第4話

 『殿下』と呼ばれたその人物は、茶色と緋色が織り混ざったくっきりとした瞳でトーコを見つめ、そして深いため息をついた。


「その敬称で呼ぶなと、何度言ったらわかるんだ。名前で呼べと、いつも言っているだろう」

「呼べるわけないでしょ!? 身分違いにも程がありますって!」

「いい加減、慣れろ。そしていったい、いつになったらお前は王都へ来るんだ? こんな辺境な地にまでこの俺を連れ出すなど、大した度胸だな」

「王都へは行かないって言ってるでしょ! 私の店に勝手に来ているのは、貴方様でしょうが! っていうか、“出禁”だって先週もお伝えしましたよねっ!? ユーヴェリウス第五王弟殿下!」


 ぜぇはぁと肩で息をしながら、ありったけの大声を張り上げるトーコ。

 しかし、そんな主張にも当の本人はどこ吹く風で、さっさと馬車の方へと歩いて行ってしまった。


 ユーヴェリウス・エルデンシュタイン・ザフィーア。

 このザフィーア王国を治める国王の第五王弟殿下であり、王国騎士団の騎士団長を務めている。

 そして、四年前の『先の大戦』においてザフィーア王国の危機を救った立役者。国民からは、『英雄』とも称される人物だ。

 まあ、トーコはその時はこの国にいなかったため、『先の大戦』について詳しいことはわからないのだが。

 とにかく、この国では知らない者はいないと言われるほどの有名人のユーヴェリウス第五王弟殿下。

 今は軍事部門のトップの立場であるのだが、有事の際は自ら前線に赴いたり、時折こうして国境近くまで足を運んで警備にあたったりしているらしい。

 だからと言って、軍事部門のトップを司る者がお供も付けず、こんなに気軽に出歩くものだろうか。

 答えは、否。他の上流階級に属する者、というか王族関係者が、こんな国境の辺鄙なところまでたった一人で足を運ぶはずがない。

 なのに、この第五王弟殿下は毎週毎週、時間を作っては国中を駆け巡っているという話だ。

 すべては、この『移動癒し屋』を使うために。

 

「ちょっと、殿下! まだ準備は出来てないんですけど!」

「何だ、まだなのか。早くしろ。こっちは時間のない中、来ているんだぞ」

「そんなにお忙しいのであれば、来なければいいじゃないですか!」

「お前が、国中をうろつき回っているからだろう。専属契約を結べば、こんなことにはならないのだぞ?」

「それは、何度もお断りしましたよね!? ってか、準備するので、さっさと出て行ってくださいっ!」


 トーコはそう叫ぶと、勝手に馬車の中に入ろうとするユーヴェリウスをべりっと引き剥がし、淡い緑色のカーテンをシャッと乱暴に閉めた。

 トーコの店に来る客は、年齢も職種も階級も、実に様々な人々が訪れる。

 トーコのスタンスとして、訪れる客は『皆、等しく』をモットーとしているため、どんな者でも受け入れている。

 たまに、『いくらでも金を積むから専属利用させろ』だの、『平民よりも上流階級の者の方が偉いから順番を繰り上げろ』だの、上から目線で要求してくる輩もいるのだが、馬車内でのヒーリング利用は完全無料としているため、依怙贔屓はしない。

 来店客には、『皆、等しく』のルールに沿って利用してもらっている。


 それは、それぞれが抱えている悩みや不安、ストレスに『上も下もない』から。

 どんな立場の者であれ、大なり小なり悩みを抱えているのだが、そこにランクなどはない。

 仕事や学業、育児や介護、日々付き合う人間関係まで。健康面や金銭面、恋愛関係で悩みを抱えている者だっている。

 量も重みも様々あれど、どんな人にも、多かれ少なかれ悩みを抱えているものだ。

 しかし、フラストレーションをうまく外へ吐き出すことができない場合、無意識下に抱えた闇は本人ですら気付かない内に体と心を蝕むことがある。

 そんな人々を支える役割を担っている、トーコのヒーリング術。

 でも、それは決して『悩める人々を救いたい』といった高尚な思いから来るものではなかった。

 ただ単に、この国で自分の力が存分に発揮でき、そしてそれを生計を成り立たせるために使えるとわかったからだ。

 自分の求めているものと人々が求めているものがうまく合致しただけ。『自分が治してあげた』なんておこがましい思いなど、さらさらない。

 

 この国に来てから、そんな商売を細々と続けてから一年が過ぎた頃。

 つまり、今から二年前になるのだが、そこで『とある出来事』の際に出会ったのが、このユーヴェリウス第五王弟殿下だった。

 その『とある出来事』以来、トーコの店に足繁く通うようになったユーヴェリウス。

 常連客の中でも、“最古参”といっていいほどのユーヴェリウスは、トーコがどこへ行っても、どんなに王都から離れていても、毎週のように現れるのだった。


「……おい、まだなのか。早くしたらどうなんだ」

「もう少しですってば! おー待ーちーくーだーさーいーーーーっ!」


 別に、こういった横柄な態度は他の者、特に上流階級出身者ではありがちなことなので、特に気にしていない。

 ただ、トーコはこの客に対して“出禁”を言い渡すほど、大きな理由がある。

 それは――――――




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