超常現象 あるいは怪物 ⑨


 勝治は校門で立っていた教師に報告するというので、そのまま校内に入った。たった一日休んだだけなのに、通いなれた学校が違う場所に思えてきた。


 ふっと上を見上げてみる。佐月が突き落とされたのは、四階建ての校舎屋上。フェンスがないため、そこは立ち入り禁止になっている。万が一入り込めないよう、閉められているはずが、その日鍵が壊れて、ちょうど業者に修理を依頼したところだったという。


 鍵が壊れたことを知っているのは、学校関係者だろう。それとも忍び込んで、鍵を壊したのだろうか。それでも、警備会社と契約しているから、侵入者が現れればすぐにわかる。


 刑部とは、昇降口のところでいったん分かれた。昼休憩の時に話せそうなら、と言われたので、紀乃は昼食を購買で買おうと考えた。夜明学園の図書室は、飲食を禁じていないので、食べながら話を聞けるだろう。


 しかし、刑部がいざ離れてしまうと、心細い、と思えた。別に刑部が可能範囲内で離れるのは初めてではないし、過去に不安に思ったことは不思議とない。けれど今日は、どこか心もとないと思ってしまった。


 何とか授業を無事に終え、昼食に誘ってきた友人にごめん、と断ってまずは購買に向かった。


 すでにそれなりに人だかりができている。何とかさばいて卵が挟まったロールサンドとジュースを手に取って会計を済ませた。そしてそのまま、図書室に向かう。


 図書室は運よく刑部以外誰もいなかった。ここではさすがに床に本を置いて読むわけにはいかないからか、立った状態で本棚の前で読んでいる。見た目的には本をもって立ち読みをしているわけだが、実際は浮かせているし、ページは手でめくっているのではなく念力で動かしている。


 ひんやりとしたこの部屋に幽霊がいるのは似つかわしいといえる。カーディガンを羽織ってくればよかった、と少し後悔した。


 「師匠、どうですか首尾は」


 「ああ、そうかもうそんな時間か……。まあいいわ。紀乃は飯食っとき」


 振り返った刑部は、朝と違って顔を覆う布をとっていた。この仕組みはいまだに謎なのだが、隆志曰く幽霊というのは肉体がないから、服装は本人の意思で決められるらしい。それを思えば布のつけ外しは大したことではないのだろう。


 とりあえず四人掛けの席に座り、おとなしくパンをもそもそと食べることにした。とろとろの卵がおいしい。刑部はするり、とちょうど紀乃の正面に当たる席に座った。実際には違うのだが、見た目上は座っているように見える。


 紀乃がパンを食べ終わり、ジュースを飲み切るのを見届けて、刑部は話し出した。


 「……屋敷が燃えて、わしだけ生き残って、青龍将軍様のお世話になったと言ったじゃろ。そのあと、死ぬまでの間にいろいろあった。本当にどうして忘れてたんじゃろう、と思い出すと思うけど……順に話す。あの日から、将軍様のとこでお世話になってたのは本当。身体が弱いから、可哀想じゃと思われてたんじゃろうなあ、ボケーっとしとるだけなのに随分将軍様には優しくしてもらった。……ある日、天子様のところの役人が、わしのこと連れ出したの。そこで、三郎は生きていて、でも鳳家がああなった原因を作ったということで、死罪になるのだと聞いた。わしはどうもあの日、死んだことになってたけど、生きてることがばれて連れ出されたの。鳳家は天子様の直属の家、そこでの不始末は重く扱われる。ほとんど休んでたとはいえ、一応中枢で働いてたということで、裁きにかけられることになった」


 「え……まさかそれで……」


 刑死は想定外だが、ショックで記憶が抜け落ちたのだろうか。覚えのない罪で死罪になったことへの悲しみで幽霊になったというなら合点がいく。


けれども刑部は不服そうな顔になった。たぶん、机がなければ思い切り頬をつねられていただろう。


 「阿呆、最後まで話は聞き。とりあえずそこで知ってること話せって言われて、ちゃんと話した。……本当はでも、それでわしも死ぬはずだった。でも、首切り役のが随分若くてなあ。多分今の紀乃くらいかも。こんなちびなのに人の首切るのか、大役じゃってちょっと声かけたの。そしたら随分懐かれてしまった。次の日、処刑の時間じゃって呼ばれて刑場に連れてかれたけど、その首切り役が他の見張り役とか倒してしまって。わしのこと連れて、将軍様の家に連れてった。まあそんなことになったら余計わしの罪は重くなるじゃろうと思ったが……。もともと将軍様が助命嘆願してくれて、それが通ったと。逃げたのもまあ、順番違うけど不問にしますって。三郎は……そのまま、死罪になってしまった」


 刑部の顔がここで思い切り歪んだ。二の句が継げず黙っていると、ふうと息をついて再び話し出した。


 「三郎が死罪になったのは、鳳家の主が狂った原因を作ったから。厳密にいうと、その原因になったおなごを連れてきたから。その人は主の愛人で、若菜の方と呼ばれていた。その人が、乙宮の巫女を連れ込んだ。なんでかは……だんまりだったらしいけど。三郎がその人を連れてきた理由も、よくわからないまま。でも、ともかく鳳家を滅んだ原因を作ったその二人は死罪。無関係のわしだけ、無罪放免と」


