第4話 侵入者

 星暦四百三十三年。春。


 孤児院に来て、もうすぐで三年になる。初めは塞ぎ込んでいた私も、今では年長者として年下の子たちの面倒を見なくちゃいけない立場になり、少しずつだけど成長したように思える。


 二年前の今日。リオンさんとドロアさんが孤児院を旅だった。

 皆すごくすごく泣いていて、笑っていて、とってもいい光景だと思った。私はその輪には入れず、外から眺めているだけだった。

 いつもイタズラばかりしているテオでさえも、泣き崩れて、普段は見られないような彼がそこにいた。



「ノマちゃん?」


「ん? どうしたの」



 ぼーっとしていた。

 そうだ、私は今この子たちと一緒に遊んでいるんだ。

 今朝、テオが「もう二年か」なんて言うから、少し物思いに耽ってしまった。


 私の側で本を読んでいたのはもうすぐで五歳になるメロウという女の子。

 この子は同年代――いや、当時の私と比べても頭がいい。私が読んでもよくわからない魔術書や歴史書を好んで読む。もうそろそろでこの孤児院にある本は全て読破してしまう。


 視線の先にいる真っ白な髪をしたこの子は私よりもテオに懐いている。


 どうしてか。


 その答えは簡単で、テオもメロウと同じく頭がいいからだ。

 二年前まで、バカみたいなことをして遊んでいたテオだけど、リオンさんとドロアさんがいなくなってから、年長者としての意識が芽生えたのか、しっかりしだしたのだ。

 それに、テオは元々頭がいい。

 運動も得意だし、勉強も嫌いなだけでちゃんとできるし。それに、魔術も孤児院の誰よりも上手く使える。


 メロウはテオから魔術を学んでいるうちに、彼を本当の兄のように慕うようになった。



「お、ノマにメロウじゃん。 なにやってんの」


「テオ――」


「テオ兄さま!」


「おうメロウ、どうした?」



 テオはこの二年で本当に成長した。精神的な意味でも、肉体的な意味でも。

 きっと同年代の中でもテオは身長の高い方だろう。まだまだ子供っぽい体つきではあるけれど、孤児院の中では男手として数えられる程度にはなっていた。

 今日だってミオンさんの手伝いで街まで買い物に行っていた。

 そのせいで汗をかいたのだろう、水浴びをした様子のテオは赤茶色の髪を拭きながら、メロウと同じ視線まで腰を落とし、頭を撫でた。



「テオ兄さま、テオ兄さま」


「なんだなんだ」


「抱っこして」


「え、今濡れてるから無理」


「抱っこ!」


「いや、メロウが濡れちまう」


「いいじゃん、抱っこくらい。 してあげなよ」


「ノマ、んな事言って風邪でも引いたらどうすんだよ」



 イタズラが好きで虫が好きなところは相変わらずだけど、こういった気遣いもできるようになった。

 そう、テオは気遣いができるようになったのだ。



「ミオン姉さんに叱られんのは俺なんだぞ。 ノマは叱られたことねえからわかんないだろうけど、あの人平気で手を出すからな」


「テオ兄さま怒られちゃう?」



 ミオンさんのことやシスターのことをちゃんと呼ぶようになった。たまに前と同じ乱暴な呼び方をするけれど、基本的にはこの子たちのお手本になるように丁寧な呼び方を心がける。



