幕間

第30話:神話1

 おそらく『私』は眠っていた、長く長く、悠久とも思える時間をただひたすらに揺り籠に揺られながら。

 だがある時、突然襲ってきた衝撃に『私』は否応なく起こされた。

 目覚めた『私』は直ちに世界を知覚し、微生物や虫、植物、水生生物、ありとあらゆる生命の輝きもまた同時に知覚したが、その輝きは自身を目覚めさせた衝撃の余波に次々と飲み込まれ、やがてそのほとんどが消滅したことを認識した。


『私』は輝きを無くした世界を漂った、洪水がこの世界の痕跡を跡形もなく洗い流すさまを知覚しながら。


 どのくらいの間世界を漂っていただろうか、『私』は突然自身の体をごっそりと削られる感覚を覚えた――と同時にやはり突如として世界に生命が出現したことを知覚した、まるであの衝撃に飲み込まれる前の、ありとあらゆる生命に溢れる世界がそのまま再現されているかのようだった。


『私』は自分の身に、そして世界に何が起こったのかを把握することは出来なかったが、何も無かった世界にちょうどうんざりしていたところなので、その現象を素直に受け入れそして歓迎した。

 様々な動植物を観察し、この新たに作られた世界を隅々まで見て回るうち、ある一つの生物種に興味を持った。

 地上に生息する生物は四つ足六つ足その他多くの足を持つものであっても、いずれも地に足を付け生活していたのに対し、その種だけは四つ足を持ちながら二足で歩いており、さらにその鳴き声が非常に特殊だった、他の生物は単純な鳴き声で最低限の意思疎通を図るのに対し、その種だけは複雑な鳴き声を使い他の種とは比べ物にならないほどの情報量を同種族間で共有しているようだった。

『私』はあわよくばその種族に知覚され接触を試みれるよう、世界に散らばった『私』の体をある程度かき集め一つの個体のような集合体を作り上げたが、どうにもその種族は『私』を知覚できないようなので接触は諦め、代わりに思念を読み取ることでその種族――人間をある程度理解することが出来た。

 人間は概ね他の生物同様、欲求や感情というものを基準とした行動原理を持っていたが、それ以外に他の生物には見られない信仰といった概念を持ち合わせていることに気付いた。

『私』は感情や欲求というものはなんとなく理解できたが信仰という概念はなかなか理解できずにいたので、人間の町や村などの集落を見つけては人間を観察するといった行動を繰り返した。


 そんな折、『私』が人間の観察をしようと、とある村近くを通りかかったとき、逆に自分が何者かに観察されていることに気が付いた。視線を感じた先を知覚するとそこには一体の人間の幼体がいた。

『私』は以前に人間が『私』を知覚できないことを確認済みだったが、もしかしたら知覚できる個体もいるのかもしれないと、ある種の期待を込めながらその人間の幼体の周りをゆっくり旋回してみたところ明らかに目で追われていることを確認できた。

『私』は何故この個体は他の人間と違って自分を知覚することが出来るのか興味が湧いたので、その人間の幼体の体組成を分析してみたところ、『私』の体の一部を他の人間よりも多く含んでいることが分かった。

 この世界に存在する全ての生物には『私』の体の一部がごく僅かに含まれていて、そしてその含有量には個体差があることは知っていたが、この人間の幼体に含まれているそれの量はまさに頭一つ抜けているといった印象を受けた、この個体が自身を認識できるのはそれが原因だろうと『私』は結論付けた。

『私』がそんなことを考えている間、その人間の幼体は『私』に向かって鳴き声を発し続けていた、『私』は人間の鳴き声を理解できなかったので、直接思念を読み取ったところ、どうやらこの人間の幼体は自身の存在を『私』に認知させようとしているらしいことをなんとなく察した。ということはこの鳴き声の中に頻繁に出てくる音節「フローラ・フェブルウス」がこの人間の幼体を指す個体名であるらしいことを『私』は理解し、自身も周囲の空気を振動させて鳴き声を真似てみせたところ、フローラ・フェブルウスは驚いた表情を見せ、すぐさま村に引き返していった。

