第2話
次に目を開いた時、坂川は見知らぬ場所に立っていた。クリアになった景色を見ると思わず息を呑んだ。なんと視線の先には燃え盛り黒煙を上げる無数の建物があった。紅に染まる光景の中、開いた口が塞がらずポカンとマヌケに口を開いていた。一帯には木造の建物が崩落している様や荷物を背負って急ぎ足で去る青年の姿があった。そんな中、坂川は呆然と突っ立っていた。満「痛っ!」いきなり坂川の肩に強い衝撃が走ると呻いて石畳に尻もちをついた。中年「イテェなぁ、おい!」頭を上げると立派な中年オヤジが鬱陶しげに見下ろしてきた。満「す、すみません!!」イカつい顔でジロリと見られ、ビクッと怯えておずおずと謝る。満「本当に…すみませんでした!」坂川が思いっきり頭を下げるのをみた中年はフンッと鼻を鳴らし、最後に唾を吐き捨てて足早に去っていった。坂川は中年が通り過ぎるまで体をビクビクと強張らせていたが、中年がいなくなると安堵の一息を吐いて全身の力が一気に抜けた。ふいに坂川が周囲を見渡すとそこは大通りだったようで周囲は開けていて、多くの人が行き交っていた。とはいえ、今は一方向へ人が雪崩を打つように向かっているようだった。満「これってあれか、地震にあって街が大火に包まれたってパターンなのかな?」坂川はそう言うと首を傾げて思い悩んだ。満「まぁとりあえず危ないんで立ち去っておこうっと、」坂川はその人混みの流れをみて、その先に避難所があるのだと思って駆けていった。
坂川は人混みに紛れてひたすら走っていた。その途中、何処からか爆発音のような重低音が響いてきた。満「ん?なんだこの音、何かが何処かで爆発した的な感じなのは分かるんだけど…」坂川は重低音が響いてきた方角へ足を向け段々近づいていく。坂川が慎重に歩を進めて、発信源の方を注意深く観ていこうとすると重低音の発生源の方向から「クアッ、クアッ カァッ、カァッ」という鼓膜をつん裂き、反響するレベルの大音量が響いてきて、坂川は両手で耳を塞ぎ耐えようとした。だが大音量を防ぎ切る事はできず耳を塞いでいても脳内で残響が反響し続けたり、共鳴し合ったりしている。坂川はそれらに耐えつつ頭を抱えようとした。坂川は大音量が収まるまで、脳内で残響し続けたり反響しあったりしている余波に気を取られつつ慌てて周囲を見渡すと何か得体の知れない影を見た。最初は自分が疲れているせいで幻覚を見ているのではないかと疑ったが、何度目を擦っても影は消えなかった。それどころか徐々に距離が縮まっているようにすら感じる。坂川の腰くらいの大きさの丸い影で、その影は一定の距離を保ったまま近づいているようにも見えた。ただこの影の正体が何なのかは分からないし、そもそも本当に存在するのかも分からないので不思議に思ったまま警戒することにした。それともう一つはっきり言えるのはこの影がファンタジー的な要素をもったナニカである可能性が極めて高いということである。なぜそう言えるかというと坂川はこの場所に来てから同じような体験を何度もしているからだ。そこで坂川は立ち止まって後ろを振り返ってみると重低音が聞こえてきた方向に燃え盛る建物の間に薄暗い路地裏があった。そこから黒い塊がゴキブリのような俊敏な動きで一瞬で現れて駆けていった。他にも同じような見た目の生物が続々と現れて、辺りは一瞬で物々しい雰囲気となった。路地裏の向こう側にはまだ奥の方まで続くような大群を成した獣達が蠢いている。もしあれらが人混みに乱入すればいずれ大多数の人々が獣に蹂躙されるのは自明だった。それにしても何処から湧いてきたのか不思議に思うくらい大量の獣達が大通りまで迫ってきている。体毛は黒曜石並みに黒く、目は眼光が輝く程に赤い。まるでライオンとクマを足したような生物だ。