第1話 最初の出会い
星暦四百三十年。初夏。
孤児院に少しの変化が訪れた。
この変化は毎年起きているものだけど、この時ばかりはいつもの変化とは少し違っていた。
そう、俺に同い年の妹が出来たのだ。
「はい、じゃあ皆! 今日から家族になるノマちゃんです! ほら、挨拶できる?」
そいつは薄灰色のミオンおばさんのスカートの後ろに溶けるように身を潜め、消えてしまいそうなほど小さな声で「よろしく」と呟いた。
「歳は五歳でテオドールと同じね。 ノマちゃん、あそこのバカに何かされたらすぐ言うのよ? 私かドロアお姉ちゃんに言えば殴り飛ばすから」
「暴力反対!」
「…………わかった」
同い年。
それだけで俺とそいつは同じ括りで何かをすることが増えた。
勉強も家事も弟妹たちの面倒も全て。
けど、そいつは俺と同い年とは思えないほど何も出来なかった。いや、何もしなかった。
話しかけても言葉はなく。
家事も一人でやろうとする。
遊びの時間はどこかに消えているし、弟妹たちにもあまり好かれているような感じはない。
今までにない雰囲気だった。
試しに一度だけイタズラしてみたのだが、面白い反応は何一つなく、黙って涙を流すだけだった。そのせいで俺はミオンおばさんとたまたま帰ってきていたシスターババアに殴り飛ばされた。
正直、俺はコイツが嫌いだ。
「おい」
呼びかけると視線を少し横に移動させ、俺を見る。が、すぐにその視線は下に落ち、次第に頭を膝に埋めていく。
薄灰色の髪をした陰気臭い女。声もロクに聞いたことがない。顔もまともに合わせたことがない。
リオン兄もドロア姉もコイツには手を焼いているように思えた。二人とももうすぐで孤児院を出て行ってしまう歳だ。
リオン兄は騎士になるための学校へ入学が決まっていて、ドロア姉は貴族の家に引き取られることが決まった。
だから、次の年長者は俺たちになる。
こんな調子でいいのだろうか。
孤児院一番のヤンチャ者が抱くには少しばかりまともすぎる悩みだった。
◆
冬。
あと少しでリオン兄とドロア姉が孤児院から居なくなってしまう。
漠然とした不安が広がっていくのがわかる。
少し前までならミオンおばさんにイタズラしたり、リオン兄と画策してドロア姉にイタズラしたりと楽しかったはずだ。
だけど、最近はそのリオン兄は剣の特訓ばかりで遊びに付き合ってはくれないし、ドロア姉はシスターに礼儀作法を習っている。
次第に二人は弟妹たちの面倒を見る時間が少なくなり、俺が面倒を見ることが増えた。
そして――
「なあおい」
「…………」
「なあってば!」
薄灰色の陰気臭いアイツはあれからしばらく経っても陰気臭いままだった。
どうしてミオンおばさんとシスターババアは俺とコイツを同室にしたのだろう。弟妹たちに加えてコイツの面倒も見ないといけない。
そして、昼になれば大嫌いな勉強が待っている。遊びの時間になってもリオン兄は相手をしてくれないし、ドロア姉も忙しそうにしている。
「――なんなんだよ、お前」
「……んでない」
「は?」
「……頼んでない」
「何をだよ」
ようやく喋ったかと思えば、意味のわからないことを。
「話しかけてなんて、頼んでない」
コイツ――いや、落ち着け。落ち着けテオドール。
ここで怒ればまたコイツは泣く。するとどうなる?そう、ミオンおばさんとシスターババアに怒鳴られ、最悪の場合殴られる。
たまったもんじゃない。なんで俺が怒られなきゃならないんだ。コイツの方が怒られるべきだろう。
「わかったよ、もうお前には話しかけねぇ」
そうだ、これが一番いい。
コイツは話しかけられることを望んでいないし、俺もコイツと話すことを望んでいない。なんだ、最初からこうしておけばよかったんだ。
翌日、俺はミオンおばさんに呼び出された。
「なんだよ、俺は別に何もしてねぇぞ」
「そうね、何もしてないわ」
「なら帰る。 チビたちと遊んでやらねぇと」
「あの子たちの面倒なら今はシスターが見てくれてるから大丈夫」
