超常現象 あるいは怪物 ⑩

 乙宮姫子と邂逅してから、二日後。月曜日だが、秋休みのため学校はない。今日は何をしようか、と考えながら伸びをした。


 結局、紀乃の処遇については平日は官舎、土日や大型休みの時は祖父母の家に行く、ということに決まった。これまで土日も月二回程度は訪れていたのだが(そのおかげで佐月の密告までばれなかったともいう)今度からは毎週来ることになる。


 それならいっそおじじ様の家におったほうがいいんじゃないか、と刑部は訝しんでいた。紀乃もそう思うが、それで話がまとまったならひっくり返すようなことは言わないようにと務めた。


 髪型を整えていたところ、珍しく刑部が身支度中に声をかけてきた。


 「なあ紀乃。お前あの時、まともに乙宮の顔を見とらんじゃろ。今から家出て、学校の前通って見てみるか」


 「お言葉ですけど師匠、さすがに朝から気分悪くなることしたくないです……」


 土曜日に乙宮姫子を見てあの有様になったばかりである。日を改めたら見え方は変わるかもしれないが、あの臭いをまた嗅ぐかもと思うとげんなりする。今でも思い出すだけで鼻がむずむずしてきた。


 「まああの時真っ青じゃったもんな。悪いこと言った、忘れてくれ。わしが顔覚えとりゃいいだけじゃな」


 「……乙宮姫子の情報取ったのくだりを聞いてないので、その話を聞かせていただけるなら考えます」


 あの後結局聞けずじまいだった。帰宅後はゆっくり寝てろと休まされたし、次の日は盛房が疲れが出たのかもしれないから温泉に行こう、と言い出し箱根まで行ったので、結局聞く機会がなかった。箱根から戻ってからそのまま祖父母の家に泊まっている。


 その「情報をとった」という部分は大変気になる。別に条件なしでも教えてくれるだろうが、それは筋が通らない気がした。そもそも乙宮への復讐を言い出したのは紀乃の方なのだ。


 「そうか、話とらんかったな」


 行く道すがら話す、と言われた。とりあえずパーカーにハーフパンツという軽装を選び、スマートフォンと定期券、財布をパーカーのポケットにしまった。梓には散歩してくる、と声をかけた。そのことを特にとがめられはしなかった。


 スマートフォンで目的地までの道のりを検索する。電車を使うことになるかと思っていたが、今からなら歩いても始業前にたどり着けそうだ。歩いていきましょう、とまずは大通りの方へ向かう。その道のりで刑部が情報取ったって言うのはな、と話し出した。


 「なんかこう……身体に腕を突っ込むというか。学校行った言うたじゃろ。そんとき眺めてて、こいつが何者なのか触れてわかるなら楽じゃなーとか思ってたら、出来た。じゃから仕組みはわしもようわからん」


 「無法すぎる……」


 本当にチート幽霊である。当人も首をひねりながら、なんで出来たんじゃろうねえと不思議そうだ。


 「まあ、ある名前では無いし余程じゃろと思ってはいたが、万が一ということもあるしな。確認できてよかったよ」


 実際紀乃はその点が気になっていたので、確認してもらって助かった。違法じゃないしいいよね、と考えてみる。そもそも幽霊に法律は適用できないだろうが。


 「でも潜伏するなら普通偽名使いますよね?」


 「あのな、わしらの時代なら好き勝手名乗って許されるが、お前らは戸籍言うもんがあるじゃろ。学校行くにも病院行くにも無視はできん。名前変えるにしたって、養子入って苗字捨てれりゃ誤魔化しは効くだろうが、その当てがなきゃどうにもならんじゃろ。第一偽名使うたところで、まあ学校はいいかも知らんが、病院は無理じゃろ。闇医者にかかるならまだしも」


