名前呼び

一人でいる時が一番幸せな時間。外にいるならまだしも家の中で誰かがいるなんて耐えられない。


……耐えられないはず、なのに。



「服貸してくれてありがと〜。今度返すね」


何故か一晩同じ屋根の下で。よりにもよってベットまで共にして未だ不快感を抱けずにいる。だいたい全部嫌になって投げやりになったとしても自分から誰かをベットに連れ込むなんて今になると考えられない。


彼女と一緒にいると自分の根本が揺らぐような気がしてしまう。未だに自分の中にある感情の整理がつかない。揺れ動くこの気持ちがなんなのか。私はまだその答えを知らない。



「ね〜聞いてる〜?おーい!やっほ〜?」


「顔を近づけないで下さい。ウザイので」


「やっと返事した。なんか考え事?話してご覧?私が解決したる!」


……彼女は遠慮と言う言葉を知らないようだ。

まあ、人の家にズカズカと入り込んで裸で抱きついてくるやつにそんな言葉が備わっているはずが無い。本気の不快感こそ抱かないが好意を抱く事も無さそうだ。


「なんか失礼なこと考えてない?」


「振る舞いが……いえ、存在自体が失礼な人に言われたくはありませんね」


「え?酷くない?かなり辛辣だね?お姉さん泣いちゃう…………え、無視!?」


自称お姉さん……いや、確か年齢的には二歳年上だったか。そんなことはどうでも良くて私にはやらなくてはならないことがあるのだ。


「そろそろ配信したいので帰ってください」


そう。昨日の騒動から未だになんの情報も出していないのだ。そろそろリスナーたちの我慢の限界だろう。ここらで配信をして昨日の騒動に歯止めをかけつつ、いつも通りの日常に戻る。それが目下の最大目標である。


「あーね。あ、じゃあオフコラボしよーよ!お泊まり会も込みで!」


「却下で」


「即答!?もう少し悩んでくれても良くないかな?」


私の心を乱す存在は必要ないのである。理由はなんであれ、とにかく私のテリトリーから追い出したいのだ。嫌ではなくても落ち着かない。早く一人になりたい。その一心である。


「コラボしよーよー!今コラボしたらさ、絶対バズるよ?視聴者めっちゃ集まるはずだよ。注目度がかなり高い今を逃す手はないと思うなぁ〜」


「どうでもいいです」


「ええ!?……欲がないというか、なんと言うか。向上心持っていこーよー。まだまだ上を目指してやるっ!ってさ」


現状維持で十分だ。私には他のライバーに無い強みがある。

それが異次元の長時間配信だ。切り抜きなんかも相当出回っており、人気はかなりある。現状維持は衰退だとか何とか言うけど、今から衰退して行ったとしても充分過ぎるほど利益が出る。慎ましく生きれば今の段階ですっぱり辞めたって行けるはずだ。


だけど、今の仕事は気に入っている。さすがに今から衰退していくのは痛い。注目度があるときにアクションを起こしたいのは山々だ。


だからといって私にも譲れないものがある。今まで誰ともコラボしてこなかったのに急にオフコラボ?ありえない。数字のためにそんなことはしたくない。コラボしたいと思えたのなら話は別かもしれないが数字のためだけにコラボなど、言語道断である。



「とにかく、コラボはしません。お帰りください」


「………だ……」


「……あの?聞いてますか?」



「やだやだやだ!帰りたくない!コラボしなくてもいいからもう少し居させてよ!」


……なんだコイツは。


急に幼児退行した目の前の人間だったものに白い目を……いや、蔑みの目を向ける。ウザイとかそういう次元を軽々飛び越えて行ってしまい、頭を抱える。

だいたい何故そんなにごねるのだろうか。今までロクに交流してこなかったやつの家になぜ長く居座りたいのか全く理解できない。どんな感情で駄々を捏ねているのか……1度でいいから頭の中を見てみたい。


「絶対帰らないし!配信始めたら勝手に登場してやる!」


「えぇ……」


さすがにドン引きだ。迷惑極まりない。帰らないのは100万歩譲っていいとして配信に出てくるのはまずい。今出て来れば確実にコメントで追求される。火に油を注ぐ訳にはいかないのだ。次の配信で今の騒動に歯止めをかけたいのにより悪化してしまうのは何よりも避けたい事態だ。


「やだやだやだやだやだやだやだ!」


「それでも歳上ですか……もう!家には居ても良いですから配信中は黙っててくださいよ!」


「……やだ」


……は?なんだコイツ。

そろそろキレてもいいのだろうか。こっちがどれだけ譲歩したのかがまるでわかっていない様子の彼女に段々と腹が立ってくる。産まれてこの方暴力なんて振るったことがないが握り拳に力が入りプルプルと震え出す。


「……名前……名前で呼んでくれたら黙っとく」


「名前……?」


「陽菜って呼んで。本名だから」


……めんどくさい。メンヘラレベルでめんどくさい。なんなんだ名前で呼んでくれって。

しかも本名バラしてきたし。



うちの事務所では変なルールがある。

Vアバターの名前の中に本名を混ぜる事だ。

漢字一文字でも良いしなんならフルネームでも良い。めんどくさいので下の名前をそのまま使ってる人が多い。私もその中の一人だ。


まあ、私はさらに見た目すらも寄せた異常なVなのだが。



まあ、何が言いたいのかと言うと。彼女を名前で呼ぶことになんの障害もないのだ。配信でうっかり口走っても関係ない。Vと本名の下の名前が同じなので影響がない。どうにも断りずらいお願いなのだ。何かと理由をつけて断ることが難しいのだ。


「いいじゃん……お願いぃ!」


「ああもう!わかったから引っ付かないで下さい!」


「ほんと!?やったぁぁぁ!」


本当に歳上なのか疑いたくなる。子供じゃん。反応だけ見ればただの子供だよコレ。


「じゃあ……陽菜さん。配信するのであっち行ってて下さい」


「んふふふ〜りょうかーい!」


名前を呼んだだけでなんであんなに上機嫌になれるのか心底不思議だ。


配信の準備をしながらふと考える。


本当にどうしてしまったのだろうか。問答無用で叩き出せばいいのに。名前呼びに理由なんて考えずに断ればいいのに。


昨日から、なんか、おかしい。


そんな気持ちを抱えつつ配信の準備を進めるのだった。

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