業種子

あらいぐまさん

第1話 業種子


 仏教では、私たちの行いの事を、業(ごう)種子(しゅうじ)と言う……。

 「業」とは、私たちの行為の事で、「種子」とは、文字通りタネの事である。

 何故、業が種子に例えられるのか?

 それは、種が花となり実となる様に、私たちの行いが、幸せや不幸せと言う、運命を生み出すからです。

 

 私たちの行いには、幸せ不幸せと言う運命を生み出す力があるのだと、お釈迦さまは、 説かれています。

 行いが、運命を生み出す力を、仏教では、「業力(ごうりき)」と言う。私たちが、体や口や心で、やったり、思ったりした行いは、「業力」として、消えずに蓄えられていく……。


 誰も見ていないところで、真面目に頑張れば、それは、消えずに力となって、貴方に蓄えられます。思いやりの気持ちを込めて優しい言葉をかければ、それも、目に見えない力と、なって、貴方に蓄積します。諦めずに頑張るぞと、心の中で、自分に言い聞かせたことも、力となって残ります。


 逆に、誰も見ていないところで、いい加減なことをする。これも、力となって残ります、後ろ向きなことを言ったり、相手を傷つける様な事を言ったりすれば、それも、「業力」となって、その人に宿るのだと、お釈迦さまは、教えられています。


 お釈迦さまは、運命の原因と結果の法則を

 善因善果 善い行いからは、良い結果が起こります

 悪因悪果 悪い行いからは、不幸せと言う結果が起きます

 自因自果 自分の運命の全ては、自分が蒔いたタネが生み出したものです。


 しかし、因だけでは、結果が生じない、因と縁が結びついて、初めて果である結果になる。

 善因を蓄えたら、縁を求めて、動かないといけないらしい……。

 でも、そういった努力をしても、余り、計画した様には、果は得られないが、しかし、最初は、結果が出なくても、コツコツと続けていくことが大切なのであると、言う……。

 

 それは、ある時、パッと、花開くからだ…。その考えに従って、私は、満開になって咲く、桜の花を夢見て、日々、善因を積んで、縁を求めている。

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業種子 あらいぐまさん @yokocyan-26

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