 なんでわしのほうが現代の仕組みをわかっとるんじゃ、という顔をされてしまった。ごもっともすぎる指摘なのでうなだれる他ない。


 ただ仕組みに関しては、刑部の飲み込みがいいのだ、と紀乃は密かに考えた。刑部は地方を玄武、青龍、朱雀、白虎と四神に準えた言い回しをする。刑部の頃は天子様のいる場所を『中央』とし、それ以外の地域をこの四神に対応する呼び方をしていたため、ついくせでそう言ってしまうらしい。この表現は明治以前は広く使われており、時代劇ではよく耳にする。しかし明治維新以降ではもう使わない区分けだ。


 そんな大昔の人なのに、よく現代の仕組みを理解出来たな、と感心する思いである。そもそも刑部にそんなものを教えた覚えはない。というより教えられない。当人いわく、「紀乃が小さい頃よく図書館に行ったから、そこで沢山本を読んで覚えた」らしい。ついでにテレビも大いに学習に役立ったと言う。末恐ろしい幽霊である。


 「まあ言いたいことはわかるよ。あんな目立つ名前なんでそのままにしとるかな、と思った。けど娘の名前は紀乃が見つけたあの記事にしか出てないから、そのままにしたらしい」


 「え、そういう事情まで!?怖!?性能どうなってるんです!?」


 「……試しにお前の身体に手ぇ突っ込んで取ったろか。何が見えるかねえ」


 「突っ込まなくてもわたしのことは分かるじゃないですか!これ以上丸裸になるのは嫌ですー!」


 身を抱えて拒絶すると、今更お前のこと取ってもなんもおもろないわ、と冷たく吐き捨てられた。それはそれで傷つく回答である。


 「そんでやっぱり、乙宮はわしの知ってる乙宮じゃったね。歩き巫女の家系、ずーっと予言かなんぞして細々と生きてきた、と本人は思ってるらしい。それじゃ現代では食べてけんから、親は外で働いとると思っとる。おめでたいなあ」


 「ん?外?」


 「ああ、悪い。省いてしもた。乙宮神社言う神社が白虎よりの中央……今は関西の……どこかね、山の方にあるらしい。そこが乙宮姫子の実家なんじゃと。で、親父の方はよーわからんが、こんぴゅーたーの仕事らしい。お袋の方は……お前のクソ親父の元同僚じゃ。今はやめて姿くらましとるが」


 「え、元同僚って、警察……?」


 ありえない。おしろの会の代表の妻が警察官だっただなんて。しかも泰政の同僚と言うなら、公安警察の可能性すらある。おしろの会は発覚した事件が微妙にスケールが小さいからか、ニュースでもほとんど取り上げられない。しかしやろうとしたこと自体は国家転覆罪ものである。だから勝治や彰隆も、公安がマークしていると話していたのに。まさかそのマークすらおしろの会の手の内なのだろうか。


 「たまたまらしいぞ。警察官になったあと、乙宮の家に入ったそうじゃ。でもそのせいで実家には嫌われとるらしい。乙宮姫子の母親は、紀乃が大嫌いな落語家の姉貴なんだと」


 「んぎゃ!?森屋虎徹もりやこてつ師匠です!?」


 思わぬ名前に驚きのあまりやや乙女としてははしたない声が出てしまった。意外と人通りが少ないので聞かれてないことに安堵する。


 「おお、えらいぞ紀乃。嫌いな奴にも敬称を付けられるのは大人の証じゃ」


 刑部はよしよし、と頭を撫でてきた。紀乃としてはからかわれている気持ちであるが、刑部は本当に感心しているらしい。あんなにボロボロに言ってたのに、ちゃんと敬称をつけて呼ぶのはえらいぞ、と笑顔だった。


 その名前からして、嫌われている原因は一つしかないだろう。恐る恐る聞いてみた。


 「あの、嫌われてる原因って、そのせいで襲名の話が無くなったからですか……?」


 「うん。とはいえ本題からずれるけえ脇に置く。……お前の親父、父親としてはクズじゃが警察官としては優秀みたいじゃな。公安に所属して国の情報取ろうとした乙宮姫子の母親を、不正利用の証拠つかんで追い落としたんだと」


