第3話 別れの日に
星暦四百三十一年。春。
リオン兄とドロア姉が孤児院からいなくなる日がやってきた。
リオン兄はディアンという街にある騎士になるための学校へ。
ドロア姉はそのディアンよりも少し奥にある街の貴族のところへ。
それぞれもう簡単には会えないところへと行ってしまう。弟妹たちは別れを惜しみ、涙を流し、リオン兄とドロア姉の側を離れようとしない。
ミオンおばさんに引き剥がされ、ようやく2人は自由の身になると、俺の方へとやってきた。
「じゃあな、バカテオドール」
「うるせえ」
「元気でいるのよ。 この子たちをよろしくね」
「わかってる」
「それと、ノマちゃん」
名前を呼ばれるとは思っていなかったのだろう、ノマはびくりと肩を跳ねさせ、俺とミオンおばさんの影に身を隠した。
結局、ノマは最後まで二人に対して心を開くことはなかった。積極的に声をかけていたドロア姉にも懐くことはなく、会話らしい会話はなかったが、最初に来た頃と比べると挨拶程度はするようになっていた。
「テオと仲良くしてあげて。 このバカに何かされたらすぐに頼ってくれていいのよ」
人のことをバカと何度呼べば気が済むのか。
俺は右足で地面を二回ほど叩く。すると、俺の腰ほどまで大きくなったテオドール・ジュニアが顔を覗かせる。
決して小さくない悲鳴を上げたあと、ミオンおばさんとドロア姉に思いっきり頭を叩かれ地面に付す。
俺を慰めるようにテオドール・ジュニアが頭に巻きついてくれたが、痛みが和らぐことはなかった。
「こんなカッコイイのにどうして」
「そのカッコよさは男にしかわからないよ」
テオドール・ジュニアを肯定してくれるのはリオン兄だけだ。
ミオンおばさんもドロア姉も、そしてノマも皆嫌がる。失礼な話だ。
「いつの間にそんなに大きくなってるのよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いってなんだよ、気持ち悪いって!」
「普通の虫はそんなに大きくならないのよ! 何食べさせたらそんな化け物になるのよ!」
「俺の魔力」
そう言って俺はテオドール・ジュニアに魔力を注ぎ込む。嬉しそうに身を踊らせ、テオドール・ジュニアは俺の足元に巻き付いてきた。
頭を撫でてやると、口元に生えた牙のような4つの針を開き声を上げた。
俺の背後から悲鳴が二つ上がる。ミオンおばさんとドロア姉がリオン兄の後ろに隠れていた。となると、残されたのはノマだが。
「や、やめて……」
腰を抜かしたのか、地面に座り込み泣きそうな顔でこちらを見ていた。俺はため息をつき、もう一度足で地面を二回ほど叩く。すると、テオドール・ジュニアはするりと地面へと潜り込み、姿を消した。
どうよ、しっかり躾られているだろう。
俺の躾の上手さは褒められることはなく、後頭部を思い切り殴られ、その場に座り込んだ。
「痛っ……」
「バカドール! いいこと、女の子が嫌がることはしないの!」
「女の、子……?」
もう一発、俺の頭に拳が落とされた。
遠くで聞こえてくるリオン兄と弟妹たちの笑い声とミオンおばさんの怒鳴り声が響き渡る。
ドロア姉に助けを求めようにも、あの瞳はゴミを見る目だ。ふんっと鼻を鳴らし向こうを向いてしまった。
なら、ノマ。
ノマとは最近仲良くしているつもりだ。少しずつノマの方からも声をかけてくれるようになった。
「……きらい」
俺は全員に見捨てられてしまったようだ。
◆
気を取り直し、再び二人は孤児院の正面に立っていた。
いよいよその時がやってきたようだ。
リオン兄とドロア姉がディアンまで行くための馬車が見えてきた。
胸の奥が何かに握られているような感覚。狭まっていくような、そんな焦燥が胸に走る。何か、言葉を発さなくちゃいけない気がした。だけど、何も言葉は出てこない。
口を開き、二人の背中に何かを言おうと思っても、上手く言葉にならない。
なんだ、何を焦っているんだ。何を言わなくちゃならないんだ。
馬車の音が近くなってくるにつれ、俺の心臓の音がうるさくなっていく。次第に、馬車の音も気にならないほど心臓がうるさくなってきた頃、ぽんっと背中を押されて俺は前に一歩でた。
ミオンおばさんだ。やけに真剣な瞳で俺を見ていた。
――わかってるよ。
「リオン兄! ドロア姉!」
二人はまるで俺に呼び止められることを待っていたかのように振り向いた。
その顔は見たことの無い感情を秘めていて、俺は少し息を飲んだ。
「あ、あのさ、俺さ、バカだし、言うこと聞かないし、イタズラ好きだし、バカだし……えっと、さ」
リオン兄は優しく微笑み、ドロア姉は目尻に涙を浮かべて笑っていた。
「ぁ、あ……ありがとうございました! 二人のおかげで楽しかった! 二人が家族で本当によかった! 俺の、俺たちの兄ちゃんと姉ちゃんでいてくれて、ありがとう!」
その言葉を発した瞬間、何かが壊れたように涙が流れてきた。どうすることも出来ないくらい情けなく流れ出る涙をどうにか止めようとして、目に手を当てる。
けれど、どうしてもダメだ。涙が溢れて止まらない。
「ちがっ……泣きたい訳じゃ……」
「テオドール!」
「テオ!」
二人が駆け寄ってくる。
その顔は、二人とも同じだ。俺と同じだ。
二人から抱きしめられると、もう俺の涙は止まらなかった。
気づけばミオンおばさんも、弟妹たちも一緒になって抱きしめ、泣いていた。
「二人とも、どうしても帰りたくなった時はいつでも帰ってきていいのよ。 ここはあなたたちの家で、私たちは家族なんだから」
「わかってるよ。 ミオンさんも元気で。 シスターにもよろしく伝えといてよ」
「あの人、こういう時は必ず来ないのよね」
そう言ってミオンおばさんは笑った。
どうにも、シスターババアは別れの時が苦手らしく、絶対に姿を見せないのだという。見送りはしない。けれど、二人の幸せは願っている。
その証拠に、二人にはシスターババアからの贈り物が渡されていた。
リオン兄には騎士の学校で使える高価そうな剣。
ドロア姉にはどんな貴族にも見劣りしない綺麗なドレス。
「リオンも、ドロアも立派になってちょうだい。 いつか、二人のことをどこかで見られる日を楽しみにしているわ」
「私、ミオンさんみたいな人になるから……」
二人はミオンおばさんにもう一度抱きしめられると、いよいよ馬車へと向かっていく。そして、ピタリと止まり、二人同時に振り向くと頭を下げた。
「お世話になりました!」
「きっと、立派な人になって、皆に誇れる自分になります!」
「いつまでも、見守っていてください!」
二人の目に、もう涙はなかった。
だから、俺たちももう泣かない。
ゆっくりと、馬車に乗り込んでいく2人の背を見つめる。
窓から身を乗り出し、手を振る二人に向けて、どこまでも見えるように、いつまでもいつまでも俺は手を振り続けた。
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