超常現象 あるいは怪物 ⑧

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2024年10月20日 微妙に気になるところがあったので加筆修正。

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 翌朝、起きて目についたのは、床に座り込んで本を読む刑部の姿だった。じっといつになく真剣なまなざしに、声をかけるのをためらった。音をたてないように忍び足で洗面所へ向かおうとした時だった。


 「なんね、起きたなら挨拶くらいせえ」


 気づかれた。挨拶すると、続き読むから部屋移るわ、と言い出した。読んでいるのは歴史の本らしい。ちょうど刑部が生きていたころと思われる年代の本だ。


 ちなみにどう読むのかというと、念力である。物理的に触れるのは紀乃だけだが、物を動かすのは念じればできてしまうらしい。だからこそ、外部の人間とコンタクトをとるために電話を架けたりパソコンの操作をしたりということもできるのだが。


 「あの、師匠……」


 「んー……学校終わるころくらいには話せると思う。それにしても、どうしてこんな大事なこと、忘れてたんじゃろうなあ……」


 刑部はぱたんと本を閉じて床に置くと、出るとき声かけてくれよ、と言ってするりと壁を抜けて部屋を出ていった。こういうところを見ると、やはり幽霊なんだよなあ、と改めて思い知らされる。


 本については後で片付けるだろうと考え、いったん置いておくとした。手早く着替えて身支度を整えた。おそらくあの本は祖父母の部屋から持ち出したものだろう。いくら幽霊と言えど、物理的なものに関しては壁抜けはできない。なのでわざわざ部屋間を生きている人間のように移動しているのだ。


 そうなれば本をわざわざ紀乃の部屋に持ち運ぶのが手間だろうに、そうするのは家主たる祖父母に気を使っているらしい。別に二人とも見えない人なのだから気にしなくてもいいだろうに。


 リビングに向かうと、勝治は新聞を睨みつけるようにしていた。どうしたの、と声をかけると佐月のことが記事になっていないと言う。それは気になる。プライバシーに配慮したのだろうか。


 「そういえば、病院に記者っぽい人いなかったわね」


 梓も話に乗ってきた。あの時は気に留めていなかったが、言われると報道陣と思しき存在はなかった。梓はおにぎりのほうが食べやすいでしょ、と綺麗にのりを巻いたおにぎりをラップに包んだ状態で渡してきた。


 「泰政が手をまわしたのかなあ」


 「あの子、そんなに権力あるの?」


 「階級が警視正なら、本庁だったら参事官とか理事官だろ。マスコミに手を回すくらいはできると思うよ」


 さらりと説明できるのは、勝治もかつては官僚で、警視庁への出向経験があるからだ。刑事ドラマを見る際は、盛房と勝治が階級の解説をしてくれるので大変わかりやすかった。


 「でも学校はどうかしら……。山内先生、ハンサムだから変にストーカーみたいにされないか心配だわ」


 梓の心配する焦点がズレていてずっこけそうになった。勝治も苦笑いを浮かべている。梓の言うとおり、確かに山内は、いわゆるイケメンに該当する顔立ちだ。うっかり週刊誌で顔が出ようものなら、ゴシップ狙いの記者が張り付きそうではある。


 「昨日来てないなら余程いいと思うよ。心配なら俺学校まで紀乃のこと見送ろうか。どうせ東京駅までは行かなきゃならんし」


 「助かるわ。紀乃、帰りはおじいちゃんと一緒に迎えに行くからね」


 「い、いいよ……そこまでしなくても……」


 紀乃は少し引き気味になった。勝治の申し出はともかく、さすがに迎えはやりすぎだと思う。盛房も旅行帰りで疲れているだろうから、ゆっくりさせてあげてほしい。


 「何言ってるのよ、おじいちゃんがいたら、マスコミは手出しできないわ。何せ元官房長なんだもの」


 官房長、というのは、盛房の警察官としての最終役職が警察庁長官官房長だからだ。その威光は退官してなお衰えていない。何せあの意地悪そうな刑事が、紀乃が盛房の孫だとわかった途端、態度を変えたのだから。