「怒られる怒られる。 それに、メロウも風邪は引きたくないだろ?」


「テオ兄さまが看てくれるなら引く」


「なら看ない」


「ぶー。 テオ兄さまのいじわる」


「いじわるじゃない。 メロウは俺が風邪引いて死にそうになったら嫌だろ?」


「テオ兄さまが死んじゃうのは嫌」


「そうそう、それと同じ感覚」



 いや違うでしょ。

 そんな言葉は胸の内だけで留めておく。

 相変わらずメロウは私とテオとで対応がまるで違う。

 あれじゃあ妹というよりも――



「ほんと、仲良しね」


「あ、ミオン姉さん。 荷物整理は終わったのか?」


「終わったわよ。 夕暮れ時にはシスターもこっちに戻ってこれるみたいだから、今日は久しぶりにみんな揃ってのご飯よ」


「シスター帰ってくるの?」


「ノマちゃん、留守ありがとう。 そうよ、シスター帰って来るみたい」


「久しぶりにみんな揃うの、楽しみ」



 夕食の席に皆が揃うのを想像し、笑みがこぼれる。



「そうね、楽しみね」



 ミオンさんも同じように頬を綻ばせて笑った。


 そうしてその日の晩は久しぶりにみんなが揃ってのご飯だった。

 テオを筆頭に賑やかな男の子たちがイタズラをしてシスターに怒られたり、と色々あったけれどすごく楽しいご飯になった。


 そして、夜。

 テオが部屋から忍び足で出ていくのがわかった。たまにこうして出ていくけれど、何をしているのだろう。

 普段はあまりに気にもしなかったけれど、なんとなく後を追うことにした。



「おーい、ジュリア〜」



 私の知らない女の子の名前だ。

 誰を呼んでいるのだろう。孤児院からそれほど離れてはいない林のそば。街へと向かう坂がある方向に、テオはいた。


 林の方に向かい、何かを喋っている。

 なんだろう。夜闇の黒に紛れ、テオのそばにいるのが何なのかがわからない。もう少し近くに行けばわかるのだろうけれど、これ以上近づくとバレてしまいそうだ。


 バレる?私はテオに隠れて何をしているのだろう。別にテオが何をしていてもいいと思うのに。

 もし、ジュリアという人がそこにいるのだとしても、別に私の気にすることじゃない。

 そう考えると、直接テオに話しかけた方がいい気がしてきた。



「ねえ、テオ。 そこに誰か――」



 テオの横から暗闇が伸びてきた。それが何かを理解することは出来なかったけれど、恐ろしい速度で迫ってくるそれに対して尻もちをつき、私は小さく悲鳴をあげた。

 痛い。お尻を触りながら立ち上がると、私はどこかで見た事のあるようなシルエットと対峙した。

 私よりもはるかに大きい。いや、長い。それに独特なシルエットだ。人じゃない。動物ではあるのだろうが、あまり見ない形だ。


 雲に隠れた月が顔を覗かせ、私の目の前を覆ったそれの姿を映し出す。

 悲鳴をあげなかった自分を褒めてあげたい。

 気を失わなかった自分を褒めてあげたい。

 暴れなかった自分を褒めてあげたい。


 私の目の前にいたそれは、いつの日か見た足の多い虫だった。

 前に見た時よりも格段に大きい。腹這いになって半身を起こしているような状態だと言うのに私やテオよりも遥かに大きい。

 全長だけで言えばそこに生えている木よりも大きいんじゃないかと思うほど。



「テオ――」


「なんだ、ノマか。 あ! ジュリアのことは内緒にしてくれよ? ミオン姉さんに何言われるかわかんねえから」



 シュルルと鳴いて私のことを踏み倒すように全身を睨めつけると、ジュリアと呼ばれた虫はテオのもとへと戻った。

 一度土へ潜り、体を隠してからテオの腰元まで顔を出しているような状態だ。



「ジュリアって言うの? テオドール・ジュニアじゃなくて?」


「こいつ嫌がるんだよ、その名前。 カッコイイ名前だと思ってたのに」


「嫌がるって……別に話せるわけじゃないんだからなんでも――」



 なんでもいいと言おうとした瞬間、足元からそのジュリアの体が私に向けて飛び出してきた。

 本当に嫌がっているようだ。

 私としてもこれに巻き付かれるのは嫌なので、静かに後ずさる。泣きそうになる心をどうにか持ち直し、テオにおやすみを伝えて孤児院へ戻ろうと振り返った時、目の前にジュリアがいた。

