超常現象 あるいは怪物 ⑦

 佐月の家族と勝治たちが病院に来たのはほぼ同時だった。泣き崩れる佐月の母親の横で、紀乃は勝治に気遣われていた。


 勝治曰く、紀乃がホテルを飛び出したのと同時に、泰政は別口で行く、と別れたらしい。勝治たちより早くついたところを考えると、ヘリで移動したのかも、との事だった。確かにそれなら、単騎である理由も説明がつく。


 「話せたなら大丈夫。きっと良くなるよ」


 「うん……」


 大丈夫、話せたもの。心電図だって、普通の脈より遅いが、ちゃんと規則的だった。きっと、大丈夫。


 勝治もさすがに普段通りの笑顔とはいかなかった。紀乃を気遣った笑顔だが、表情は重い。


 「ねえ伯父さん……乙宮姫子って誰か分かる?」


 「乙宮って名字は聞き覚えあるな。その人がどうかしたのか」


 「さっちゃんが、わたしにその人に気をつけろって言ったの。でもわたしはその人を知らないから。本当はお父さんに聞きたかったけど、気にするなって言ってたし、すぐまたどこかに行っちゃったから聞けなくて」


 泰政にもだが、明らかに何か知ってそうな山内にも聞きたかった。しかし顔色が真っ青なのを看護師に見咎められ、佐月の母が来たタイミングで帰らされてしまった。


 もう一人、何か思い出したような刑部にも聞きたいところである。こちらは家に帰れば聞く機会がある。実際、紀乃に話さないといかんことが増えた、と言っていた。頭を抱え、悩ましげに刑部は俯き、あいつらなんでこんな時代までおるかね、と呟いていた。


 「そうか。待てよ、思い出す」


 「乙宮と言うと、おしろの会じゃないか。あの爆破予告の」


 彰隆が後ろから声をかけてきた。おしろの会、という名前に何か引っかかるものを覚えたが、すぐに思い出せなかった。勝治の方はすぐ繋がったようで、あー、あそこか!と勢い余ったように彰隆を指さした。


 「あそこ、麻薬もやってましたよね。マトリが追ってるって聞きましたけど」


 「一番追いかけてるのは泰政じゃないのか。今公安なんだろう、確か」


 「あー……だからあいつここに来たのか……」


 「とはいえ娘が心配だったのも事実だろう。文字通り一人娘なんだ」


 「ほんまに大事ならこんな真似すなよ。わしは子どもらを泣く泣く手放して、その後会ってないのに」


 彰隆の嘆息は刑部の逆鱗に触れたらしい。ピキっと音がしそうなほど青筋を分かりやすく立てていた。思わず小声で聞き返してしまった。


 「会わなかったんですか?」


 「会ったら別れづらいと思って。育ての親と馴染ませんと、と思うたら余計な。病気が治ったあとも会ってない。だからきっと、わしのことなんか覚えてないよ」


 「……すみません、親の亡くなった年すら覚えてない親不孝者が弟子で……」


 「変なこと謝るなよ。むせるかと思うたわ」


 阿呆、別に子どもが覚えとらんのは仕方ないじゃろ、と紀乃の頭を撫でてきた。勝治と彰隆の会話は暗いトーンで続いている。


 「しかし、意外と近くにいるかもというか、灯台もと暗しというか……」


 「紛れ込むなら当然、人間が多い都会の方がやりやすいからな。木を隠すなら森の中、だ」


 二人の会話を聞くに、乙宮という名の人間を警察が追っているのは間違いないらしい。そしてようやく、おしろの会のことを思い出した。いわゆるカルト宗教団体だ。確か、麻薬所持および生成の罪で代表のことを追っているとニュースで見た記憶がある。発覚自体が紀乃が物心つくかつかないかくらいなので、時おりやる特番で聞きかじる程度の知識しかない。


 「……とはいえ乙宮という苗字だからと言って、おしろの会と結びつけるのは短絡的だと思う。あまりない苗字ではあるが、無関係の可能性だってある」


 「よしんば無関係でも、十中八九親戚でしょう。立派な関係者ですよ」


 「それは泰政たちプロが調べることだ。我々には市民の義務レベルの協力しかできまい」


 彰隆はそう言って、勝治を軽く肘鉄砲した。そして我々は明日には戻る、と告げて隆志に声をかけてその場を離れた。勝治はええ、と困惑したように頭をかくのみだった。彰隆が去った後、紀乃は勝治に質問した。


 「伯父さん、おしろの会って、そんなに危険なの?」


 正直、しょぼいカルト宗教のイメージだった。爆破予告については一切印象がない。麻薬所持のくだりも初耳に近い。


 「今はあんまりニュースでやらないからなあ。……国会議事堂や最高裁に爆破予告とか、火炎瓶投げ込むぞ、って予告もやってたんだ。予告で終わってるのが幸いだけど、もし全部本当にやられてたら大変だよ。実際やるための準備はしていたからな」


 思わず引きつってしまった。馬鹿馬鹿しい、と笑えるのは未遂で済んだからだ。本当にやったら国家転覆罪ものである。おまけにそれを裁く人たちまで葬ろうとしていたのだ。


 「爆弾はさすがにやらんかったけど……。でもあれじゃね。よほどこの世を牛耳りたいらしい……」


 「でもメインは麻薬かな。何かどっかの土地買ってケシの栽培してるらしい。ケシの花って見た目はきれいだもんな。あと、大麻も。ほら、アサの葉って神社で使うし、園芸で育ててる分には違法じゃないからな」