「は? なんだよ」
「ねえ、テオドール。 あんたノマちゃんと話、した?」
「してねえよ……いや、しねえよ」
俺は昨晩あった出来事をミオンおばさんに話した。
珍しく俺の事を怒鳴らず、静かに黙って聞いてくれた。今までも何度も声をかけたけれど、無視され、弟妹たちの世話はしないし、家事も手伝わない。そんな愚痴も零した。
いつものミオンおばさんなら俺を怒鳴り、殴っていたはずだが、この時ばかりは俺の目をじっと見つめ、静かに頷いてくれた。
「テオドールはお父さんとお母さんのこと覚えてないよね」
「知らね。 興味もねぇ」
「そうね。 それはそれでいいと思う」
「なんだよ、ヤケに真剣に」
「ノマちゃん、あの子ね両親を目の前で殺されてるの」
お父さんとお母さん。
その存在は俺にはいないけれど、それがどれだけ重要で大切な存在なのかは理解しているつもりだった。
いつかシスターババアが俺に教えてくれた。
家族っていうのは何よりも大切にしなくちゃならない。時には自分自身よりも大切にして、守らなきゃならないのだと。
そして、父と母という存在についても。
『バカにはわからんかもしれんがね、親って言うのは心の拠り所になる存在なんだ』
シスターババアは俺を椅子に縛り付け、口には布を巻き、暴れられないようにして静かに語った。
『普通の子なら、その存在を生まれながらにして知る。 どれだけ親というものが重大な存在なのかをね。 けど、あんたたちにはそれがいない。 それがね、私は酷く可哀想で――そして、申し訳ないんだ』
その時のシスターババアの表情は今でも覚えている。シワだらけのヨボヨボの婆さんの顔が今にも泣き崩れそうな弟妹たちの顔と重なった。
が、次の瞬間にはいつものオニババの顔に戻っていた。
その話を覚えていたからこそ、俺はミオンおばさんの口から告げられたその事実が、陰気臭いアイツにとってどれだけのものなのかを理解できた……と思う。
「西側の国で戦争があったのは知っているわよね」
「いや知らね」
「教えたわよね?」
穏やかな笑みではあったが、目の奥は笑っていない。
ここは黙って頷いておこう。
「ノマちゃんはその国の出身。 戦争とは便宜的にそう言っているけれど、事実はただの蹂躙だったの。 魔人族による大虐殺……わかる?」
「わかるよ」
魔人族。
それは勉強嫌いな俺でも知っている。
そいつらは度々おとぎ話の世界に出てきては俺たち人間を追い詰め、たくさんの戦いを起こし、物語の悪役として君臨する存在。
どの物語も魔人族は悪として、人間が正義として描かれており、俺にとって魔人族は悪いやつの象徴のような存在だった。
「想像して、テオドール。 ある日、いきなり孤児院に魔人族がやってきて皆を食べちゃうの。 あんたは私に押し入れに閉じ込められて助かったけれど、リオンもドロアも私もシスターも皆いなくなってしまう」
「…………」
「そんなことになったら、テオドールはどう思う?」
「……考えたくねぇ」
「ダメ。 考えたくなくても、考えなきゃならない時が来るの。 今はまだ逃げることが出来ても、逃げられなくなるのよ」
「………………そんなの、嫌だと思う」
そう、嫌だ。そんなのは嫌だ。
例えミオンおばさんの話の中だけだとしてもそんなのは嫌だ。皆が、リオン兄やドロア姉がいなくなってしまうのはやっぱり嫌だ。
怖いと、思う。
「そうね。 私だって嫌。 リオンがいなくなっても、ドロアがいなくなっても――もちろん、テオドールがいなくなってもね」
「うん」
「私たちは家族だから、そう思うのよ。 ……今なら、ノマちゃんの気持ち、わかる?」
「……うん」
「よし。 あんた、頭の出来悪くないんだから、上手くできるはずよ。 ノマちゃんのこと、よろしくね」
「…………わかったよ」
この時ばかりは自信なさそうに俺は頷き、ミオンおばさんと約束を交わしたのだった。
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