その生物は雷鳴のような力強い唸り声を轟かせ、異様に発達した牙と爪がギラついて夜の闇に浮かんでいる。その姿には物語に登場する魔王さながらの人々の本能を煽る圧倒的な恐ろしさがあった。そんな見た目に呆然とさせられる人々を置き去りにして獣達は規格外の跳躍力で人混みに突っ込んでいく。そして振り抜かれた鋭い爪の一撃は文字通りの惨劇となった。鋭い爪を剥き出しにして前から振りかぶるように人々に襲いかかった獣はたった一撃で十人を蹴散らした。肉片が飛び散り、血糊が吹き飛び悲鳴が聞こえる。すると血糊を浴びたり、肉片が頬に付いたりした人々がパニックになって勢いよく走っていく。その結果、あちこちで他人との衝突トラブルが起きて混乱に拍車を掛ける。そうでなくとも人々はたった一撃で十人もの人間が被害にあったという事実に衝撃を覚え、誰もが慄き、恐怖する。このままいけば瞬く間に骸の山が大量にできるだろうと誰もが容易に想像し、最悪の未来を予想した。だが何か行動を起こす間もなく先頭を駆ける獣の一群は既に爪を振りかぶり追撃をしようとしていた。坂川は体中を駆け巡る恐怖に身を任せ、ひたすら走り続けた。
なんとか獣達が見えないところまで走って来た坂川はゼイゼイと息を吐いた。遠くへ逃げ切った頃、体力を消耗して息切れを起こしていた坂川は周囲を見渡すと真っ暗で静かな夜景が続いていた。
そして息を整えて「あれ、ここはどこだ?クッソ、暗くてなんだかよく分からない。」と最初の一声がこれだった。坂川は怪我した時の痛みと体力の消耗で覚束ないながら這いずるようにノソノソと足を踏み出した。辿々しい足取りで「いったい何が起こったんだ?…いゃそれよりもここはどこなんだろうな、」と言って周囲を警戒した。
坂川は先ずあまりの異常事態に騒がしくなっている自分の感情を落ち着かせる事を優先し、異常事態が発生してから一歩も動かずに暫く立ち止まっている事にした。坂川は思案して、一呼吸置くと自分が今居る場所をゆっくりと見回した。そもそも坂川はこの間、色々な事が有り過ぎた為、自分が今何処にいるのかなどちゃんと確認していた訳ではなかった。これで近くに妖怪や幽霊の類いが居たらと想像しただけで体中に悪寒が走って止まらない。そんな悪寒に包まれながら坂川はゆっくりと周囲を見回すが幽霊は疎か誰もこの場所には居なかった。坂川はこの場所には誰も居ない事を理解した直後、込み上げてくる感情があり空を見上げた。
それから数秒後、坂川はこの時、初めて自分が泣いている事を自覚すると左手を目元に当てて涙を拭おうとしたりと慌て始めた。満(あぁもう、なんでこんな時に…速く涙を止めないと誰か来ちゃうかもしれない。)さすがに誰がいつどの時間帯に自分の近くに来て遭遇するのかすら分からない状況で、泣き続けている訳にはいかないのだ。だが一度切れた糸は戻らず、坂川が意識的に抑え込んでいた無力感、怖さ、不安などの感情も怒涛の勢いで抑え込める限界量を超えて遂には耐えきれなくなる。
満「うっ……ぐすん……ひくっ……」泣き声が漏れないように必死に手で口を塞ぎながら泣く坂川。
満(なんで僕ばっかりこんな目にあわなきゃいけないんだよ!)心の中でそう叫ぶと更に悲しくなったのか嗚咽を漏らしながら本格的に泣き出してしまった。
満「……うぅっ……..くそぉ」
その言葉が口から漏れると、同時に涙を拭い続けるもう片方の手の動きが止まる。そして、堰を切ったように嗚咽混じりの声が出る。満「なんなんだよ!僕が何したって言うんだ!」そんな事を言っても誰も答えてくれない事ぐらい分かっていた。だが、それでも言わずにはいられなかった。今まで溜め込んできたものを吐き出すかのように声を上げる。満「僕はただ普通に生活してただけじゃないかよ……」そう言いながらまた泣き出す。もう自分じゃどうしようもないくらい気持ちが爆発していた。「なんで僕だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ」「僕は何も悪いことなんてしてないじゃないか」「誰か助けてくれよ」「お願いだからもう嫌だ」坂川は感情を吐き出すように言いたい事を言いまくった。