 「……四百年たっても罌粟けしと麻かね。本当に芸がない。いや、一芸を極めとると言うべきじゃろうか……」


 「刑部さん、気になる独り言するならきちんと話してください」


 「脳みそ無いから垂れ流しじゃ」


 ぶつぶつと呟く刑部に小声で文句を言ったら、笑えばいいのかわからない返しをされてしまった。確かに幽霊だからないのは当然なのだが。


 「あとでちゃんと話す。……それを聞いた上で、紀乃は乙宮を探すかどうかを決め」


 その表情は、そう言いつつ明らかに紀乃を止めようとする顔だった。こういう顔をする刑部は、たいてい紀乃が危険なことをしようとしているとき――――――例えば、かぶれる植物を触ろうとしたとか、川に入ろうとするとか、そういう時にした顔だ。でもそれら全部すぐに、ど阿呆、何考えてるか、と折檻されるのがお決まりだった。でも今日は違う。


 「わかりました、ちゃんと話してくださいね」


 二人の間に指切りはいらない。それをしなくても、互いの目を見れば、その約束は果たされるものとわかるから。




 今日はさすがに祖父母の家に泊まったほうがいいといわれ、紀乃もそれについては同意した。家に着いた時には、夕飯をレストランで取ったこともあり、八時を過ぎていた。勝治も久々に実家に泊まるという。


 一旦官舎に寄って、登校カバンと制服を取りに行った。時間割を見て必要な教科書とノートを詰めていく。体育の授業がないので荷物は少なく済みそうだ。官舎からはタクシーで祖父母の家に向かうことになった。


 無言だ。梓も勝治も何も言わない。ついでに運転手も察したのか何も言わない。これこそお通夜だ。けれども紀乃も、何か話そうとは思えなかった。帰宅して、風呂に入り春まで自室として使っていた部屋に入り、押し入れから布団を出す。もともと今日は紀乃を泊めるつもりがあったようで、夏用の布団が用意されていた。


 「あの、刑部さん。昼間の話ですけど」


 「話そうと思ったが、ようよう考えたらお前に十年自分のこと話せんかったやつが、すぐにまとめられるわけないわ」


 もう明日は学校行くんじゃろ、寝り、と言い返しづらいことを持ち出してくれた。こういうところがずるいと思う。恨めしい気持ちでにらんだが、無視された。


 「一つだけ言えるのは、おしろの会なんてたいそうな名前を付けて、麻薬作ってばらまいてる奴らなんかろくでもないぞ。そんなのに関わるのは命捨てるくらいの覚悟がなきゃ務まらん。半端な気持ちなら諦めて親父に任しとき。大伯父上が言うとおり、あの子の仇探すのも捕まえるのも警察の仕事じゃ」


 正論だ。正論過ぎて言い返せない。それで引き下がってたまるかと思う反面、命を捨てるだけの覚悟はあるか、と問われたらひるんでしまうのも確かだ。


 「でも、さっちゃんはわたしに気をつけろって名前は言いました。どんな人か分からなきゃ、気をつけようないです」


 「……すまほで名前調べたらなんぞ出てくるじゃないかね」


 盲点だった。本名でSNSをやらないので、その発想はなかったのである。起動させて検索エンジンで調べてみる。漢字は分からないので一旦ひらがなで調べる。0件だった。


 「……乙宮、という字はこの字。甲乙の乙にお宮の宮。名前はまあ適当に入れたら出てくるじゃろ」


 なんでヒントはくれるんだろう、と思いつつ検索をかけていく。『乙宮姫子』で入れたところ、一件ヒットした。


 おしろの会のニュース記事だ。日付は十二年前、引っかかったのはアーカイブをさらに転載したブログである。


 中身は幹部の逮捕劇と、会長とその一家が行方知れずということを簡単に述べている。きっちり四歳の娘の名前まで記載する意図がわからなかった。

 この人は、誰?さっちゃんや、わたしとなんの関係があるの。


 隅々まで読んだところで、おしろの会のトップである親の名前がわかるくらいだ。


 乙宮良成おとみやりょうせい翠子みどりこ。ただし二人とも顔写真がないので、どんな顔かわからない。当然乙宮姫子の顔写真も。誰、誰よ。なんのためにさっちゃんを?何が狙いなのよ。


 「紀乃、もう寝ろ」


 思い切り手首をつかまれた。言外に深入りするなと言われている、でも、気にしないのは無理だ。


 「じゃあ教えてください、わたしは刑部さんの話がへったくそで取り留めなくてもちゃんと聞くから、ちゃんと教えて!こんな半端な気持ちじゃ、気になってお父さんに任せっぱなしにするのは無理!」


 「お前、師匠に向かって遠慮がなさすぎやしないかね」


 そういって、わしの話よりおしろの会のこと調べたほうがよほど有意義じゃと思うが、と言い出した。それはそうかもしれないが、断片的に話をされて、気にするなと言われるほうが無理だ。


 「紀乃が知りたいのは、あの子が言った乙宮姫子のことじゃろ。……明日学校で名前出してみり。芋づるで誰か知っとるのがおるかもしれん。あの子が名前出したなら、身近に居ると思うよ」


 よほど今話したくないらしい。もっとも刑部は見栄っ張りなので、本当に取り留めのない話をしたら沽券にかかわると思っている可能性はある。そんな事態ではないが、へそを曲げられても困るので、紀乃は待つしかない。


 「……紀乃は明日に備え本当に休み。わしはちょっと……考えまとめたい」


 それだけ言って、ちゃんと話す、紀乃には十年だんまりだった借りがあるから、と弱弱しく笑った。世の中、何がつながっとるかわからんもんじゃね、とやっぱり気になることを言ってきた。

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