 もうちょっと詳しいこと残ってるかと思ったが、本読んでも何も載ってなかった、と悔しそうな顔だった。結論ありきの裁きじゃから、と嘆息する。


 「結論ありきって……最初から、三郎さんは死罪になることが決まってたということですか?」


 「三郎が、というよりたぶん……天子様方としては、鳳家の人間は全員握りつぶしたかったんじゃないかね。反乱因子になると面倒だから。その点病人で寝てることが多かったわしなんか、無視できるからな。でもな、裁きの場で流行ってた薬の材料を言い当てたから、長いこと聴取された」


 「言い当てたって、師匠流行ってた時お休みしてたんですよね?よくわかりましたね」


 「どういう薬かは話に聞いてたから。気分がスーッとするとか、幻が見えたみたいな話は伝え聞いた。そっからじゃあ罌粟と麻じゃ、と思ったからそのまんま言っただけなんじゃけどな。効果のほどなんか本読めば書いてある。でも、向こうとしてはきちんと事の経緯を残しておきたかったんじゃろう。確か、ちょうど歴史書の編纂もしてたはずだし。半年くらい居ったかしら。でももともと身体壊してたから、青龍家に戻ってすぐ死んじまった。その時に死神様と会ったんじゃろう」


 「……ちなみになにか死神様に頼まれごとでもされましたか」


 話を聞けば聞くほど、刑部に未練はない気がする。そうなると当人が言うところの「死神に封印された」のくだりに刑部がこうなった秘密がある気がする。


 しかし当人は首をひねって、特に何も頼まれてもないが、と不思議そうな面持ちだ。この表情を見て、紀乃は追及を諦めた。別に聞いたところで何かが変わるわけではない。


 ただ、言い回しから無理矢理「こうなるように」仕立てられたのではないか、と直感的に思った。なんの意図があってかはわからないが。


 刑部の話に出てきた、乙宮の巫女について改めて聞くことにした。どちらかと言えば、こちらの方が重要だ。


 「そもそも、乙宮って何なんですか」


 「確かなあ、元は歩き巫女の家系なんよ。西は九州、北は東北まで津々浦々歩いて渡って、妙な予言したりしてたらしい。どこで手に入れたか知らんが、罌粟の花使って乗っ取りとかやりだしたのは――――――あれが最初だと思いたいな」


 それでも四百年、同じようなことをやっているわけだ。なるほど刑部がぼやいた理由が分かった。時を経ても同じことをしているのは、芸がないとしか言いようがない。


 「……乙宮の巫女は、何かはわからないが、不思議な力を持っている、と聞いている。それを求めて人が集まると。今でも同じじゃないかしら」


 「不思議な力?」


 「人知を超えた力。何かはわからん。けれどその力を求めて、麻と罌粟に手を出してしまう程度には、ほしいと思わせる力なんじゃろうな」


 口端だけで刑部は笑った。人によってはもしかしたら妖艶と思うかもしれない。けれども紀乃には、よく知っている師匠が別人になってしまった、と思うような恐怖にかられた。


 そしてそんな一族がずっと歴史の陰にいる事実にぞっとする。権力者におもねって、あわよくばそこを乗っ取って、思い通りにする。そういうことをずっと目的にして動いている。

 

 だっておしろの会は国会議事堂や最高裁を爆破しようとしていたのだから。本当に、刑部の時も、爆破予告も、うまくいかなかったから馬鹿な連中と鼻で笑えるだけだ。本当に、きちんと実行されてしまっていたら――――――背筋が凍った。冷房だけが理由ではない、寒気が襲った。


 そういう人たちが相手かもしれないのに、本当に調べるの?もうお父さんに任せてたら?


 頭の中で誰かがささやく。その誰かは自分自身だ。


 でも、そのまま引き下がっていいの?さっちゃんをあんな目に合わせたかもしれない人が近くにいるかもしれないのに?


 ぐるぐる考えた末、紀乃は結論を出した。


 「わたし、乙宮姫子のこと、やっぱり探ります。お父さんたちだけに、任せてるだけは嫌です。今すぐはきっと難しいだろうけど……」


 「……ホンマにええのか」


 「だってこのままじゃ、負けっぱなしだもの」


 負けたくない。そんな人たちに、負けてたまるか。


 「勝ち負けの話と違うけどな。でも、危険なことはするなよ」


 「……はい、たぶん、しない、です」


 キッと刑部が紀乃を睨むように見つめてくる。それにたじろいでしまったせいか、返事が微妙にあいまいな言い回しになってしまった。


 「多分じゃ許さん。じゃあ、わしからも約束事じゃ。危険なことすな、無茶すんな。いざとなったら止めるでな。それが飲めんならなしじゃ」


 「わかりました。じゃあ、指切り」


 「今更じゃ、おまえとわしは一蓮托生言うたじゃろ」


 指切りの代わりに、二人で手を取り合った。そのとき、初めてあった時と同じように、何かが二人の間で光った。


 


 そうして十月最初の土曜日に、乙宮姫子と偶然ながら邂逅を果たしたのである。最悪の出会いだったが、どうやら普通の人間ではないかもしれない、とわかったのは収穫と思うことにした。

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