満「……はぁ〜どうしてこうも僕はダメなんだ、どうしたら僕はこんな自分を嫌いにならずに済むんだろうか…」坂川は震える声で呟いた。だが、返事は無かった。坂川は暫くの間涙を流し続けた。
この場所に来てから泣いたのはこれが初めてだ。だが、泣くつもりなどなかった。泣きたい気分ではあるが、それでも泣きたくは無かった。しかし今泣いているのだから意味がないと自嘲し、自分の精神の脆さを恨む。満(こんな事なら意地なんて張らなければ良かった、)心の中でそんな後悔をする。しかし今更泣いてしまったのは仕方ない事だと思い、「うぅっ……くそっ……また泣いてしまって悔しくないのか此畜生!」泣きながらそんな悪態をつく。泣き止んだ後は自分が今、どれだけ不安だったのか思い知らされた。満「うっ……ぐすん」満(もう嫌だ……。誰か助けてよ……)
だが坂川にはもうどうすることもできないと分かっていても、それでも何かせずにはいられないという気持ちが心の中で暴れる。
しかし、結局何もできずにただ泣いているだけしかできなかった。
満「うっ……」坂川は自分の頬を伝って流れる涙を止める事が出来なかった。しかし、この空間には誰もいない。誰に気兼ねする事もなく声を上げて泣いた。しばらく泣いていると次第に落ち着きを取り戻してきたのか、自分の置かれている状況について考える余裕が出てきた。すると何故か安心感が体の芯を貫き、河原でビーム光線を当てられてからずっと全身に根を張り続けていた警戒心を解いてゆく。
満「……助けてよ」その言葉を最後に坂川の中で何かが壊れた音がした。満「何なんだよ……」そう呟くと更に涙が溢れてきた。満「……うっ……くぅ……」ガラガラ声になりつつも泣き続ける坂川だが、その涙を拭ってくれる人は居ない。暫く泣いていると嗚咽は次第に小さくなり、最後には渇いた喉から出る荒い咳へと変わった。坂川は泣き疲れてゲホッゲホッと咳をすると頬に赤く腫れた涙の跡が残った。
向かった先には壊された大きな桟橋があり、崩落したのであろう黒く焦げた木材が水に浮かんでいたり、石材が川底から突き出していたりしている。それを見た坂川は戸惑ったがよく見ると人々は桟橋の隣りにある漁港らしき港から小舟に乗って出港していた。人々は船着場にて行列に並んで小舟に乗る順番を待っていた。その結果、大勢の人集りができてなかなか前へ進めないでいた。坂川は桟橋に上がり、行列の最後尾に並んだ。行列は進み、やがて坂川の番が来た。桟橋の船着場の前には小舟が浮かんでいて、船頭らしき男が一人乗っていた。その小舟には屋根があり、椅子が備えつけられていた。どうやら手漕ぎの小舟で対岸まで渡るらしい。坂川は「よっこいしょっ」と声かけをしていそいそと、小舟に乗った。船頭はオールで水を掻きながら桟橋から離れていく。徐々に船着場から距離が離れ、遠くなっていく。小舟に揺られながら、坂川は小舟から見える景色を眺めた。どうやら見た感じは他の船も似たようなものだ。