 「え、もしかしてそれで恨まれてます、わたし?」


 佐月が気をつけろ、と言ったのはそういう事情だろうか。佐月を突き落とした犯人はまだ捕まっていない。ついでにあの赤座という記者も、結局東都新聞には在籍していないことが分かった。要は立場を騙ったわけだ。取材を受けず正解だった、と思わぬ形で証明された。


 紀乃の名前を知っている事情については、佐月のことをかぎつけた時に誰かから聞いたのではないか、と推論づけられた。東都新聞は悪評もあれど、大手新聞社だからある程度信用されてしまったのではとは勝治の弁だ。


 「うーん。親父の弱みとしてお前が狙われとるんじゃないか。あの親父がどう思っとるかはともかく、弱みとして娘を狙うのは合理的じゃもの」


 そうなのかなあ、と紀乃としては疑問である。確かに家族は弱点として人質になるのはドラマではよくある。泰政はあの指切りを考えれば、紀乃に一定の愛情は持っているようだが、それが弱みたりうるのか。


 「……ろくでもない一族なのは本当じゃ。今日見て、無理なら引き返し。癪じゃがあの子の仇捕まえられるのは、あの親父だけじゃ」


 そう言われて、本当にこの前みたいに見えないように強く祈った。せめて、あの臭いさえ無ければ。


 話しているうちに乙宮姫子が通う学校の近くまで来た。ちょうど車道を挟んだ真正面だ。分離帯があるような広い道路ではなく、片側一車線、学校がある側に歩道があり、紀乃たちがいる側はやや幅広の路側帯である。車の通りが少ないことと、路側帯といってもそれなりに幅広なので立ち止まっても迷惑にならないのが助かった。


 校門に『私立 至極学園』と書いてあるのが見えた。丁度登校時間のピークらしく、多くの生徒が飲み込まれるように門を抜けていく。この中から探すのか、とげんなりしたところで刑部が声をあげた。


 「ああ、おったおった」


 花壇の前におる、と顎でしゃくった。その方向を見ると、確かに女子生徒が立っている。今度はちゃんと人に見えた。そのことに安堵する。


 まず本当に長い三つ編みである。多分腰の辺りまではある。制服がかなり派手な造形のブレザーであるためか、かえって三つ編みという真面目の代表である髪型が違和感がある。なんと言うか、似合ってない。もう少し髪が短いか、制服のデザインがシンプルなら違和感は薄れたと思う。


 また、眼鏡も赤いフレームが妙に目立つデザインで、こちらもあまり似合っていない。詳しくはもう少し近寄らないと分からないが、何となく昭和の漫画に出てくる教育ママみたいな眼鏡のようなデザインに見える。


 顔立ちについてはよく分からない。ただ、眼鏡と三つ編みに印象を取られ、それ以外はさしたる特徴がないように見えた。ひたすらに、地味な感じ、というような。野暮ったいと言われてしまうのも納得である。陰気臭い、という刑部の評価は俯いておどおどしてるような様子からだろう。


 「朝から何俯いとるかね。挨拶運動言うて全然しとらんし」


 「挨拶運動?」


 「そうじゃ、あ、そもそもそれ言うとらんか。こっから一週間、挨拶運動という名で生徒会が門の前立って挨拶するんじゃと。乙宮姫子は生徒会員だから、学校行く時間に合わせりゃおるだろうと思って誘ったというわけ。丁度紀乃は学校休みで暇じゃろと思うたし。最悪倒れても今度こそ救急車でええもんな」


 しもた、と口元を抑えて困り眉になっている。紀乃としてはだから誘ったのか、と納得したし、判断は合理的極まりないので気にしなかった。顔も見れたので、もうここから引き返しても構わない。刑部の話なら帰り道に聞いて、続きは家でも聞ける。予定がなく暇なのも事実だ。


