第12話

 食べ終えて会計となった。お会計お願いします、とマキウチさんが手を挙げてお姉さんを呼び止め、テーブルの脇に置いてあった札を渡した。少々お待ちくださいませ、とお姉さんが軽く一礼をする。なるほど、お高いお店はレジじゃなくてテーブルでお会計か。いそいそと財布を取り出そうとしたところ、黒い長財布を取り出したマキウチさんに制止された。


「すみません、これで、あと領収書と……」


「お手土産のお菓子ですね、領収書と合わせてサンプルをお持ちします」


 すごい、プロだ。マキウチさんもにこやかにお願いします、と応じた。そして領収書がバンバン出るところに、ここは一体どういう会計システムなんだと冷や汗が出る。マキウチさんは公務員だけど、わたしは違うし、でも事務所は事務所で法人登記しているし(気になりすぎて国税庁の法人番号サイトで調べてしまった)。


 考えながらお冷をちびちびと飲んでいると、唐突にマキウチさんが声をかけてきた。


「そういえばさあ、キジョウさんっておしろの会って知ってる?カルト宗教の」


「え、えーっと、名前はうっすらと……」


 確か中学生の時だったか、皇居や国会議事堂、都庁など東京のあらゆる場所に爆弾を仕掛ける計画を立ててただかでそこの幹部が逮捕された――――――という記憶がうっすらとある。しかしなぜそんな話を。


「まあ、そりゃそんなもんか。ニュースになってたの、俺がここで働きだしたばかりだから、キジョウさんなんてまだ中学生?くらいだもんね。スケールはでかいけど未遂で発覚したから報道も沈静化したし」


「そ、そのおしろの会、何か今回の件とかかわりがあるんですか……?」


「んー、直接にはかかわりはない。ただ、あの男の人の方、オガワさんだっけ。あの人のお兄さんが元信者で、行方くらましてるから探ってくれって本庁からも指令が来ててねえ。並行してやろうかなあって」


 さらっととんでもないこと言われた気がする。

 そして本庁、とは。と思ったところでマキウチさんは国家公務員だということを思い出した。……マキウチさん、今人気のトリプルフェイス的な感じなのかしら。


「キジョウさんだからぶっちゃけるけど、俺がこんな仕事してるの、おしろの会の代表者をぶっ殺したいからなんだよね」


 えそれはあれなのですか妹さんの復讐的な奴なのですか。というかなぜわたしにぶっちゃける。とてもそんなことは聞けないまま、しばらくしてお姉さんが領収書とサンプル品を持ってきた。数は三つ、全て紺地に金の文字が入っている。一つはクッキー、もうひとつはマドレーヌとフィナンシェ、最後の一つはマカロン。うう、どれもおいしそう。仕事じゃないなら全部っていうのに。


 領収書の方はマキウチさんが事務所名を伝えて、お姉さんがその通りにボールペンを滑らせていく。完璧なお姉さんだが、字は結構丸字でかわいらしかった。


「んー、すみません、クッキーの方で」


 マキウチさんが悩みながらそう答えると、恭しくお姉さんがお辞儀をして素早くではあちらでお渡ししますと案内した。ちょうどホテルラウンジの入り口だ。立ち上がる時にマキウチさんがボソッと、「あのお姉さん、君とは違う方で女の子っぽい字だったね」といったのを聞き逃さなかった。


 お、女の子っぽい字って何。そもそも仕事で字を書くこと……まあまああるな。管理簿とか、アンケートとか、そもそも履歴書とか。マキウチさんには私の経歴もろもろバレてるのに、わたしは一切何も知らないのは不公平だ。とはいえ結構知ってるほうか……?


 色々考えているとお姉さんが白地に小花柄の紙袋に入れて渡してくれた。友達とモノの貸し借りがそれなりにあった高校時代、この紙袋を渡していたら人気者になれただろうか……。


 ぼんやりしていたらあっという間にマキウチさんとお姉さんのやり取りは完了して、マキウチさんはロビーにならぶソファーのところまで歩いていた。あわてて小走りで追いついた。ホテルから出て、すぐの信号を待ったところで、マキウチさんがさっきの続きなんだけどさあ、と続けた。