やがて小舟は桟橋から離れて、流れのある川の真ん中くらいのところまでやってきた。周囲には他の船が浮かんでいた。その船の甲板から手漕ぎの小舟に乗り換えて対岸へと向かう人々もいた。どうやらこの船はそういうこともできるらしい。「なるほどな」と坂川は呟いた。そして坂川は対岸の辺りを見渡した。対岸にも船着場があって、その周辺には人々が並んでいた。坂川と同じように小舟に乗ってくる人々もいるが、桟橋辺りから見物している野次馬も多い印象だ。「対岸はあそこか…」と坂川は安心した声を上げた。やがて小舟は対岸へと到着した。彼は船頭にお礼を言ってから船を降りた。そして再び周囲を見渡した。そこには先程見たような行列はなく、ただ人が疎らに歩いているだけだ。まばらに立っている人々は皆一様に安心感と疲労感を感じさせる表情をしていた。坂川はその人々の中に紛れていくと人の流れを通り抜けて、街中を散策したり様々な人々や場所を見て回った。人々は皆それぞれ異なる行動をしているように見えて、やはりどこか皆んな哀愁を感じさせる顔をしていた。そして彼らは一様に「何がどうしてこうなったんだ?」と混乱しているように思えてならない。坂川にはその人々の気持ちがよく理解できたし、共感もした。自身もまたこの見知らぬ土地で孤独を感じていたからだ。同時に自分が抱くこの感情は周りの人とは違うものだと自覚していた。なぜなら坂川は初めて来た環境に大きく混乱し、焦っていたから。坂川は様々な場所を巡り歩いたが疲労で足が重くなるのを堪えながらやがてある場所に辿り着いた。そこは大きな広場だった。その広場には大勢の人々が集まっていた。人々は皆一様に同じ方向を向いていて、その表情はどこか安堵しているようにも見えた。坂川も彼らの視線の先へと目をやった。そこは大きな避難所のような施設だった。施設には修道士に似た服装を着た人達が慌ただしく右往左往していた。どうやらこの修道士達が施設を管理しているみたいだ。坂川は施設の入り口へと近づいていった。入り口には武装した兵士のような者達が立っていて、中に入る人々を検査していた。しかし彼らは特に何かを尋ねることもなく淡々と人々を中へ通していく。どうやら身分証明書の類いは必要ないようだ。「やっぱりこの場所は異世界ファンタジーなんだなぁ」と坂川は思った。坂川は修道士達に連れられて建物の中へと入っていった。建物は天井が高く広々とした空間で、大勢の人々がいた。そこには椅子やテーブルが置かれていて、人々はそこで食事をとっていたり、談笑していたりした。坂川は修道士達に連れられて、ある一角へと案内された。そこには大きなテーブルがあり、その上には食事が並べられていた。「どうぞお食べください」と修道士の一人が言ったので坂川はそのテーブルにつき、食事をいただくことにした。その食事はパンやスープといった質素なものだったけれど、それでも空腹だった坂川にとってはとてもありがたいものだったし、何より美味しかった。こうして坂川は異世界での初めてとなる食事をゆっくりと堪能したのだった。そして食事をとりながら坂川は修道士から様々な話を聞いた。その話を要約するとこうだ。まずこの世界は「システア」と呼ばれ、地球とは異なる世界であるということ。そしてこのシステアには現在、『異界の門』と呼ばれる異世界とのゲートが存在し、そのゲートが暴走しているということ。最後にゲートは今のいる街の中心に置かれて、そこから魔獣が溢れ出し続けているということだった。他にもこの世界には魔法が存在していて、人々はそれを使って生活をしているということだったり、この世界の通貨は「ゴールド」であり、1ゴールドで1円くらいの価値があるということだったりと色々と話を聞くことができた。坂川は修道士からより詳しい話を聞いたり、実際に魔法を見せてもらったりした。そして最後に彼は「このシステアは地球とは全く別の世界であり、自分は異世界に転移してしまった」ということを強く認識した。こうして坂川の新たな冒険が始まった。
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