第7話 旅立ちの日に

 夜。

 あっという間だった。

 物心ついた時にはこの孤児院にいて、ミオン姉さんやシスター、それにリオン兄やドロア姉がいた。

 俺のイタズラに本気で怒るミオン姉さんやドロア姉。一緒になってイタズラを考えてくれたリオン兄。

 2人がいた時、俺はまだまだ子供で、好き勝手何かをやってもやらなくても自由だった。

 だけど、2人がいなくなって俺は少しずつ変わった。このままじゃダメだとどこかで考えたんだ。

 大きく変われたわけじゃないけど、確かに変わった。リオン兄やドロア姉と同じように手本となる兄として皆に振舞った。



「テオ」


「なんだよ」


「明日だね」


「……そうだな」


「あっという間だったね」


「ほんとな」


「私、ここに来れてよかった」


「……俺も」


「私、生きててよかった」


「……そうだな」


「孤児院の皆にミオンさんやシスター、メロウに……一応ジュリア。 そしてテオに会えてよかった」


「ああ」


「できればずっといたい」


「わかるよ」


「でも、変わらないものなんてないんだよね」


「そうだな。 みんなも、俺も、ノマも変わった」


「私なんて特にだよね」



 そう言ってノマは笑う。



「最初はさ、死にたいってずっと考えてた。 お母さんもお父さんも死んじゃって、誰も知らない場所に来て家族になれなんて無理だと思った」



 魔人族との戦争に巻き込まれ、ノマは両親を失った。

 最初は塞ぎ込んで、誰とも何も話さずたった一人で過ごしていた。とても陰気臭いやつだと思ったのを覚えている。

 全く笑わないし、何をしても反応がない。いつもいつも暗い顔をして、何もしてないのに泣きそうな目をしていた。



「いつだっけ、テオがさ私を助けてくれたよね」


「助けた? 俺が?」


「そうだよ。 覚えてない?」



 そんなこと、あっただろうか。



「ほら、吹雪の日にさ。 私、外に出ちゃって」


「ああ! あれか! あれは別に助けたとかじゃないだろ」


「助けられたんだよ。 あの日がなかったら、きっと今の私はいない。 あの日、テオの前で恥ずかしげもなく泣いたから、今の私がいるんだよ」


「なんだよ、それ」


「わかんない」



 いつになく、ノマの雰囲気が柔らかかった。

 夜の暗闇の中ではその表情を見ることは出来ないが、きっといい笑顔を浮かべているのだろう。



「ねえ、テオ」


「なんだよ」


「忘れないでね」


「忘れるかよ。 家族なんだ。 死んでも忘れてやらねえ」


「約束だよ」


「そっちこそ、次会った時に忘れてたらジュリアを巻き付かせてやる」


「うわ、それはちょっと……」


「嫌なら忘れるなよな」


「はーい、忘れません」



 なんだかいつものノマとは別人のようだ。



「なあ」


「何?」


「明日、だな」


「そうだね」


「本当に明日なんだな」


「そうだね。 明日だね」


「あっという間だったな」


「ふふっ、何それ。 さっきの私と同じこと言ってる」


「うるせえ」


「テオも、寝たくないんだね」



 このまま目を閉じれば、容赦なく陽は昇り明日は来る。寝なければ明日は来ないんじゃないかなんて、バカみたいなことを考えてしまう。

 このまま夜が明けなければ俺たちはずっとこのままでいられるのに。



「テオ」


「なんだよ」


「忘れないでね、約束だよ」



 わかってるよ。

 俺が、家族のことを忘れるはずがないだろう。


 次第に言葉数が少なくなっていくノマと俺。さすがに体力の限界が来てしまったようだ。

 俺の意識は夜の闇に溶けて消えていくようになくなってしまった。



 ◆



「テオドール、大きくなったわね」


「もう10歳だからな」



 俺はミオン姉さんが旅立ちの日に向けて買ってくれていた服に袖を通し、鏡の前に立っていた。

 赤茶色の髪と赤茶色の瞳。見慣れたいつもの俺の姿だったが、その表情はどこか不安そうに見えた。その表情を見て、ミオン姉さんは少し笑いながら、俺の頭をぐしゃぐしゃになるまで撫でた。