「学生時代のツレでさ、義理の父親がおしろの会にドはまりして、家の金全部つぎ込んで困ってるって言ってたやつがいてさ。そいつがもう我慢ならねえ、あいつを引きずり出して殴らねえと気が済まねえって言ってきたことがあるんだよ。あぶねえことはするなよって言ったけど、そいつ結局帰ってこなくて。それが幹部逮捕の三年前くらいかな……で、あの逮捕の時にようやく行方が分かるんじゃ、と思ったけど結局そこにはいなかったって。じゃあどこ行ったんだってなったら、雲隠れしてる代表のとこだと思ってさ。研修終わった後の配属先の希望聞かれたときに真っ先におしろの会の代表ぶっ殺したいんですけどどこ行けばいいですかねって言ったら今の事務所に配属されたのさ」


 ヘビーすぎて黙って聞くしかない。マキウチさん、うちに来た時に話した発狂した人を目の前で見た件と言い、すごく波乱すぎる人生を送っていませんか。殺し屋やってるからそういうのには事欠かないのかもしれないんだけども。


「まあ、結局おしろの会の代表の行方、つかめてないんだけどね、結局。海外に高飛びしてるのかなあ」


「……大事なお友達なんですね」


 気の利いたことなんて言えないが、差しさわりがなさそうな感想だけ述べた。実際、そこまでして探したいなんて、よほど仲が良かったのだろう。マキウチさん、意外と友達思いなんだな。


「まあ、一番遊んだからねえ。高校の時からの付き合いかな?どこかでひょっこり生きてるのかなあって、あきらめきれなくてさあ」


 マキウチさんは空を見上げた。本日は晴天なり、澄み渡った青空だ。ぽこぽこと羊のシルエットのような雲が見える。マキウチさんのお友達、どこかで生きてたらいいな。そして、再会できたらいいな。そう思わずにはいられなかった。


「あとねキジョウさん、悪いけどこの件はオフレコだから。そこんところよろしく」


 あ、こればらしたら殺すってことですね。内心震えながら、こくこくとうなずくしかできなかったわたしはヘタレです。


◆◆◆


 立ち寄った公園で、アポイントのためお二人の会社の代表番号にマキウチさんが電話をかけた。正確に言うと、ホテルから信号を渡った向かい側にオフィスがあるそうだが、さすがに連絡なしに行くのはマナー違反であるという判断が下されたのである。至極ごもっともなので文句はない。


 そしていつも思うけど、電話するときのマキウチさん、声がワントーンあがってる感じがするの何だろう。声が高くなるのはわたしも母も似たようなもんなので言わないけど、素の喋りとギャップがありませんか。営業用とはいえ。


「すみません、私大江戸事務所のマキウチというものなんですがオガワ様かササオカ様はお手すきでしょうか。……ああそうだったんですね。用件は、先ほどの打ち合わせの件とお伝えいただければわかるかと。ではご連絡お待ちしています」


 ……バトルが行われているんだろうか……。マキウチさんはため息をついて、二人とも離席していて、いつ戻るかわからないから折り返しますって言われたよと苦々しい顔で報告をくれた。


「まあ、カブラキリリアの自殺未遂の件を調べるのは俺らの仕事じゃないからね。とはいえちょっと気分悪いから、送った奴らはせいぜいげろ吐くぐらいまで追いつめられればいいと思ってるけど」


 最後の部分は完全に同意である。とりあえず十五分は待って、折り返しがない場合は再度連絡してお菓子をオガワさんに渡してくれと総務の人に頼もうということになった。


 ……そうなると、マキウチさんのもう一つの目的は果たせないけど、それはいいんだろうか。


「まあ、ダメもとに近いけど、公安が調べきれないなら家族がかくまってるって考えるのがセオリーだからねえ。麻薬作るような宗教だからやくざになってるかもしんねえけど」


 物騒なワードが並びすぎている。というかおしろの会ってそんな物騒な組織なんだ。一年の振り返り的なニュースでちらっとやってたのを見たぐらいなので、あまりよく知らないというのが本音だ。


 そんな話をしていると、マキウチさんの携帯が鳴った。折り返しの電話だけど、果たしてどうなるか。電話に出たマキウチさんは、やっぱり営業用の話し方だった。


「お電話ありがとうございます、マキウチです。あ、先ほどの。ええ、ええ、そうですか。わかりました。では、お茶菓子を渡しに今から伺いますが、お電話のスズキ様をお呼び出しすればよろしいでしょうか。ええ、すみませんが、はい」


