第8話 お嬢様の仮面と楠グループ
週明けの学校では、変わらず楠美雨が人に埋もれていた。
あんなに群がられているのに友達いないなんてなぁ。
聞こえてくるのは、楠を褒め讃え自分を売り込もうとする言葉。よくああまで媚びを売れるもんだ。
きっと親が楠グループで働いているんだろうけど、あいつに媚びを売ったところで出世するわけでもあるまいし。それとも自分の将来のために今から取り入っておこうっていう算段か。
友達の定義は曖昧だけど、少なくとも俺ならああいうのは友達とは呼びたくないな。
“楠美雨”ではなく、“楠の令嬢”としか見られていない。サラに言った言葉だが、あらためて見るとそれが一層強く感じられる。
授業中はしっかりと背筋を伸ばしてノートを取り、居眠りをする雰囲気など微塵も感じられない。
その姿はまさにみんなの模範となるべき優等生。
休み時間のたびに男女問わず人が群がって愛想笑いで対応している。
あの仮面の下で何を思っているんだろうな。
あいつが一人で電車に乗れないとか楽しそうにはしゃいだりするのを誰も知らないんだろう。完璧超人のお嬢様かと思えば、中身は案外ポンコツだしな。
俺だって先日のお出かけが現実にあったことだとは疑いたくなる。
しかしメッセージアプリを開けば、たしかに楠美雨とのやり取りが残っている。
昨日も日中は用事があったみたいだが、夜になるとくだらない内容のメッセージが送られてきた。 水族館で買ったベルーガのぬいぐるみの抱き心地が良くてお気に入りらしい。
関わるべきではないと思っていたが、あいつもまた”楠”に苦しんでいる一人なのだと知った今では息抜きくらいには付き合ってもいいか、くらいには思っている。
......もうちょっと常識というものを学んでほしいところではあるが。
* * *
「ただいま。遅くなってすまんな」
「お帰り、兄貴。大事な時期なんだから仕方ないでしょ。体調だけは気を付けろよ」
「ああ、いつもありがとな」
「いいって。仕事は順調なんだろ?」
「そうだな。この調子なら年内には公に発表出来るだろうな」
「それは楽しみだな。無理しない程度に頑張ってくれよ」
俺は現在、兄と2人で暮らしている。両親は健在だが、仕事の都合で長期出張中なので一緒には住んでいない。
兄も仕事で忙しく毎日帰ってくるのは遅い。たまに帰ってこない日もあって少し心配になる。
だけど以前とは違って顔色は良いし、やりがいがあって楽しいと本人も言っている。
俺がまだ小学生の頃、大学を卒業した兄は所謂ブラック企業と呼ばれるところで働き始めた。
会社側は認めないだろうが、仕事のことに詳しくない小学生でも分かるほど酷い会社だったのだ。
毎日執拗な叱責とサービス残業。
自分より上の人間に意見することは当然許されず、分からないことを質問すると「そんなことくらい少し考えれば分かるだろ!」と怒鳴られる。しかし自分で考えてやれば「なんで勝手にやるんだ!」と延々と説教される。
そんな劣悪ともいえる環境で働いていた兄は、日に日にやつれてボロボロになっていった。 当時の俺はそんな兄に何もしてあげられることが無く、無力さを感じていたものだ。
そして家族で話し合った結果、その会社を辞めて今の会社で働き始めた。
時代も変われば法律も変わり、会社よりも労働者を守るという動きが大きくなってきてはいる。 だがそれも完璧には程遠く、大企業であるほど圧力をかけてその事実をもみ消そうとする。
実際に過去の退職者にも法に頼ろうとした人がいたが無に帰したそうだ。
それよりも関わりたくないという兄の意思もあって、ただ退職するのみという選択肢を取った。
それからの兄はまるで別人であるかのように生き生きしていた、 毎日楽しそうに仕事のことを話し、会社でも実力を発揮してどんどん評価されて実績を積んでいった。
兄がきちんと評価されるのは自分のことのように嬉しい。
両親がもともと仕事大好き人間で、小さい俺の面倒を見てくれていたのが兄だった。 俺もそんな兄が大好きで応援しているし、困ったときには力になりたいと思っている。
——だからこそ許せないのだ。
一度でも兄から笑顔を奪った、楠グループが。
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