第2話 カマクラ

 星暦四百三十年。冬。


 アイツについてミオンおばさんから話を聞いた俺は少しアイツとの向き合い方を考え直した。



「なあ」


「…………」


「なあおい」


「………………」


「見ろよこれ、すごいだろ」


「……………………きもい」


「は――じゃない、カッコイイだろ」


「きもい」



 俺はあの夏、ドロア姉によって消し飛ばされてしまったテオドール・ジュニアを必死になって見つけ出し、冬になる前に虫かごに入れて育てていた。

 ドロア姉とミオンおばさんに見つかったらまた捨てられてしまうと考えた俺はリオン兄にのみ、この存在を伝え、ひっそりと育てていたのだ。

 そう、俺はそんな秘密の存在であるテオドール・ジュニアをこの陰気臭いコイツに明かしたのだ。



「コイツの名前はテオドール・ジュニア。 見ろよ、初めて捕まえた時から見るとすごくデカく――」


「きもいださい」


「ダサくもねえしキモくもねえ!」



 痺れを切らして怒鳴ってしまうと、アイツは足早にどこかへと消えてしまった。

 まさかミオンおばさんに言いつけに行きやがったのかと思い、後を追うがそんなことはしていなかった。

 ただ部屋のベッドで布団を被り、小さくなっていただけだった。


 それからは話しかけても陰気臭いアイツは何も返してはくれなかった。



 ◆



 あくる日、夜。

 俺は部屋を出ていく気配を感じ取り、目を覚ました。

 アイツはたまにこうして部屋を出ていく。いつもなら気にもしないでまた寝るのだが、ミオンおばさんに聞かされた話を思い出し、俺は勇気を出して暖かい布団から出た。

 自然と体が震える寒さの中、俺は明かりもつけずにアイツの姿を探した。

 窓の外は吹雪いており、明日の朝の雪かきを今から面倒に思ってしまう。アイツを探さなきゃいけないことと、雪かきのことを思い、ため息を吐く。

 白い息が夜の闇に溶けていくのを目で追っていると、窓の外にアイツがいるのを見つけた。



「――バカヤロウ」



 弟妹たちや特訓で疲れたリオン兄、ドロア姉を起こさないように足音を殺して走り、アイツの背中を追う。



「待てよ、バカ!」


「――――」



 その薄い緑色の瞳はあまりにも黒い――いや、暗すぎた。

 夜の闇よりも黒く暗く、どこまでも光を移さない濁った瞳。

 何を考えているのかまるでわからなかったが、コイツをこのままにしてはいけないと本能が叫んでいた。

 凍える体に鞭を打ち、アイツの手を取り孤児院へ戻ろうとしてから気づく。


 足跡が、消えている。

 しまったと思った時にはもう遅い。

 帰り道を見失った。それほど遠くまで来ていないはずだと言うのに、視界の少し先はただの白がどこまでも広がっていて、孤児院の影はどこにも見当たらない。

 こんな真夜中だ、部屋に灯りがあることも考えにくい。どうする。このままだと、俺たちは――



「はぁ。 仕方ねぇ」



 俺は足元に広がる冷たすぎる雪に手を触れ、魔力を流す。

 思い描くのは二人が入れるだけのカマクラだ。弟妹たちと遊ぶ時に何度も作ったお陰でそれはすぐに完成する。

 呆気に取られていたコイツを投げるようにカマクラに入れ、中で炎を作り出す。



「ん? なんだよ」



 驚いているのか、コイツは人差し指で俺の作ったカマクラと炎を指しながら何度も視線を往復させた。



「魔術か? はっ、俺は何を隠そう魔術が一番得意なんだよ。 ミオンおばさんよりも、シスターババアよりもな」



 二人ともある程度魔術を使えるが、俺みたいに自由自在になんでも出来るというわけじゃあない。

 すぐに魔力切れを起こすし、なんかよくわかんない詠唱をしなくちゃならない。その点、俺は魔力切れなんてしたことないし、難しい詠唱もない。

 そう、俺は魔術の天才なのだ



「いいだろ、これ」



 そう言って俺は人差し指に炎を作り、にっと笑う。

 無言を貫いていたコイツもさすがに感動したのか、「すごい」と本当に小さく呟いた。

 素直なところもあるんじゃん。


 ……それよりも、コイツの体震えてる。

 当然だ。寝巻きだけでこの猛吹雪の中歩いていたのだ。カマクラで風を防ぎ、炎で暖を取っていても限界がある。

 ため息混じりに俺は羽織ってきていた毛布のような暖かな上着を広げ、雪を落としてからコイツに羽織らせる。



「……いいの?」


「いいよ、別に。 俺はこれがあるし」



 ぼうっと体の周りに炎を作り暖を取る。カマクラの壁がなくならないように、溶けたそばから雪で固めていく。

 上着を羽織ってもなお止まらない体の震えを抑えるためか、コイツは肩を抱き寄せ身を小さくさせる。

 すぐに、寒いだけではないのだとわかった。



「おどうざん……おがあざん……」



 泣いているのだ。

 この寒さのせいか。それとも暖かさで安堵したのか。

