるほど破壊されていた。どれほどの強さで踏み込んだのか理解できないほどの力量差を感じ取る。


 いや、そんなことを考える暇はないのだ。


 今、ヤツの姿は俺の視界にはいない。つまり、攻撃がきっと飛んでくる。


 練り上げろ。ヤツを倒せるだけの魔力を――


 そして考えろ、ヤツを倒す方法、ここから脱出する方法、皆を救う方法を。



「――!」



 気がつけば、眼前にまで迫っていたヤツが横っ飛びになって吹き飛んだ。続いて俺の頬を撫でたのは暴風だ。

 視線の先には地面に倒れたまま腕を伸ばすレオンの姿があった。さすがはレオンだ、投げ飛ばされてもなお意識があった。


 レオンによって生じた隙を逃すはずもなく、俺は痛む体に鞭を打ち、走る。

 四足歩行の獣のように手を付きながら、みっともなく。


 まだヤツの体勢は整っていない。今なら防御できはしないだろう。

 練り上げた魔力を放出し、拳に炎を纏わせる。

 鈍痛を訴える腹部に力を入れ、右足で強く踏み込む。

 腹部から逆流してきた血が口から溢れるが構わない。


 加減はしない、最大出力だ。


 3ヶ月前、セシルに放った火球よりも込められた魔力量は多い。皆を連れて逃げ出せるだけの余力を残した俺の全力だ。

 ヤツと仮面越しだか目が合う。



「くたばれ――」



 ヤツに拳が衝突し、爆風とともに体が巻き上がる。

 制御困難な風の中、セシルもともに吹き飛んでいるのが見えた。なんとかしてセシルを助けなければと思ったのだが、体は思うように動かない。



「――世話、焼けるな……ったくよォ」


「レオン、無事か……」


「おうよ、俺様を誰だと思ってやがる」



 そう言って咳き込むレオンはすぐにセシルを確保すると爆風の中を自在に飛び回り、着地した。

 すぐに片膝を着き、ヤツの動向を確認する。

 俺もレオンも限界だ。肩で息をし、霞む視界でこれ以上の戦闘は不可能だ。

 祈るような……縋るようなそんな視線はヤツの姿がわかるまで注がれていた。


 爆煙の中、次第に影が見え始める。それは最初に見た頃よりも確実に大きな影。棘が幾つも生えたような壁と、ヤツの影だった。

 次第に爆煙が消え、ヤツの姿が見えてくると――



「なっ――」



 俺は動揺を隠せずに声を漏らす。



「信じられねェ。 あの一瞬で防ぎやがったのかよ……」



 レオンは俺の攻撃を受けて見せたその腕に戸惑い、驚いているようだが、俺の驚きはそれを凌駕していた。


 目で追えない速さ。全力を出しても通用しない硬さ。そして、今しがた地中から生えているあの壁――いや、体。


 間違いない。ヤツは、アイツは――――



「ジュリア……?」


「は? ジュリア? 知り合いか?」


「お前、ジュリアだろ! わかるか、俺だよ、テオドールだ!」



 ミオン姉さんにイタズラをするために捕まえた足が多くてカッコイイ虫。

 テオドール・ジュニアと名付けたのだが、次第にその名前に反応を示さなくなり、なくなくジュリアへと改名した俺の相棒。

 姿形は大きく変わってしまっているが、そうだコイツはジュリアだ。



「ああ――」



 俺がジュリアと呼んだその存在は三日月の形に口元を歪ませると両手を大きく広げる。



「ようやく! ようやく気づいてくれたのですね!」


「なんだよ、アイツは……」


「ジュリアどうして――」


「どうです、主様。 わたくし、ジュリアはこんなにも成長いたしました」


「成長……?」


「ええ! そうですとも! 主様のそばに居たいという一心で、わたくし、蛹から成虫になったのです!」


「――蛹?」



 ジュリアは蛹にはなれないだろう。


 という言葉を挟む余裕はもうなかった。



「物の例えですよ」



 いつの間にか俺はジュリアの腕の中にいた。

 赤黒い仮面は外れ、その下にある素顔があらわになった。人間の女性と言っても誰も疑わないであろう顔立ち。

筋の通った鼻と大きな瞳。画面越しに見えていた通り、その瞳は赤と黒。本来白くあるべき箇所が黒く、黒であるべき箇所が赤い。

なんとも言い難い、怪物然とした

 にこやかな笑みを浮かべる。

 が、痛みを我慢していた俺は限界に達し、次第に視界が暗くなっていく。微睡むように瞼が重たく、逆らうことも出来ずに意識は闇の中へと落ちていった。

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