第3話
「う〜ん。あんまり採れなかったかぁ……。まあ、しょうがないか。今日はまだ一人目だもんね」
ガックリと肩を落としながら、馬車の下から出てくるトーコ。両手には木製の大きな桶を抱えている。
その中には、さらさらとした砂のような形状の物が入っているのだが、これこそがトーコの一番の目的のものだった。
このザフィーア王国では、昔から『魔術』といった類のものが扱われており、それは攻撃に特化した術もあれば、治癒効果が得られる術もある。
近年においては、魔術自体を扱える者は非常に少なくなったと聞くが、だからといってそれを扱うものを『異質者』として排除することはなく、能力を持っている者だけを『有能者』として特権を与えるわけでもない。
この国では、魔術を扱えるか否かについては、階級差が生じることはないのだ。
トーコは三年前、近隣の小さな島国からこのザフィーア王国へやってきた。
トーコの出身地では、いわゆる『魔術』というものは使われていなかったため、その能力はひた隠しにしていたのだが、この国ではそれを隠すことなく、むしろ商売として使うことができるため、非常に住心地が良い場所となっていた。
トーコが扱う術は、主にヒーリングに関するものなのだが、それは一般的に扱われているような外傷を治すものではなく、人々を癒すためのもの、つまり、日々抱えているストレスを緩和するためのものとして発動している。
そしてそれは、トーコが描き出した特殊な魔法陣によって、このオリジナルなヒーリングシステムが構築されている。
馬車に敷いてあるカーペットの真下やリクライニングチェア、カーテンの隅々に魔法陣を施しているのだが、その空間で過ごすことで心身の疲労感だけではなく、モヤモヤした思いや誰にも知られたくない感情や心の奥底にしまっていた欲望まで。日々の中で溜まったあらゆるモノを、内から外へと排出することができるような術式を組んでいるのだ。
それにより、利用した人々はこれまでの無意識に抱えていたおもりを外すことができ、心身ともに羽が生えたような軽さを感じることができるようになっている。
トーコのヒーリング術を経験した者は、先ほどの老客のようにその効能に夢中になるため、国中どこを移動しても、この『移動癒し屋』を求める者が後を絶たない状況になっていた。
そして、今トーコが持っている桶の中身。
これは、トーコのヒーリング術によって体内から外へと
それが、先ほど老客に売りつけていた品々。球体型の石鹸や枕、そして砂時計の材料は、全て客が出した物を使っている。なので、材料費は実質無料。
そのため、馬車内でのヒーリング利用による対価は貰わず、客から排出された品々を売ってトーコは生計を立てているのだった。
ただし、客から出される『イラナイモノ』について、その排出量や品質の良し悪しは個人差が非常に大きい。
この商売を始めてから数年は経っているのだが、どういった原理でそのようになっているのか、まだよく掴めていない。
利用時の年齢なのか、ストレスの重さなのか、何が排出量に影響しているのかわからないため、商品も毎回一定量を供給することができない。
まあ、ここにいるのはトーコと馬の相棒だけなので、その日暮らしができる対価を貰えればなんとかなるのだが。
「ゼル、ごめんね〜。この辺は久しぶりに来たからキミと遠乗りしたいんだけど、食費を稼ぐにはもうちょっと働かなきゃいけないの。もう少し、待っててね」
トーコのがっかりとした様子を見て、相棒が主の頬に顔を寄せてくる。
トーコの長年の相棒、馬の『ゼル』。栗毛色をしたその馬は、もう三年の付き合いだ。
夕日に照らされると、普段の毛並みが特に艷やかな色合いを出してくれる相棒の全身。その瞬間が、トーコのお気に入りとなっていた。
「ねえ、ゼル。見てよ。今回も大した量は採れなかったの。あーあ、もう少し安定して手に入るといいんだけどなぁ」
「……おい。そろそろ次の客を案内しろ。こっちはさっきから、かなり待たされているのだが?」
――――!? 不意に背後から声がかかる。
低く、深い音色を奏でる声。そして、包み込むような甘い吐息。
その深く響いた低音は、脳内全体に甘い痺れを広がらせ、全てを支配されるような感覚に陥ってしまう。
世間では、その声を聞いた者は老若男女問わず、甘い沼地へと引きずり込まれてしまうと言われているらしい。
そんな糖度と密度が非常に高い吐息を防ぎながら、トーコはその声のする方へ恐る恐る振り向いた。
「……また、貴方様ですか。毎週飽きもせず、よくもまあ来てくださいますね」
「その口のきき方はなんだ。こっちは客だぞ」
「“客”、ですか。よくもまあ、いけしゃあしゃあと」
「ふん。ここでは『皆、等しく』なのだろう? では、俺がここを利用するために訪れることに、何の不思議もないと思うのだが」
「だーかーら! 毎週毎週、来すぎだって言ってるんですっ! 殿下はおヒマなんですか!?」
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