 思念を読んでいた限り、フローラ・フェブルウスは恐怖を感じているようには思えなかったのですぐに戻ってくるのではないかと判断しその場に留まっていたところ、やはりフローラ・フェブルウスはまたこの場所にやってきた、その手には粘土板と木で出来た棒状のものが握りしめられていた。


 *


 フローラが『私』に人間の鳴き声――言語を教え始めて数日で、『私』は言語を理解した。

 フローラはおとぎ話や伝承などの物語をよく語って聞かせてくれた、大体フローラが語る物語は「昔々……」から始まるのだが、『私』が記憶している限りフローラを含めほとんどの生き物や建物等はついこの間突然現れた、何が昔なのかと初めは不思議に思ったが、フローラが物語と一緒に神や信仰についても教えてくれたことでその疑問は解消された。

 フローラ曰く、神はこの世の全ての創造主であり、神の存在を信じ、その教えを守ることが信仰で、神を信仰していれば仮に世界に終末が訪れても、神がその信徒を救済し、また新たな世界へと転生できるとのことだった。

『私』は自分が目を覚ましてから棚上げしていた不思議な現象の正体がそれだと直感した。

『私』を目覚めさせた衝撃、あれが終末だと仮定するとあの現象にも一応の納得が出来たからだ。


 この世界はあの時に一度滅んでいる、滅んだ世界をまた元通りに復元したのが神だ、そして神は自身を信仰していた人間に偽の記憶――世界は滅んでなどおらず人はその歴史を連綿と受け継いできたという記憶を植え付けた状態でこの世界に作り出したのだと。

 フローラの言うことが確かなら、神は自身を信仰しなかったものは救わなかったことになる、何故その厳しい条件が人間だけに適用されたのか? 新たな疑問が生まれたが、『私』はひとまず神がフローラを創造した功績に免じて不問とすることにした。


 フローラは物語が好きであったが、彼女が知っている物語の数は少なかった。

『私』は学んだ言語を早速生かし、フローラと会っていない時は、人間が所蔵する書物を片っ端から読み漁った、時には大きな町の図書館と呼ばれる施設まで漂い出向き、フローラに聞かせてやる物語を収集し、そして知識を吸収した。

『私』は物語を収集する過程で気が付いたことがある、集めた物語は細かい描写の違いこそあれ、どれもが似通った展開、そして結末を向かえるのだ。大体は神もしくは神に選ばれた者が、人を惑わし堕落させる存在――悪魔を討伐するといったものだ、そして神側は常に正義であり、悪役は大抵悪魔だ。

 その決まり切ったような物語展開に『私』自身は飽き飽きしていたが、フローラに語ってやると、とても喜ぶので、フローラを喜ばせる為だけに物語を収集し続けた。


 ある日、いつものように『私』がフローラに物語を聞かせてやっていると、フローラが『私』のことを「ニヒリス」と呼称していることに気付いた。理由を尋ねてみると、『私』は「きょむの精霊ニヒリス」だと教えられたとのことだ、どうやら父親に『私』の存在を話したらしい。

 フローラはその幼さが故、「きょむ」の意味を理解していない。「きょむ」とは虚無――つまり何もないことを意味する、「虚無の精霊ニヒリス」とは「そこには何もいないんだよ」と子供を諭す言葉遊びであって実際にそのような精霊が存在するわけではない。だが折角フローラが名付けてくれたのだ、『私』は自身がニヒリスという存在になることを受け入れた。


 *


 ニヒリスはいつものようにフローラが住む村の近くの草原で待機していた。しばらくするとフローラはやってきたが鼻を垂らして泣きべそをかいていた、その手には数本の花が握られている。