 紀乃は現役時代の盛房を知らない。紀乃にとっては優しくひょうきんな祖父だが、あの刑事たちの態度を見るとそうでばかりではないようだ。


 「マスコミ避けできるなら越したことはないぞ。あいつらハイエナだから」


 ガオー、と勝治がおどけるので思わず吹き出してしまった。梓もそうよ、あいつら人の不幸が飯の種なんだからね、と辛辣にかぶせてくる。梓はこの年代の人にしては珍しく、いわゆるワイドショーや週刊誌を敵視している。事件報道についてはある程度理解を示すが、野次馬根性でプライベートなことまで聞き出そうとする報道陣は嫌悪していた。


 「昨日も言ったけど、話せたなら悲観することはないよ。ただ佐月ちゃんが留年しちゃって、一緒のクラスにはなれないかもしれないけどな」


 留年、と言われて佐月はきっとそうなったら泣きながら食い下がるだろうな、と想像してみる。事情が事情なので仕方ないのだが、一歳下と机を並べるなんて、と頭を抱えそうだ。本当にそうなったら昼休みに様子を見に行ってあげようか、と考えた。梓がそうだ、おかずがあるわと台所に行ったところで、勝治が声を潜めた。


 「犯人はすぐ見つかると思うよ。防犯カメラに写ってたんだろ」


 「うん、だといいけど……」


 勝治にはいつもの通りで返事をしたが、内心は怒りが渦巻いていた。誰なの、誰よ。さっちゃんをあんな目に合わせたのは、誰なの?


 犯人捜しは警察に任せるべき。そんなことは理屈ではわかっている。なにせ紀乃は警察官の娘で、孫なのだ。けれども感情として、自分で犯人をとっ捕まえてやりたい、という気持ちが渦巻いている。そしてそれは、理屈で抑え込むにはあまりに強い気持ちだった。


 「大丈夫、お父さんがすぐ解決してくれるよ」


 勝治が頭を優しく撫でた。うん、とそれに頷く。今はそれを信じるしかない。そんな話をしながら朝食を食べていれば、そろそろ家を出る時間である。祖父母の家からのほうが学校までは遠いので、早めに出る必要がある。


 鞄取りに行ってくる、といってリビングを出て、刑部を呼びに行った。床に本を置いて読むのはそのほうが読みやすいからなのだろう。いつになく真剣なまなざしで食い入るように読んでいるので、声をかけずらい。とはいえ声をかけなければお互い痛い目を見る。


 紀乃と刑部は、最大半径二十キロ圏内なら、お互い離れても何の支障もない。けれどもそれを一歩でも超えれば、とたんにお互いのたうち回るほどの激痛に苦しむことになる。痛覚がないはずの刑部が「もういっぺん死ぬかと思った」と涙ながらに言ったくらいの激痛である。当然、生身の紀乃にとっては耐えがたい激痛だった。これは出会ってしばらくしたころに、どのくらい離れられるのか試してみたいと紀乃から言い出し、実験して得た知見である。愚かな実験にちゃんと付き合ってくれるあたり、相当優しい。刑部自身、興味があったのであろうことを差し引いても。


 「師匠、もう行く時間です」


 「ありゃ、早いな」


 そういって手をかざして本を閉じ、浮かせて本棚へ戻した。刑部の存在を無視するとポルターガイスト現象に見える。幽霊が関わっているのであながち間違ってはないのだろうが。


 「あー疲れた、さすがにちょっと読みすぎたかもしれん」


 「幽霊なのに……?」


 「気分の話。……学校おる間、図書室おってもいいかね」


 「構いませんけど、そんなに本読みたいんです?」


 「うん……きっと習い性じゃ、気になることは調べんと気が済まんの」


 少し眉を下げて笑う師匠の表情は、折檻の時の鬼のような表情を思えばずっと儚げだった。もはやこのどこか消え入りそうな表情のほうが、刑部の本質なのではと思ってしまう。


 「気になることって?」


 「あの名前聞いて、記憶の蓋が開いた。紀乃に話したときはそう思っていたけど、思い出せんかっただけで違う部分がある。それちゃんと話すのに、自分の思い違いが他にないか確認しておきたいと思って。……死神様に魂封印されたのは本当じゃよ?」


 くすっとそう笑われ、お見通しだったかと少しばつが悪い。でもそのあたりももう少し話さないかんね、とため息をついた。嘘をついたのではなく、記憶違いだったというなら紀乃としては文句のつけようはない。ましてちゃんと話すための準備までしている。


