第9話 赤対青
「後悔しても遅いから――」
青バカは即座に地面に手を付ける。
周囲一帯に魔力を流し込んだようだ。青白い光が訓練場の黄土色の地面を塗り替えていく。あまりに神秘的な光景、見る人が見れば感動するだろう。
そうならなかったのはその速度に驚かされたからだ。
俺だって訓練場の地面に魔力を流すことくらいはやれる。が、ここまでの速度でできるかと聞かれれば首を横に振るしかない。
目の前にいるこの青いバカはルクリールの合図と同時に一帯を青く染め上げたのだ。
魔術は構築→溜め→放出→具現化という過程を経て日常生活や攻撃魔術へと転換される。
構築はどう魔術を使うか。最悪、ここはなくても反射的に魔術を使うことは可能だ。
ただ溜めは必須。溜めを必要としない魔術はない。魔力を溜め、放出する。そうしてようやく魔術としての形を成すのだ。現に、俺は攻撃をするために魔力を腕に溜めている最中だ。
この速さはあらかじめ用意していたと言われても不思議ではない。
「っ、すげえな……」
範囲が広ければ広いほど溜める魔力は多くなるし、時間もかかる。俺が孤児院の周辺を焼け野原にしてしまった時もそうだった。
だが、青バカは溜めの段階を無視したかのごとき速度で周囲を魔力で満たしてみせた。
視線をレオンたちがいる方へと向ける。
この魔術の範囲は訓練場全体に及んでいる。ここにいる者全てを攻撃対象としているのだ。
脳裏に浮かぶのは焼け爛れた荒野と化した大地。
――こいつも俺と同じで範囲魔術を得意としておきながら、周囲へ被害を与えてしまうのだろうか。
人や周囲の土地を巻き込み、破壊する魔術は俺が最も嫌う魔術でもある。舌を打ち、レオンの方へ視線を動かすと何故かレオンはにっと口元を上げ親指を立てた。
瞬間、彼のいた範囲――ちょうどクラスメイトたち全員が収まる――に緑色の魔力が広がる。
なるほど、自分の魔力で打ち消しているのか。
「これである程度は大丈夫だ! 俺らのことは気にせずやっちまえ!」
拳を突き出すように持ち上げ、声を張り上げるレオンに俺は何とか答えようと思い、「任せろ!」と叫んだ。
あいつもあいつで範囲魔術が使えるようだった。それでも青バカと比較すれば見劣りしてしまう。
だが、これで憂いなく戦える。
俺は溜めていた魔力を放出し、右腕に炎を巻き付ける。構えると、青バカは少し驚いた表情をしていた。視線は俺とレオンとを交互に行っているように見える。
「あなたたちも私と同じ――」
「手加減しねえからな――っ!」
踏み込んだその一歩目、パシャッという気の緩む音と共に、俺の体は沈み込む。
視線を違和感のした足元へと落とすと、右足首を少し過ぎたあたりまで地面に吸い込まれるように沈んでいた。
右足という軸を失った体は容易に前へと倒れ込み、地面が迫ってきていた。
――揺れている。いや、これは波か。波紋のように地面が波打っている。
「くそっ……が!」
右腕を前へ突き出し、巻きついていた炎を勢いよく噴射する。沈みかけていた体を噴射の勢いで宙へ押し出すと、そのまま姿勢を立て直し、眼下で笑みを浮かべている青バカを睨みつける。
――しまった。焦って考え無しに上に飛んだ。
一歩踏み込んだ時点であれほど沈んだのだ。着地にはその時以上の体重がかかる。その結果、どうなるのかは目に見えている。
全身が深くまで沈む。
このまま着地するだけではダメだ。ならば、どうする。どう着地する。
考えろ、テオドール。
◆
自分を上に弾き飛ばすほどの炎の威力という少し計算外なことはあったけれど結果的に私の勝ちは揺るがない。
最初の一歩で決着が着くはずだったのに抜け出したことは賞賛に値するけれど、そこから先はどうやったって私の勝ちにしかならない。
範囲内を水へと変える魔術。
当然、魔力で打ち消されてしまうものだけれど、私の魔術速度を上回れる人や上書きできる人なんているわけがない。
私まで近づける人なんて誰もいないんだから。
と、さっきまでは考えていたのだけど――
視線を左に移動させる。あぐらをかいて余裕の笑みを浮かべる緑色の頭をした粗暴そうなバカと、その正面――私から見て右側に立つルクリールという名の教師を見て考えが変わった。
為す術なく沈んでいく連中とは違う人たちが存在する。その事実を得られただけでも大きな収穫と言っていいわね。
緑バカの方は私と同等以上の魔力量で上書きしているようだけれど、ルクリールの方はわからない。無機質な表情を貼り付けたまま私たちの行く末を見ている。
さらに大きな収穫だったのは、私がバカだと見下した2人が想像以上の実力者だったこと。
2人は私と同じく無詠唱で魔術を使っているように見えた。もしも、私と同じだと言うのなら、その境遇も同じと考えてもいいのかしら……
だけど――
「私の勝ちよ」
◆
自由落下に身を任せながら俺は思考する。
上空から見えていたのは勝ち誇ったように口角を上げる青バカと、何かを期待するような目で俺を見上げてくるレオン、そして静観に徹するルクリールだ。
魔力で打ち消せばいい。
答えは単純だ。俺もレオンやルクリールのようにやればいいだけ。
だが、それが難しい。
「っ、時間がねえな」
地面にぶつかるよりも早く魔力を溜め、それを纏う。そんな速度で俺は魔術を使えない。
俺は範囲と威力は誰にも負ける気はないが、魔力を器用に放出することと溜める速度はかなり苦手だ。
右腕や左腕など場所を限定して、なおかつ一箇所が限界だ。
まあ、仮に全身に魔力を纏えたとしても、地面への衝突の威力をどうにかできるとは思えない。
空中に放り出された右腕が視界に入る。
きっと、炎を纏っている右腕だけならば沈まないのだろうが、それでは意味が無い。
つまり、今の俺には対抗手段がない。
――本当に?
