第一章
第1話
「うーん、今日もいい天気! 絶好のお商売日和ね。さてと、そろそろ準備を始めますか!」
トーコは、うんっと大きく背伸びをして、今日一日分の気合を入れた。
木々の間から照らし出される木漏れ陽はほん和かとした温かさを感じさせ、湖畔に浮かぶ白い雲と水面に見せる青色のコントラストは、爽やかな新緑と共に一日のエネルギーを吸収させてくれる。
トーコにとってここは、活力と安らぎを与えてくれる、お気に入りの場所になっていた。
ブルルッブルルッ――
自分と同様に、“相棒”もこの場所が気に入っているようだ。
湖の浅瀬に入り、気持ちよさそうに水浴びをしている。
あとで、ブラッシングもしてあげなきゃね。ここまで来るのに、結構な距離を歩いてもらったんだもの。
ここは、ザフィーア王国の辺境にある片田舎の森の中。湖の畔に
普段、宿は利用せず、ほぼ毎回こういった場所で寝泊まりを繰り返している。定住場所も特に決まってはいない。いつも国中を巡って、移動販売を行っているのだ。
『移動癒やし屋』
別に、自分でつけた屋号でないのだが、世間ではそう呼ばれているらしい。
馬車式の癒し空間を提供したり、リラックスできる物を販売したりする行商人。トーコ自身はそう思っているのだが。
「さてっと。今日は、この辺りにしようかな。うーん、やっぱりこの場所はいい風が入るなぁ。っと、もうお客さんがやってきたかな?」
相棒のブラッシングを終え、『営業中』と書かれたのぼり旗と折り畳み式テーブルの設置をしていると、さっそくこちらへ向かってくる一人の老人の姿が見えてきた。
「ほう。ここが噂の、『移動癒やし屋』か。かなりのヒーリング効果を得られるそうじゃないか。試してみてもいいかのぅ」
「いらっしゃいませ~。お客様は、初めてのご利用ですか?」
「ああ、そうじゃ。以前、お前さんの店を利用した者から話を聞いたんじゃが、たいそうな効果があるようじゃな」
「それは、ありがとうございます。個人差はあるようですが、多くのお客様にご満足いただけているようで、こちらとしてもありがたい限りです。それでは、初めてご来店のお客様には、うちの店のシステムをご説明させていただきますね」
トーコはそう言うと、その客を馬車の中まで案内する。馬車の中は淡い緑色のカーテンで覆われ、その中央部には一台のリクライニングチェアが置かれていた。
「それでは、お客様。どうぞこちらへ」
その老客は、トーコに促されるままリクライニングチェアに腰をかける。トーコは老客が深く座ったのを見届けたのち、膝の上にやわらかい生地でできたブランケットをゆっくりとかけていった。
「座り心地は、いかがでしょうか」
「問題ない。というか、今まで見たこともない椅子じゃのう。座っているだけで体中がじんわりとあたたかくなってくるというか、眠くなってくる感じじゃ」
「この椅子も、それぞれのお客様に合わせた癒やし効果を生み出す一つの道具となっていますからね。それでは、ご利用方法について説明させていただきます。ご利用時間ですが、お一人十五分までとなっております。私は馬車の外におりますので、この空間はお客様お一人だけのものとなります。外部から完全に遮断されますので、余計な雑音等も入ってきません。十五分の間、寝てもよし、一人で考え事をしてもよし、このリクライニングチェアに座りながら、自由な時間をお過ごしください」
「そ、それだけかの……?」
凝りをほぐすといった、マッサージがついてくると期待でもしていたのだろうか。トーコのあっさりとした説明に、その老客は拍子抜けしたような表情を浮かべていた。
「はい。それだけでございます」
「し、しかし、それだけで本当に効果など……」
「それは、お客様ご自身で体感なさっていただければと思います。ちなみに、料金はかかりませんので、ご安心を」
「そ、それならよいかの……」
疑心暗鬼になりながらも、『料金不要』の説明を聞いたその老客は、トーコの説明を了承し、眠りにつくような仕草をみせた。
「それでは、お客様。どうぞ、よい安らぎを」
トーコはいつもの合図を出し、馬車入口のカーテンをシャッと閉める。と同時に、相棒の目元に専用のマスクを被せ、馬車の真下に“いつもの装置”を設定し始める。あとは、十五分待つだけ。
「ふう。今日も、『良い物』が採れますように」
トーコはそう呟くと、折り畳み式テーブルの上に置いた特注の砂時計をひっくり返し、さらさらと流れる砂粒をじっくりと眺め始めるのだった。
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