 「師匠の話、ちゃんと聞きますよ。言ったでしょ、支離滅裂でめちゃくちゃでも聞くって」


 「お前本当に師匠を何と思っとるかね」


 でもそう言われるとちょっと気分が楽、と紀乃の頭をなでた。その時、勝治が紀乃、まだかーと声をかけてきた。


 「なんね、今日は伯父上と一緒に行くんか」


 「そうなんです、マスコミ除けで……」


 「物理のほうは伯父上のほうが頼りになるしなあ、仕方ない。人の不幸を飯の種にしとる奴らなんか、水虫になって生爪剥げて苦しめばいいのにな」


 刑部の時代にはマスコミに該当する存在はあまりないはずだが、後半の言い回しは完全に怨念がこもっていた。布で口元は隠れているが、眉と目は不愉快だと言いたげなのがありありと分かる。


 しかしすぐ明るい表情になって、早くせんと、伯父上が待ちくたびれてじゃ、と紀乃の肩を軽くたたいた。果たして、いったい何を思い出したのだろうか。


 とりあえず学校に一番近い駅に降りるまでは、取材班と思しき人間から声はかけられなかった。そのことに安堵していたら、一人スーツ姿の女性が紀乃たちに歩み寄ってきた。大きなフレームの眼鏡をかけ、髪型は後ろで一本に結んでいる。年齢は二十代半ばから三十代くらいだろうか。


 笑顔を浮かべているが、なんとなく得体がしれないと思った。警戒しなければならない人、と第六感が告げている。


 「わたし、東都新聞の赤座あかざと言います。お話よろしいでしょうか……大谷紀乃さん」


 名前がばれていることに思わず真顔になった。勝治は冷静に、何の御用でしょうか、と赤座の前に紀乃を守るように立った。一瞬赤座の顔は歪んだが、すぐに笑顔を取り戻した。昨日のことで、と切り出した赤座を、勝治はきっぱりとそういうのは学校を通してされたらどうですか、と冷たく切り捨てた。朗らかな勝治にしては珍しい表情だ。


 「学校に断られましたから」


 「なら保護者として、私から改めてお断りします。東都新聞に抗議も入れますね」


 赤座がまた顔を歪ませた。そのまま勝治は、では失礼、と言って紀乃に早く行こうと促した。赤座はふう、吐息をついて、通りざまにこう言った。


 「知りたくないですか?石田佐月さんを突き落とした犯人」


 その一言で、紀乃は赤座のことを信用ならないと思った。知りたいに決まっている。けれど、そんなことを今――――――一夜しか明けていないこのタイミングでいうのは、信用ならない。


 「遅刻するので」


 紀乃はそれだけ言って一歩踏み出した。赤座はいつでも聞きに来てね、とにっこり笑って、無理やり紀乃の手に何かを握らせた。そして早々に、あなたのおじさん怖いから退散するわ、と言って紀乃たちとは逆方向に歩いて行った。カツカツと軽やかなヒールの音が、徐々に遠くなっていった。


 握らされたものは、くしゃりと丸められた紙と、その中にイラストの描かれたチョコが二つ。それぞれ絵柄が異なり、一つは西洋のお姫様のようなドレス姿の少女、もう一つは赤ん坊のイラストだ。この絵を見て、思わず顔が強張った。これの意味するところは一つしかない。チョコ二つの包み紙となった紙には、赤座のメールアドレスが記されていた。


 「……あの記者、確かになんぞ知っとるだろうが、一人で行くなよ。せめておばば様と一緒に行き」


 見透かしたように刑部がそう耳打ちしてくる。梓に話したところで止められるのが関の山だろう。第一、厳密にいえば一人で行く、ということにはならない。紀乃の行動には、必ず刑部が伴うから。


 「……東都新聞ねえ。一回問い合わせるか……」


 渋い顔で勝治がそう呟いた。東都新聞は、それなりに名の知れた新聞社だが、それゆえにその名をかさに着て横柄な取材をする記者も少なくないという。梓が嫌いな、人の不幸を売を飯の種にするタイプのマスコミだ。


 「……わたしの名前、なんでわかったんだろう」


 ただ、赤座がはっきりと紀乃の名前をフルネームで言ってきたのは気になる。何か取材を受けた心当たりはないのだが。


 「それ含めてちょっとおじさん調べてみるわ。学校にもチクっとく」


 話していると、校門が見えてきた。結局ここまでで現れたマスコミ関係者は赤座一人だった。とはいえ勝治がいなければうまく対処できなかったかもしれない。やはりついてきてもらって正解だったのだろう。


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