観察しているのがバレないように青バカに視線を向ける。アイツは俺がこのまま地面に沈むことを確信している。それは俺も同じだ。きっと俺はこのまま沈んでいくのだろう。
だが、その油断は絶対に見逃してはならないはずだ。
――そうか。
「ちくしょおおおおおおおお!!!!」
俺は声を荒らげ地面に落ちていく。落ちていく最中、俺は頭から落ちることのないように姿勢をさりげなく整える。
瞬間、レオンの「何やってんだよお前」という顔が目に入ったがこれでいい。
すぐに青バカに視線を向け、完全に油断していることを確認すると俺は右腕の炎を手のひらに集束させる。
元々纏っていたものを動かすくらいなら、俺でもすぐに出来るはずだ。
攻撃の機会は一瞬。それを逃せば俺は沈むだけだ。あとはアイツが怪我をしない程度に威力を調節できれば、俺の勝ちだ。
――まだ。
地面が迫る。
――まだだ。
もう数秒もしないで俺の体は沈んでいく。
――今!
俺の体が地面に触れ、大きな水飛沫を上げたその瞬間、右腕に込められていた魔力を全開放する。
お得意の火球のお見舞い――だ……?
「やばい! ミスった! 避けろ、青バカ――ッ!」
俺の体を遥かに凌駕するほどの火球は地面を抉り、周囲を焦土へと変えながら青バカへと突進する。
凄まじい破壊力を誇っているななど考えている暇は一秒たりともなかった。直撃=死。つまりアイツが避けられなければ俺は人殺しへと変わってしまう。
入学初日でクラスメイトを殺害して退学処分なんてミオン姉さんやシスターに知れ渡ったら何を思われるのか。
だから、死ぬ気で避けてくれ――!
「なによ、これ――」
ダメだ、アイツ恐怖して動けなくなっている。あのままでは炎に飲まれて――
「止め」
パンという音と共に俺の放った火球は弾け飛んだ。そして俺の体は完全に地面へと沈んだ。
「――おい、平気か?」
「……体が痛い」
レオンが俺の顔を覗き込んでいた。
どうやら少しの間意識を失っていたらしい。
何をしていたのかと少し記憶を探り、俺はすぐに青バカの姿を探した。
――無事だ。
少し火傷をしたのか傷の治療を受けてはいたものの大事には至らなかった。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、俺と青バカはルクリールに呼び出される。怒られるのかと思った直後、ルクリールはたった一言。
「素晴らしかった」
とだけ告げた。
「は――怒らねえのかよ」
「怒る? なぜ」
「なぜって……俺はコイツを殺してたかもしれない……から……」
「そんなことには絶対にならない」
「なんで言い切るんだよ」
「僕がいるからだ」
その瞳には揺るぎない自信が見られた。
たしかに、俺のあの火球を片手で易々と消し飛ばして見せた実力があれば誤って大怪我をさせてしまうということも無いのかもしれない。
大事になる前に、ルクリールが守るということの表れだ。
「ありがとう……ございます」
「感謝も違う。 君たちは生徒だ。 生徒を守るのは僕の仕事だ」
「わ、私も、その――ありがとうございました」
あくまで無表情にルクリールはそう言い放つとすぐに他のクラスメイトたちの様子を見に行った。
残されたのは俺と青バカ。
もしかすると、ルクリールはこの気まずい空気も計算に入れて俺たちを残したのかもしれない。
いや違う。
俺には言うべきことがある。
「――ごめん。 もう少しで取り返しのつかないことになってた」
「……謝るのは私の方よ。 バカだなんて言ってごめんなさい」
そうして互いに頭を下げあった。
「今日からその……よろしく、テオドール」
「――おう、よろしくな、セシル」
仲直りの証として握手をし、俺とセシルは友達になった。入学初日にして俺はレオンとセシルという友達を得たのだ。
ミオン姉さんたちに手紙でも書いてやろうかな。
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