「やめろよ」と言っても容赦なくそれは続き、ノマが部屋にやってくるまで続いた。



「テオ、馬車が来たみたい」



 そう告げたノマの顔は何かを塞き止めるように無表情だった。



 ◆



 リオン兄とドロア姉を送り出したあの日から、俺とノマは立場が変わり、送り出される側に立った。

 そこから見える風景はあの時とは全く違って見えた。


 相変わらずシスターはいなかったけど、孤児院を背に、皆一様にいつもとは違う雰囲気をまとって、黙って俺たちを見ていた。

 最初に口を開いたのは少し背が伸び、お姉さんっぽくなったメロウだ。

 いつもと同じ幼く可憐な笑みを浮かべてみせる彼女だったが、紅い瞳の周りが少し腫れていた。



「テオ兄さま、ノマちゃん。 いつも私たちの面倒を見てくれてありがとう。 優しい2人が私たちは大好きです」



 メロウの目には涙が浮かんでいた。

 声は上ずり、鼻水をすすりながらも、俺たちに心配かけたくないのか笑みだけは絶やさなかった。



「2人がいてくれたから私たちは安心してやんちゃが出来たし、2人がいたから毎日が楽しかった」



 俺はどんな顔なのだろう。

 あまり、皆の顔を見れていないことだけは確かだった。



「ノマちゃん、私たちのお姉ちゃんがノマチャンでよかった。 いつも優しく見守ってくれて、たまに度が過ぎるイタズラをするテオ兄さまを叱ってくれて、みんなと一緒に笑ってくれるノマちゃんが大好き」



 俺の隣から決して小さくない泣き声が聞こえていた。



「テオ兄さま、わがままばかりの私だったけど、呆れたりしないで相手をしてくれるあなたが大好きです。 私たちと一緒になって遊んでくれたり、イタズラをして怒られたり、テオ兄さまのお陰で毎日飽きなかった」



 不思議と、天を仰ぐことしか出来ずにいた。



「私たちは2人が大好きです。 大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが、心配にならないように、今度は私がお姉ちゃんとして皆を守ります。 だから、安心して、次の道を歩んでください」



 言い切ると、メロウは俺の胸へと飛び込んできた。

 そして、俺がメロウの背に手を置くと、待っていたかのように声を上げて泣き出した。成長したと思っていたのにこれかよ。心配させないって言った瞬間じゃねえかよ。



「くそ、くそ。 泣かねえって決めてたのによ……」



 ああもう、ダメだ。

 一度決壊してしまったものは簡単には抑えられない。俺はメロウを抱きしめ、そのまま一緒に声を上げて泣いた。

 気がつけばノマも、ミオン姉さんも、みんなもそこにいた。

 もう10歳になると言うのに、人目もはばからず泣き尽くした。



「――っ、くそ、恥ずかしい」


「恥ずかしくないよ、テオ兄さま。 私、嬉しかった。 テオ兄さまが泣いてたこと、一生忘れない」


「一生はやめてくれよ!」


「忘れないよ」


「私も忘れない」


「ノマ、お前な」



 ため息をつき、俺は地面に下ろしたままだった荷物に気がつく。不意にそれを手に取り、背を向ける。

 別れの言葉は言いたくなかった。これが別れだとは思いたくなかった。だから、逃げるように俺は馬車へと足を向け、荷物を放り込む。



「――テオドール」


「――――っ」



 ミオン姉さんの声。

 振り返ることは出来なかった。振り返ると、決意が揺らいでしまう。壊れてしまう。



「がんばんなさいよ」



 わかってる。

 がんばるよ。俺。

 だから、見ててくれよ。


 言葉は上手く出てこない。

 それでも、答えなきゃならない。



「――任せろよ、ミオン姉さん」



 ぐいっと胸を張り、親指を立てて見せる。

 ミオン姉さんの聞いたこともない泣き崩れた声を聞き、俺は馬車へと乗り込んだ。



「ノマちゃんも、辛くなったらいつでも、帰ってきてね」



 震えた声で、精一杯取り繕い、ミオン姉さんはノマにそう告げた。

 そしてノマも馬車へ乗り込んだ。


 リオン兄もドロア姉もすごい人たちだった。

 俺たちはあの2人のようにはできなかった。ずっと泣いたままで、笑顔を見せられなかった。心配されるだろうか、安心してくれただろうか。

 そんな不安は馬車の中に飛び込んできたミオン姉さんの声で吹き飛んだ。



「テオドール! ノマちゃん! ずっとずっと、愛してるわ! 大好きよ!」



 星暦436年、春。俺たちは大好きな家族の元を離れ、それぞれの道を歩むことになった。

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