 コイツは俺の目もはばからず、大粒の涙を流し、鼻水を垂らして泣いた。声を押し殺すことも、顔を隠すこともなく、ただ泣いた。


 俺は何も出来ないのだろうか。



「…………」



 静かに横に座り、顔のそばに炎を近づけた。

 涙と鼻水、ヨダレや何やらでぐしゃぐしゃになった顔をこちらへ向け、疑問を瞳に浮かべて俺の目と合わせる。



「あ、ああ、いや、ほら、あのさ、えと――ブサイクだなって」



 いや違うだろ。バカか俺は。



「いや違くて。 えと、あーと……」



 泣いている弟たちや妹たちの面倒を見ることも増えてきた。大抵はお菓子を取られたことやおもちゃを取られたことに対しての涙だ。

 だからその抑え方もなんとなくわかる。

 だけど、コイツの涙の訳は俺にはわからない。だから、抑え方もわからない。


 どうしたらいいかわからない時、俺はとりあえず思ったことを言ってしまうようだった。

 本当に、バカだ。



「ぅ、うううぁ、ゔるざいぃぃぃ……」


「ああ、えと、その、ごめん」



 さすがに俺が悪い。



「いづも、いづも、うるざい。 なあ、どが、おいとが。 おまえどがぁぁあ……」



 ぽつぽつと、雨が降り出すように。次第に雨足が強くなるように声が大きくなっていく。



「おがあざんも、おどうざんもいなぐって……しらないひどたちばがりで……まえをむがなぎゃダメなのに……できなくっで……夜になっだら、おがあさんと、おどうさんを思いだじで……」


「…………そうかよ」


「もう嫌だっだ。 おがあさんとおどうさんに会いだいって、思っだら、窓の外に、みえて……それで……」


「……わかったよ」


「ごめんなざい……ごめんなさい……わだじだけ生きて、ごめんなさい……」


「……謝るなよ」


「おかあさん……おとうさん……」



 泣いて、泣いて、疲れたのか、次第に声は小さくなっていく。

 眠たいのだろう、次第に船を漕ぎ出し、俺の肩に頭を乗せてきた。


 ……あれ、こういう時眠ったらダメなんだっけか?



「……どうすんだよ、これ」



 幸い、吹雪はすぐに止み、俺はコイツを抱えて孤児院へと戻ることが出来た。

 俺たちがいないことを発見していたミオンおばさんに見つかり、俺が叱られそうになったが、コイツの状態を見てそれは収まった。

 状況を理解するためにミオンおばさんは俺から事情を聞き出し、そして、「よくやったじゃないの」と抱きしめてくれた。


 なんだか安心して、すぐに眠ってしまった。



 ◆



「……ごめんなさい」


「謝んなよ」


「ごめんなさい」


「だから、謝るなって――ハックション!」



 豪快なクシャミをした俺は垂れてきた鼻水をタオルで拭う。

 額に置かれたタオルは熱を持ち、あまり気持ちがいいものではなかった。横ではそのタオルを取り替えようとしてくれているミオンおばさんと、肩を縮めて下を向いたままのアイツ――ノマがいた。



「テオドール、よかったわね。 あんたバカじゃなかったみたいよ」


「そりゃどうも。 けど、それを言ったらそこのソイツ――ノマはバカってことだな」



 一夜明け、俺は風邪を引いた。

 が、ノマは引かなかった。

 そう、これはつまりそういうことだ。ノマはバカで、俺はバカじゃないってことだ。



「その理屈が既にバカね。 ノマちゃんはあんたが温めてくれたおかげで風邪も引いてないし、怪我もしてない。 本当によくやったわね」


「……うるせ」


「ごめんなさい」


「お前はいつまで謝ってんだよ! もういいって言ってるだろ!」


「ごめんなさい」


「あああああああああ!!!!」



 これでは熱が上がってしまうだろうが。

 叫んだ影響か、それとも風邪のせいか、そのどちらもか。俺は咳き込み、水を喉へと流し込む。

 窓の外は昨日の吹雪が嘘のように晴れており、剣の特訓と貴族の礼儀作法を学ぶのを一時中断したリオン兄とドロア姉が弟妹たちと一緒に雪かきをしていた。

 楽をさせてもらっているわけではないが、あの量の雪かきをしなくて済んだのは助かったかもしれない。

 雪かきには魔術を使ってはいけない――というより、普段はあまり使わないように言われているせいでこういう時楽ができないのだ。



「さて、ノマちゃん。 詳しくは聞かないけれど、今後こういうことは絶対にダメ。 次にしたら怒るから」


「ミオンおばさんが怒ったら怖いぞ」


「うるさい」



 鳩尾。人間の急所のひとつだ。

 病人に対して何たる仕打ち。



「……わかり、ました」



 バツが悪そうに下を向き、服を両手で掴み謝る。

 上を向いたノマにミオンおばさんが「よし」と言って頭を撫でる。ほんの少しだけ、声が明るくなっていたような気がした。

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