 二人ともとても対応できないらしいから、後日改めてってさ。マキウチさんが吐き捨てるようにそう言って、とりあえずさっきの総務の人にお菓子渡しに行くよ、といつの間にかベンチを立ち上がって颯爽と歩いていた。


 慣れない靴であわてて立ち上がると、よろけそうになる。つっかえつつ、その背中を必死に追った。


 その会社は、普通のオフィスビルだった。当たり前か。マキウチさんいわく、三階が総務部なので、そのままさっきの電話に出てくれた人がお菓子の受け取りをしてくれる約束らしい。


 省エネに気を遣わず、わたし達は三階までエレベーターを使った。さして広くないので、若干マキウチさんが近い。薄荷のようなにおいがする。香水の匂いかしら。


「オガワさんに話聞くのは別の時だな。何にも知らなかったらかわいそうだしねえ」


 ちょうどエレベーターが目的地にたどり着いた。ゆっくり開いたドアをくぐると、目の前に総務部受付と表札のようなものがカウンターの真ん中あたりに貼ってあるフロアにたどり着いた。


 ちょうど近くにいた人にマキウチさんが話しかけると、その人が件のスズキさんだったらしい。ササオカさんを見た後のせいかもしれないが、地味目な印象の女性だった。黒髪をヘアゴムで一本縛りというごくごく普通の髪形に黒縁の眼鏡、事務服に紺色のカーディガンという鉄板コーデが余計にそういう印象に見えてしまうのかもしれない。


 とはいえスズキさんの対応は流れるようだった。マキウチさんからお菓子を受け取り、それにぺたりと付箋をはると、何かご用件があれば伝えておきますが、とメモの準備をしていた。お仕事ができる人だ。


「いえ、お話の件はまた日を改めてお話をとメールをしておきます」


 かしこまりました、とスズキさんは流麗な字で『本日の打ち合わせ 後日改めて』と書き留めている。なんとなく、この人がリリアちゃんに暴言は居てたらすごく嫌だなあと思いつつ、さてこれでいったん事務所に戻るのかしら、と考えていた時だった。


「ちなみに、スズキさまはお仕事は何時に終わりですか」


「定時は17時で、雑務で少し過ぎることもありますが……それが何か」


「実は我々、カブラキリリアさんの件で動いてまして。同じ社内の方ですし、もしご存知のことがあればお話し伺えたらなと。お茶代くらいは奢りますよ」


 マキウチさんが営業スマイルでそういうと、スズキさんは何かに気づいた顔になった。なんというか、点と点がつながって、すっきりしたという感じの。


「……それでオガワとササオカさんだったんだ……」


 スズキさんはぽつりとそう呟くと、少々お待ちください、と言って少し席を離れた。しばらくして戻ってくる。その目には、なんというか、闘志のようなものが宿っているように見えた。


「会社としてではなく、わたしスズキユリコとして、ご質問にお答えします。今日、十七時半に、待ち合わせでいいですか」


 マキウチさんは笑っていなかった。ものすごく真剣な顔で、スズキさんを見据えて、名刺を渡した。例の、特急で作ったものだろうか。


「構いません、では後ほど会いましょう」


「もう一人連れてきます。ササオカとは別の、カブラキと同期の子です」


「わかりました。こちらもこのキジョウと一緒にお話し伺います」


「きっと気になさってると思うので、オガワとササオカが今会議室で話してることも合わせて伝えます。会社の機密にかかわる部分以外になりますが」


 スズキさんはぱっと名前と携帯電話の番号、それからメールアドレス(携帯キャリアのアドレスだったので会社用じゃなくプライベート用だとおもう)をかいた付箋をマキウチさんに渡した。


 ……予想外の展開だけど、ある意味ラッキーなの、かしら。


 マキウチさんはその付箋をスーツの内ポケットから取り出した手帳に貼って、スズキさんに礼をしてエレベーターの方へ踵を返した。わたしもあわてて頭を目いっぱい下げて、そのあとを追う。


「まあ、思わぬところから収穫できそうだね。事務所には時間つぶしと報告がてらいったん戻るけど、残業代はきちんと出すから安心しな」


 いや、そこはむしろそこまで気にしてませんでしたけど。でも、スズキさんのあの様子だと、リリアちゃんの件何か知ってるのかな。何の縁か妙なつながりを持ってしまったので、彼女のことが本当に気がかりだ。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 そういうマキウチさんの声は、どこか楽しそうだった。

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