 何があったのか事情を聞いてみると、花壇の花を摘んで花冠を作ろうとしたら花壇を管理している村人に叱られたとのことだ。フローラはやはり幼さが故、花壇に咲く花とそこら辺に自然に生えている花の区別というか分別がついていなかったのだ。

 話を聞いてみればフローラが全面的に悪いのだが、子供相手に泣くほど叱りつけることはないのではないか? 一度優しく諭してやれば済む話ではないのか? とニヒリスはその花壇の管理者である村人の行為に非常に強い憤りを感じた、怒りである。そこでニヒリスは我に返った、名前を与えられた影響だろうか、怒りという感情自体は知識としては知っていたが、それを実感するなどとは思っていなかったので少し戸惑いを感じていた。だが今はそれどころではない、また今にも泣き出しそうなフローラを何とかしてやるのが先決だ。

 ニヒリスは辺りの草原を花畑に変化させるイメージを構築し、自身の体の一部をごく微量放出する。その途端、フローラの足元から次々と花が咲き、あっという間に見渡す限りの草原が花畑へと変化した。

 フローラは相変わらず鼻を垂らしていたが、その表情は驚きから笑顔へと変わり、ニヒリスに抱きつこうとしたがそのままニヒリスの体を貫通し花畑に飛び込んだ形となった。

 ニヒリスはその勢いにフローラの身を案じたが、すぐに花まみれになった顔を持ち上げたので怪我などはしていないようだと安心した、フローラの顔を見ると表情はやはり笑顔だった。


 ニヒリスが草原を花畑に変化させた手段は魔法である。

 知識を得たニヒリスは今の自分という存在がどういうものなのかはっきりと自覚している、人間とコミュニケーションをとれるようにと作り出したこの個体も、世界を漂う自身の体の一部も、人間は視認出来ていないだけで認識はしていたのだ、魔法を生み出す力――魔力として。

 そしてニヒリスが観測した限り、自身を視認できる人間はフローラだけである、フローラがニヒリスを視認できる理由はニヒリスの体の一部――魔力を他の人間より多く保持していることに起因するのだが、その魔力量は今ニヒリスが発現させた魔法くらいなら難なく再現できるレベルであることにニヒリスは既に気付いていた。

 ニヒリスは一度フローラに魔法の行使を促したことがあったが、フローラにしては珍しく頑なにそれを拒否した。その頑なさに疑問を感じたニヒリスはフローラの思念を読み取ったところ、魔法の行使を拒否した理由はこうだった。

『神や天使、精霊、その他神官などの神に選ばれた使徒が使う魔法は神の奇跡とされ良いものであるが、それ以外の存在、人間が使う魔法は悪魔の秘術であり悪いものである。』

 ニヒリスは信仰による思想誘導だと感じた、神は自分に都合のいい歴史や記憶を人間に植え付けておいてもなお、信仰という鎖で人間の思考を縛り付けているのだ。だがフローラにそれを説明しても理解はされないだろう、いっそこの世界の認識、信仰という呪縛を丸ごと消し去ってしまおうかとも考えたが非常に大掛かりな魔法になるし神の不興も買うだろうことからそれを実行することは諦めた。


 ニヒリスがそんなことを思い返している間にフローラは花冠を完成させていた。

 フローラはその花冠をニヒリスに被せたいようだったが、どこが頭なのか分からないと言って困っていたので、ニヒリスはフローラが花冠を被せやすいように、形だけはフローラの姿を模した体を作り上げ、その花冠が乗せられるであろう部位を実体化させた。

 フローラがニヒリスの疑似的な頭部に花冠を載せると、ニヒリスは瞬時に花冠の構造を解析し、速攻でフローラの為に花冠を作成した、そして自身がそうされたようにフローラの頭部に花冠を乗せてやる。

 フローラはその早業に驚きつつも、先ほどまで泣きべそをかいていたとは思えないくらい、ニコニコと満足気に微笑んでいた。

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