 「あ、あれが設楽の当代……いや、よう考えたら高校生じゃ、まだ親父か誰かが当代かもしれん」


 そう言って刑部が視線誘導した先には、背の高い(ちょうど自販機が近くにあり、それより少し低いくらいだった)男子生徒がいた。こちらはブレザーを着こなし、颯爽とした雰囲気である。ミディアムヘアの黒髪はワックスはしない主義なのか、ぺたんと落ち着いている。好みでは無いが、世間的にはイケメンの部類にはなるだろう。実際結構な数の女子生徒が、きゃあ、と言いながら挨拶をしていくのがみえる。


 なるほど、あれが刑部の言うところの見れる顔、と言うやつか。不遜な評価であるが、当人がそれを上回る美形なので仕方ない。


 「紀乃はあの子らみたいにあれ見てきゃあとは言わんね。感心感心」


 「そりゃあ、隣にもっと美形がいますからね。そのせいでハンサム判定の基準が厳しくなっちゃって」


 「ふふん、こちとら生きとる時は在五中将や光る君に準えられたもんね。並の男じゃわしには勝てん」


 嫌味っぽく言ってみたが不発だった。それどころか顔を上げて誇らしげにそう言われた。在五中将、つまり在原業平や光源氏に例えられたとなると、美男である以上にさぞ女性との浮名がいくつもあったのだろうかと考えてしまう。気になるが聞いたらこの耳年増め、と言われそうで癪である。


 「……なんで化物に今は見えんかねえ。普通に見えとるんじゃろ」


 よくわかるな、と思ったが、先日は嘔吐までしたのに、今は平然としているならそう判断するのは当然である。もっともあの悪臭に近いものは、やはり乙宮姫子から発せられてるように思えた。何日か洗わないまま放置した夏場の靴下くらいは臭い。この前の「この世の臭いもの欲張りセット」よりはマシだが、それでもここまで漂うなら、本当にしていたらなかなかの悪臭である。先日のは間違いなく実際に漂っていたら一帯を封鎖する騒ぎだったと思う。


 「ちょっと臭いですけど、我慢できます」


 「むしろここまで漂うならなかなか臭そうじゃね。わしは臭いはわからんのでなんとも言えんが」


 幽霊なので当然ではあるが、刑部に備わった五感は視覚と聴覚のみである。嗅覚、味覚はてんでなく、触覚も透けてしまうから無いに等しい。それなのに紀乃にだけは物理干渉をして、「餅みたいに伸びる頬」「針金みたいにつるっつるでかったい髪」と乙女に対して何たる評価か、と思うコメントをしてくる。髪の毛はともかく頬の評価は酷い。せめて肌がきれいくらいにとどめてほしい。


 「……洗わないで放置した靴下くらいの臭いはします」


 「何でそんなくっさい臭い嗅いで平気な顔しとる?おかしないか?この前のが余程臭かったんか?」


 刑部の酷い評価を思い出して腹が立ち、嫌がらせ目的で言ったが見事に不発だった。一応顔を顰めているので思い出してはいるのだろうが、平気な顔をしていることを見咎められる羽目になった。


 「……師匠って、くさやの臭い分かります?」


 「残念ながら食ったことも嗅いだこともない。一回誰ぞが城に持ってきて焼いたらしいが、わしは病弱じゃからね、気絶したらいかんとその日は外に出るのを禁じられてしまった。じゃから臭いというのは知っとるが、具体的にどう臭いかはしらん。なんね、この前はくさやの臭いみたいじゃったか」


 二度目も不発。さすがに紀乃の完敗だった。なんなら多分一度目の方がダメージがありそうである。


 項垂れたのを肯定の頷きと思ったのか、元気な紀乃が吐くほど臭いなら、わしじゃほんまに死んどったかもしれん、嗅がんでよかったなと苦笑いされた。


 今ほど心が読めるわけでないことに安堵する。本当に心が読めたなら「お前師匠にどういう了見か!」と頬抓りの刑だっただろう。


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