 さっきまでテオに巻き付いていたと言うのに、あまりに速すぎる移動に声も出せず、ただ硬直するばかり。そしてさらに――



「私のことは内密にお願いする」


「喋っ――」


「静かに。 まだ主様に気づかれたくない。 もっと成長してからだ」



 威圧的なその体の影に落ちた私は首が取れそうなほど縦に振ると、ジュリアが地面に潜りテオの体に巻きついたことを確認して、足早にベッドに戻った。

 その日の夢は本当に嫌な夢だった。



 ◆



 星暦四百三十三年。春。夜。


 俺は年長者として孤児院のまとめ役を担っていた。まとめ役と言えば聞こえはいいが、単にリオン兄とドロア姉の真似事だ。

 新しく増えた弟妹たちや成長したメロウたち、それにノマのことも任されている俺には責任感というものが生まれ始めていた。

 それには俺が持つ力のことを自覚し始めたこともあるのだろう。


 近頃、ミオン姉さんに連れられて街へ出ることが増えてきた。

 そこでわかったのは誰も彼も簡単に魔術を使えるものじゃないということだ。

 無論、簡易な魔術であれば日常的に使用されている。部屋に明かりを灯しているのも魔術によるものだし、井戸の水を浄化させているのも魔術によるものだ。

 このように、日常的に魔術が用いられている中で、俺やメロウのように大々的に魔術を使える者はあまりいないということがわかったのだ。

 当然、それはこの街があまり大きくないこともあるのだろうが、それでも俺の力を自覚させるには充分だった。



「で、だ。 こんな夜中に何の用だよ。 侵入者さんよ」



 孤児院近くの林。俺は常日頃から孤児院周辺にジュリアを放って何かあれば合図で知らせるようにしている。

 大抵はちょっとした魔獣によるものか、自然現象を何者かの仕業と勘違いすることがほとんどだ。

 今日のように侵入者がいるのは初めてのことなのだ。



「っ、土魔術を使えるやつがいるなんて聞いてない!」


「別に魔術じゃない」



 目深にフードを被った侵入者は林に生えた草に絡め取られ体の自由を奪われていた。

 見たところまだ小さい。俺よりもいくつか歳上という程度だろう。そんなやつがどうして孤児院に近づいてきた。

 情報を聞き出すためにはどうしたらいいかを考え、俺は足で地面を二回叩いた。

 すぐにジュリアが顔を出し、侵入者を取り囲む。「ひっ」という短い悲鳴を上げるのも関係ない、ジュリアは侵入者の顔を覗き込むように頭を下げる。

 ジュリアが作った罠を突破できたとしても、逃げることは不可能に近い。俺とジュリアの警戒の目、そしてもう一人――孤児院の部屋から俺を観察しているであろうメロウの目を掻い潜ることは難しいはずだ。



「顔くらい拝んでおかないとな」



 侵入者のフードを取るために近寄る。思えば、たしかに不用心だった。

 何の用意もせず、侵入してくる侵入者などどこにもいないというのに。俺はまだ経験が足らなかった。



「なっ……」



 フードへと手を伸ばした瞬間。ヤツの足元から鋭い刃のような何かが突き出したのだ。

 完全に油断していた俺は直撃を避けられないと思ったのだが、間一髪のところでジュリアが助けてくれた。



「――ありがとな」



 ぽんと手を頭に置くとシュルルと鳴いてジュリアは俺の無事を安堵したようだった。

 地面に降り立った俺の目に映ったのはヤツの足元から生えた土の棘だ。

 周囲の土を媒介に魔術で生み出したのだろう。ヤツも俺やメロウのように魔術を使える側の人間ということか。


 戦闘はできるだけ避けておきたかった。

 魔獣との戦闘と違い、対人は一筋縄ではいかないと考えているからだ。それに加え、相手が手加減して倒せるようなヤツではない場合、俺にとってこの場は不利だ。

 俺の得意な魔術は火。対してここは木々に周りを囲まれた林の中。それに、背後には孤児院もある。

 下手に魔術を使いでもして、皆に被害が及んだ場合本末転倒だ。

 ここはある程度の魔術とジュリアとの連携で凌ぐしかない。


 できるのか?


 相手はこちらの事情など気にもせず全力で来るだろう。

 そんな相手に力を抑えて?


 ――いや、できるできないじゃない。

 やらなきゃならない。



「聞いてないんだけど! そんな怪物を連れてるなんて!」



 侵入者は両手を地面に当て、魔術を行使する。俺やメロウと同じく詠唱を必要としない魔術だ。

 街の外ではそれが普通なのか?いや、ミオン姉さんやシスターは詠唱している。二人だけが例外とは考えにくい。

 どっちが一般的なのだろうか。


 など、関係の無いことを思考している暇はすぐに無くなった。

 想像以上に攻撃が激しい。

 土に潜れるジュリアにとって、自分の住処を荒らされるのは気が気でないのだろう。苛立っているのが伝わってくる。


 土の棘は一つ一つが致命傷になり得る威力をしていた。

 身を捩り、殺意の塊を避ける。避けた先にあった木々が音を立てて倒れていく。凄まじい威力だ。これを避けながら接近し、ヤツを無力化するのは至難の業に思えた。


 さて、どうする。



「避けるだけか!」


「思ったよりもお前が強いからな」



 木に触れる。

 柔らかな幹の感触を確かめ、また次の枝に飛び乗り、触れる。

 考えろ。まずはヤツを動かさなきゃ意味が無い。


 試しに小さな火球を放ってみる。

 侵入者は少し驚いたように口を開いたが、すぐにそれをかき消す。やはり足を動かすには至らない。

 もう少し火力を上げねばならないが――周囲に視線を向ける。土の棘で破壊されてはいるが、火が飛べば惨事に陥るのは想像に易い。



「ジュリア!」


「は? 名前付けてんの? そのきもいのに?」



 俺が名前を呼ぶと、侵入者はバカにするように口元を歪めた。それが、ジュリアには許せなかったのだろう。

 ジュリアを捕まえてからの数年、俺の魔力を与え続けたその体はいつしか土の中に隠しておかないと目立ちすぎるほどに成長した。

 そう、普段見えている部分はごく一部なのだ。体のほとんどを土に埋めた状態になりながらジュリアは地上で動いている。

 その体を一部、土から解放してやるだけでジュリアの全長と速度は大きく跳ね上がる。


 ああ、そうだな。ジュリア。

 こいつはもうタダでは帰さない。



「泣いても許さねえからな」



 俺の人生で初めての開戦の狼煙が上げられた。

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