第11話
クラックを起こした、ビー玉サイズの『ユーヴェリウスの想い』。
ヒビが入った部分から見たこともないような美しい光と共に、パラパラとその破片が砕け散る。
すると、それに呼応するかのように魔法陣が発動し、いつものヒーリング術がミストシャワーのように痙攣し続けている青年の体へと降り注いだ。
その瞬間、あれほど激しく続いていた症状がピタリと収まり、苦しみ悶えていた青年はリクライニングチェアに体を預け、あっという間に心地良い寝息を立て始めたのだ。
「…………えっ? な、何……? いったい、どういうことなの?」
「癒し屋っ! 何があった!? もの凄い物音が聞こえたのじゃが、大丈夫かっ!?」
先ほどの激しい痙攣による騒動は、馬車の外まで大きく響き渡ったようだ。
その激しい物音を聞いたあの老客と仕事仲間の二人は、いても経ってもいられなくなり、馬車内へ足を踏み入れる。
すると、あれほど青ざめた表情で苦しそうにしていた張本人は、今は何事もなかったかのようにスヤスヤと眠りについているではないか。
「いったい、どうしたってんだ――――って、はっ……?」
「こ、これは、寝てい……る?」
「え、えっと、その、あの……はい。息子さんは、こちらで眠られておられます。症状は……治まりました」
「消えてる……。容態を保つどころか、魔濃症の症状が、完全に消えているじゃねえか!」
「な、何と! 本当か! 本当に、そのようなことが! 嗚呼、あ、ありがとう癒し屋! お主は恩人じゃ。何と礼を言ってよいのか。ありがとう。ありがとう!」
「い、いえ。私は、別に何も…………」
おいおいと涙を流しながら、何度もトーコの手を握って頭を下げる二人とは裏腹に、ひとりトーコだけは、目の前で起こったあの出来事について、全てを飲み込むことができない状態になっていた。
✥✥✥
「で? 患者の具合はどうなんだ?」
「はい。間違いありません。完治しております」
「そんなまさか。魔濃症が、こんな短時間に完治するなんて……信じられない。これまで、高度な技術を持つどの
あの騒動から、数時間後。
魔濃症の患者が現れたということで、治癒専門の
しかも、発症したのが魔濃度が濃い中心部ではなく、ほとんど魔濃レベルの影響を受けない辺境の地域だったため、境界域警備管理部の中でも上級職についている二名が直々に調査に訪れた。
ノーツ・ヘルグシュタイン・オルニュスと、アレクリート・フェーゼンシュタイン・クライ。どちらも、上流階級に属する貴族だ。
ノーツは、境界域警備管理部の統括管理代行を務めており、あのユーヴェリウスと幼馴染。王族とも親しい間柄のため、現在は彼の秘書的役割も担っている。
アレクリートは、女性の身でありながら早い段階で王国騎士団への入団を志し、その秀でた身体能力と情報収集力を認められて同期の中で最も早く出世街道に乗った人物。そして、ユーヴェリウスに対して絶対的な心服を置いている。
どちらも、ユーヴェリウスからの信厚く、こういった大事な任を任されることが多い。
そんな中、現場を訪れた二人。魔濃症が出るはずのない地域で患者が出たと聞き、何事かと急行してみれば、当の患者はすでに完治しているとのこと。
この地域に高度な技術を持つ
バカバカしい。そんな眉唾的な話を誰が信じると言うのか。
そう思ったアレクリートは、起こった出来事について興奮気味に説明をしてくる二人の男たちの前へ腰に付けた帯剣をブンッと振りかざし、ギロリと睨みつけるような視線を向けた。
「いい加減に本当のことを言え。いったい、何があったと言うのか」
「だから、さっきから言ってるじゃねーか。あの馬車の中で、癒やし屋のネーチャンから治してもらったって」
「そんな話、信じられるか! あの魔濃症を治すなど、王国直属の
「ほ、本当なんですじゃ。現に息子は、あのようにピンピンとしておりまして」
慌てるように同じ説明を繰り返す老人の視線の先には、先ほどまで魔濃症を患っていたとは信じられないくらい元気な青年が、その『癒やし屋のネーチャン』なる者と楽しそうに会話に花を咲かせていた。
業を煮やしたアレクリートは、呑気に話を続けている二人の元へずかずかと歩みを進め、再びキラリと光る帯剣を勢いよく振りかざした。
「……言え。いったい、何があったというのだ」
「ひ、ひぃ! オ、オレは、ほとんど意識がなくて、あの癒し屋さんに全てお任せしていたのでよくわからないのですが、でも苦しさが急に軽くなったというか、気分良く発散できたというか。目覚めた時は、物凄く良い気持ちだったんです」
「ほほう。“発散”、そして“気持ち良い”ですか。いったい、馬車内で“ナニ”をしてきたんですかね」
アレクリートの後方からひょいと顔を覗かせたノーツは、愛用の金縁眼鏡のフレームをクイッと上へ向け、ニヤリと笑みを浮かべた。
すると、その軽口に反応したアレクリートは、さらなる怒りをぶつけ始める。
「ノ、ノーツ! な、“ナニ”ってなんだ! は、破廉恥なことを言うな!」
「僕は別に、破廉恥なことなど言ってませんが? アレクリートこそ、いったい“ナニ”を想像したんですかねぇ」
「〜〜〜〜!? う、うるさいっ! と、とにかく、この癒し屋は怪しげなことをやっているに違いない! 緊急逮捕して徹底的に調べさせてもらうからな!」
「ええっ! た、逮捕!? 何でそうなるんですかっ!? 私はただの行商人です! やましいことなど、何もしていません!」
アレクリートの発言に驚き、猛抗議を上げるトーコ。
しかし、アレクリートの方はその言い分をまったく聞こうとせず、緊急捕縛用の手錠を取り出してトーコの両手にかけようとした。
ウソでしょ!? 何でこうなるわけっ!?
さらなる混乱を引き起こすこの事態に、トーコは完全にパニックになってしまった。
すると後方から、あのいつもの深く甘く、酔いしれるような重低音が奏でられる。
「――――おい、今の話は何だ。俺は何も聞いていないのだが」
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