第2話

「いかがでしたでしょうか」


 砂時計の砂粒が上から下へすべて落ち、十五分過ぎた合図を知らせてくれる。

 そのタイミングで、トーコは馬車の中にいる客へゆっくりと声をかけた。


「…………ん、んあ? な、何? もう終わりなのかね。まだ一分くらいしか経っていない感じなのじゃが」

「くすくす。ご利用くださった皆様は、同じようにおっしゃいますよ」

「そ、そうなのか。あっという間に時間が過ぎていった気がするのぅ」

「それで、いかがでしたでしょうか。当店の癒やし効果は。ご満足いただけましたでしょうか」


 リクライニングチェアから老客の上体をゆっくりと起き上がらせながら、トーコは感想を聞いてみる。

 すると、使用前には疑心暗鬼の表情を浮かべていたその老客は、きらきらとした瞳を浮かべて興奮気味に話し始めた。


「これは噂どおり、いやそれ以上のものじゃ! こんな短時間で全身の疲れが癒されるとは! こんなに絶大な効き目のあるヒーリングを受けたためしはないぞ! お主、いったいどのような術を使ったのだ⁉」

「そこまでお褒めいただき、光栄に存じます。ただ、効能に関する技術は“企業秘密”とさせてください」

「ぬぬぬ……。では、せめてもう少し、そ、そうじゃ! 延長利用はできないのか!」

「申し訳ございません。当店は、お一人様一日十五分までのご利用とさせていただいておりますので」

「金なら、いくらでも出す!」


 せっかく癒された心身が蒸発してしまうのではないかと思われるほど、熱気を帯びて要求を繰り返す老客。

 まあ、初めて利用した者であれば皆一様の主張を繰り返すため、トーコにとっては想定の範囲内なのだが。


「当店のヒーリング利用につきましては、すべて無料となっております。他に多くのお客様がご利用を希望されておりますので。何卒、ご了承ください」

「ぐぬぬ……。そ、そこを何とか」

「それでしたら、ぜひ、外のテーブルに置いてある品物のご購入を検討いただければと思います」


 トーコはそう言うと、淡い緑色のカーテンを開け、その老客を外へと導いた。

 湖畔のほとりに設置した折り畳み式のテーブルの上には、淡い色合いの球体型の石鹸や、寝心地がよさそうに見えるふわりとした形の枕、そして、キラキラとした砂粒が流れる砂時計が数多く並べられていた。


「こ、これは……?」

「はい。こちらの商品ですが、実はこれまで当店をご利用いただいたお客様から、『自宅でも同じように癒やし効果を得られるようなものがほしい』とか『この店を利用してから集中力が増したから、同様の効果が得られるものがあると助かる』といったお声を数多くいただいておりました。そこで、多くのお客様のご要望にお応えして、当店では、皆様にご満足いただけるような効能の高いお品物を三点ほど販売させていただいております。一つずつ、ご紹介させていただきますね」


 トーコはそう言うと、テーブルの手前においてある球体型の石鹸を手に取り、老客に解説をし始めた。

 そう。ここからが、トーコの本当の業務の始まりなのである。


「まず、こちらの商品ですが、一般的にあるただの石鹸ではございません。この石鹸を毎日使っていただきますと、お客様に合った癒やしの効果を得られる香りが身体全体を覆い尽くします。『オーラのようなものが出る』というのでしょうか。その優しく包み込む香りにより、お客様の身体は一定期間、あの馬車の中で感じられた空間と同じような感覚を体感することができるのです」

「何っ! それは本当かねっ!」

「次に、こちらの商品ですが、睡眠に関するものでございます。心地良い眠りというのは、癒やしを持続させる大事な要因となります。そのため、睡眠時の寝具も重要になってくるのです。当店では枕を販売しておりますが、これを就寝時にお使いいただくことで、どんなにストレスを感じていても瞬間的に深い眠りにつくことができるものとなっております。安眠時間は、最低でも八時間はお約束できる商品となっております」

「なんと! 八時間も!」

「はい。そして、最後にご紹介するのは、こちらの商品です。こちらは、集中力を持続させる優れものとなっております。疲れた状態になると集中力はどうしても阻害されがちになるものです。しかし、こちらの砂時計、一見普通の砂時計に見えますが、実は『集中を持続させたい時間』を設定することができるものとなっております。お客様がお仕事などで締め切りに間に合わせたい時など、短期の集中力を確実にアップさせてくれる代物となっております」

「それは凄い! 全部くれ!」


 トーコのセールストークに呼応するかのように、その老客はテーブルに置いてある全種類の商品を購入する。

 あの、短時間でも絶大な効果を生み出す癒やし効果を体験した者は、その永続性の欲求が強くなり、無意識に購買意欲が上がってしまうのだ。

 それも、戦略の一つというわけだが。


「それにしても、これだけ買ったのに、この金額だけで大丈夫なのかの?」


 全種類の物を買い込んでも、手持ちの金額の半分もいかなかったため、その老客は訝しげにトーコに尋ねてくる。

 トーコは購入してもらった商品を大きな袋に詰めながら、にっこりと営業スマイルを浮かべる。


「大丈夫ですよ、お客様。当店は、お客様の日々の疲れやストレスを癒すことを目的としておりますから、売り上げは二の次なのです。お客様の笑顔を見せていただくことが、何よりの対価となりますから」

「そ、そうかの! いやぁ~。なんちゅう素晴らしい店なのじゃ! わしも、周りの者たちに紹介しておくからな! あっ、そうじゃ。明日はまだここにいるのかの? 一日十五分でも、次の日だったらまた利用して構わないんじゃろ?」

「ええ。この地域には、だいたい一週間ほどは滞在するつもりです。なので、またご利用いただければと思います。それと、本日ご購入いただいた商品は“消耗品”ですので、足りなくなったらいつでも買いに来てくださいね」

「そうか! わかった! 今日は大変有意義な一日じゃったわい! ありがとうな!」


 そう言うと、ほくほく笑顔の老客は軽やかな足取りで帰り道へと歩みを進めて行った。

 トーコはその姿が見えなくなるまで、笑顔で手を振り続ける。

 そして、その姿が見えなくなった瞬間、相棒の目元につけていた専用のマスクを外しに行った。

 普段大人しい相棒にマスク装着は必要はないのだが、客が馬車内を利用している間に不測の事態が起きて暴れられては困るので、念の為付けさせてもらっているのだ。


「おまたせ。ごめんね、時間かかっちゃって。今日は、一人目で商品の全部を売り切ったよ。まあ、この地域であれば、売値もこんなところかな」


 相棒の正面に立ち、鼻の近くを手のひらで優しく撫でながら、トーコはいつものように語り掛ける。


「あんまり金額を釣り上げても、買ってくれないしね。うちにとっては、“リピーター率”の方が大事だから。でも、あのおじいさん、結構手持ち持っていたよね~。もうちょっと、高く売ればよかったかな?」


 ブルッブルルッ――


 トーコの話に呼応するかのように、その相棒も短く声を出す。


「ま、うちの商品はすぐに消耗するから、あれだけハマってくれたならまた買いに来てくれるでしょ。さてと、今日はどれくらい“収穫”できたかな? たくさん採れているといいんだけど」


 トーコは相棒に問いかけながら、『一番の目的』の物を取り出すため、馬車の真下へ体を潜らせていった。

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