第10話

 とは言ったものの、正直なところ、トーコには外傷を治すような術の力は持っていない。

 しかも、現時点でこの魔濃症を抑える術や治癒薬などは発見されておらず、実は治癒専門の術師ヒーラーであったとしても、即効性のある治療を行うことはできない。

 魔濃症になった場合は、自分の適応度にあったエリアまで移動し、症状が落ち着くまで身体を横にして休めるといった対処法くらいしかないのだ。

 そのため、トーコに託されても、硬直した体をリラックスさせるくらいといった、本当に気休め程度のことしかできない。

 とりあえずその青年を馬車内のリクライニングチェアに座らせ、トーコは淡い緑色のカーテンを静かに閉める。

 そして、ホウッと一つ深呼吸をし、いつものように魔法陣を発動させ、ヒーリングを試みた。

 しかしやはり、魔濃症を抑えるといった効果は特に見られず。リクライニングチェアに座っているその青年は、青白い顔で身体をガタガタと震わせるだけだった。


「やっぱり、無理だよね……。それにしても、魔濃度が低いところへ来ても、症状が変わらないなんてどうして? やっぱり、付けていた魔濃具が“まがい物”だったから、重傷化しちゃったんじゃないのかな……」

 

 自分の適応度以上の場所へ移動することができる魔濃具を、喉から手が出るほど欲しがる人間も多い。

 そんな欲につけ込み、近頃は王国騎士団の境界域警備管理部が配布している正規版ではないコピー版……とは名ばかりの、劣悪な物が出回っているらしい。

 見た目は本物そっくりだというから、もしかしたら気づかずに使ってしまう人たちもいるかもしれない。

 だがそれに関しては、境界域警備管理部が調べることだ。

 自分はとにかく、目の前で気を失いかけているこの青年の症状を、なんとか持ちこたえさせなければならない。


「どうしよう。このままじゃ、この人が……。ううん! 頭の中で考えすぎてもしょうがないや! とにかく、今出来ることをやってみるしかないよね。となると……、ダメ元で魔法陣を書き換えてみるか」


 トーコの性格上、頭の中だけでウダウダ考え過ぎて煮詰まるよりも、失敗してでもとにかくやってみることを優先している。

 ダメならダメで、また次のプランを探せばいいのだ。


『やらずして、後悔よりも、やってやれ』


 トーコがこの世で最も尊敬する、祖父からの教えだ。

 その大事な教えを思い出したトーコは、手のひらの真ん中と指先を約十秒間、ゆっくりと優しく押していく。

 すると、トーコの右手の人差し指から温かなオレンジ色をした光が集まり始め、それが蛍光塗料のようになっていった。

 これにより、トーコが頭の中で思い描く術式を、魔法陣として生み出すことができるのだ。

 文字を描くように、指を動かすトーコ。すると、円形の魔法陣が空間に浮かび上がり、大きなオレンジ色の輪つなぎが出来ていった。それを幾重にも重ね合わせ、青年が座っているリクライニングチェアや床に埋め込んでいく。

 さらに、トーコはその中に五芒星や六芒星など多角形の模様を描き出し、熱や冷気、香りなどの成分表も組み込んでいった。

 この苦しみでもがいている青年への、オリジナルなヒーリング術をかけることができるように。


 これまでもトーコは、移動販売で訪れる土地ごとにヒーリング術を生み出す魔法陣を全て組み替えてきた。

 馬車内に描いていた魔法陣は全て同じものではなく、複雑な形もあれば、円形のみのシンプルな形のものもあり、さらにそれぞれの地域の気候や風土によって、若干変化をつけている。

 それは、商売を続けていく中で、画一的な術を続けて使うよりも、それぞれの地域の個性に合わせて術を組み込んでいく方が、利用客へのヒーリング効果も得られやすいと判明したためだ。

 ヒーリング術に人が合わせるのではなく、その地域に暮らす人々に合わせてヒーリング術を組み替える。つまり、主体は『術』ではなく『人』なのだ。

 そのため、今回も同じようにその人個人のオリジナルな魔法陣を組み込めば、症状の悪化スピードを少しでも抑えられるのではないかと考えたのだ。


 次々と思いつくままに魔法陣を描き続けるトーコ。しかし、どれも症状を落ち着かせる効果は発動されなかった。

 すると、リクライニングチェアに座っていた青年の体に異変が起きる。

 急に痙攣を起こし、聞いたこともないようなうめき声を上げ始めたのだ。


「うググ―――…………」

「だ、大丈夫ですか!? 落ち着いて――――」

「…………うググ――――、グガあ、アガッ!」

「きゃあっ!」


 ――――ダンッ!

 苦しみの声を上げる青年の体を押さえようと、リクライニングチェアに近づいたトーコだったが、乱暴に振り回される腕に、体ごと商売道具を積み重ねていた馬車の奥スペースへと吹き飛ばされてしまう。あの保管庫も、その勢いで横倒しの状態だ。

 これは、末期症状の一歩手前。痙攣症状が全身へと行き渡ってしまっている。

 まずい。これは、どうにもならない。

 全身を勢いよくぶつけてしまったトーコは立ち眩みを抑えることができず、上体を床に倒してしまった。

 すると、先ほどの弾みで横倒しになった保管庫の中から、ビー玉サイズに込められた『ユーヴェリウスの思い』が散乱していることに気がついた。


 カラカラカラカラ――――


 軽い音と共に馬車内に次々に飛び散った『ユーヴェリウスの想い』は、トーコが先ほど床に描いた魔法陣の近くにまで転がっていく。

 すると――――


 バンッ!


 魔法陣の中で、そのビー玉サイズの『ユーヴェリウスの想い』は、突如クラックを起こしたのだ。

 内側からはヒビが入り、その中から閃光のような輝きが現れる。

 その瞬間――――!


 「――――っ!? えっ!? な、何? これ、は……」

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