超常現象 あるいは怪物 ⑥
まもなく新横浜、とアナウンスが流れた。小学生の時、佐月の家族と、祖母と一緒に中華街に訪れたことを思い出した。食べ歩きで買った中華まんが思いのほかボリュームあって、そのあとご飯が食べきれなかったっけ。さっちゃんもわたしも小食のくせに、ばかなことしちゃったなあ。ふたりでチャイナ服着て、写真館で撮ったよね。ねえ、高校生になったら、二人で行ってみようよ。タピオカミルクティー飲みながら、ぶらぶら歩こう。あの写真館、大人用のチャイナ服あったよ。二人であの時着たのと同じ色の着てさ。
心の中で佐月に語り掛ける。新横浜駅を出発し、残り二駅だ。まだ余裕があるとはいえ、もう降りた後のことを考えなければならない。ふう、と息をついた。席番を刑部に任せ、化粧室へ入った。鏡で己の顔を見るためである。別に刑部に見てもらえばいいのだろうが、自分の目で確かめたかった。
目は腫れてない。鏡の前に立ったついでに、手櫛で髪型を整え、緩んだ襟元のリボンを結びなおし後にした。元の席に戻るころ、まもなく品川、のアナウンスが流れた。
「……意外とあっという間ですね」
「確かに。わしが生きとった時代を思えば、本当にあっという間じゃ」
「でも何だろう、すごく長いというか、濃く感じます。師匠の話聞いたからかな」
「なんね、今まで聞かんかったくせに。あんまりな話だから、わしもどこまで言おうか悩んではいたが」
軽口をたたいていれば、本当にあっという間に東京駅だ。駆け足で降り、ホームでいったん山内に連絡する。迎えに来ると名指しされた教師の連絡先を知らないため、どうしたら良いか聞こうと思ったのだ。
「先生、駅着いたんですけど、改札どっち出ればいいです?」
「丸の内の方に出ろ。黒田先生がいる」
その指示に従い、看板の文字を確認しながら改札に向かった。改札口に既に黒田教師が立っていた。
「大谷さん、こっちこっち」
黒田の後ろについていく。電車で行くのかと思ったが、車で行くらしい。免許持ってたんですか、と言うとそりゃあ田舎育ちだし、という返答だった。少し歩いた場所のコインパーキングに向かうと、女性が好き好んで買うとは思えない無骨なバンを指さされた。
「車は学校のだけどね。ほら乗った乗った」
助手席に乗って、シートベルトを締める。今更ながら、会うのが怖い。いつも笑ってる黒田が、ずっと真顔な辺りに相当深刻な事態であることを伺わせる。おまけに病院に着くまで無言だった。無言なのをいいことに、勝治に病院に向かってる、と病院の公式サイトのURLとともにメッセージを送った。
入口前で紀乃だけ降ろしてもらう。入ってすぐのところに、山内が立っていた。
「悪いな、とんぼ返りさせて」
「先生、さっちゃん……石田さんは……」
「大谷紀乃さんですね?少しお話があるので、我々と一緒に来てもらっても?」
山内との会話は第三者によって遮られた。山内の後ろから、スーツを着た男が二人、歩いてくる。一人は三十代後半から四十代くらい、もう一人は二十代に見える。なんだろう、と思っていると山内がぎろりと二人を睨んだ。
「再三お話しましたが、彼女は大阪から今戻ったばかりです。ただでさえ混乱しているんです、もっと気遣ってください」
「とはいえこちらも、関係者の皆さんにはお話を伺わないといけませんので。何せ殺人未遂です。身内の証言はアリバイにはなりませんからね」
年上の方がへらりと笑う。目の奥は笑っていない。どうやらこの二人は刑事らしい。殺人未遂、という単語に背筋が凍った。そして自分はその容疑者になっている。けれどもそれはあり得ない。山内の言うとおり、大阪から戻ってきたのだ。物理的に不可能だ。
けれども刑事が言うとおり、身内の証言はアリバイにならない。そう言われてしまうと、一緒にいたのは身内しかいないのでほとほと困った。新大阪駅で対応してくれた駅員が紀乃のことを覚えていてくれることを祈るばかりである。証拠になるかは分かりませんが、と貰った領収書を見せた。それを見て、若い方は裏取りますといってどこかに電話をかけるのか、出入口に向かった。年上の方は苦い顔である。
「随分と抜かりない……」
「動かぬ証拠ですよね」
「あの、さっちゃんは今どうしてるんですか、会わせて下さい」
わたしはそのためにここまで来た、と大人二人に訴えた。山内は刑事を後でいいでしょう、と睨んだ。刑事は紀乃のことを検分するように見ている。外に出た若い方の刑事が、青い顔で戻ってきた。さっきまでの疑いの目はどうしたのか、丁重な態度である。
「あ、もう先生と一緒に石田さんのところに行ってあげてください。僕らはほかを当たりますから」
「おい、勝手なことを言うな!」
「だって!大谷元官房長のお孫さんですよ!俺たち下手したら首が飛びます!」
泡を食った後輩の叫びに、三秒ほどその意味を吟味するように目を動かし、そして理解したのか先輩刑事はみるみる青い顔になった。
「……元官房長の御令孫?」
「私の娘でもあります。……早く友達にあわせてあげてください」
果たしてどうやってきたのか、振り向いたら泰政が後ろに立っていた。梓たちの姿が見えないあたり、単騎できたらしい。刑事ふたりは、青い顔で震え上がった。注文の多い料理店の紳士ふたりも山猫にあった時こんな感じだったのかしら、と考えてしまった。
逆光になってどんな表情かは分からないが、泰政の声色は極めて冷静だった。けれどもそれがかえって刑事コンビには恐ろしいらしい。若い方は目尻に涙まで浮かべている。
「そちらが山内先生ですか。挨拶は改めてしたいと思いますが、紀乃の父です。娘を石田佐月さんに早く会わせてあげてください」
ホテルでの無視っぷりが嘘のように、非の打ち所のない父親然とした挨拶だった。山内はうなずいて、紀乃を先導した。エレベーターの横に、フロアガイドが設置してある。
ずっと黙ってついてきていた刑部が、泰政の変わり身を見て怒気をあらわにした。
「なんねあれ。ほんまに姿見せて怒鳴ろうかと思うたわ。いまさら父親面すなよ」
その返答をどうすべきか悩んでいたところ、山内の方も不愉快そうである。多分、口には出さないが刑部が言ったことと同じことを思っていそうな顔だ。こちらは娘張本人である紀乃に遠慮して言わないだけで。
「仕方じゃないじゃないですか……父親なんだから……」
明らかに不満顔のふたりにどう答えようかと思ったら、自然と言葉が出た。しかし悲しいことにそれは二人の怒りを買ってしまった。
「お前、よう考え。十年以上お前をほっといたんじゃ。娘のことそんなに放ってる父親、ろくでなしじゃろうが」
「金だけ出せばいいと考えてるのは特に男親には多いが、親の役割はそれだけでは無い。保護責任を無視しているとしか思えない」
これ、昨日のリフレインってやつかしら。紀乃はうつむきながらそう考えた。
昨日、佐月から密告を受けた山内は眉を釣りあげた形相で官舎にやって来た。その際それまで現状報告を怠った紀乃に、口調こそ落ち着いていたが、凄まじく怒っているとわかる言い方だった。そしてその横でお前もっと大目玉食らい、わしと先生だけじゃ足りんじゃろ、と紀乃のスマートフォンを勝手に操作して梓に電話を架けてしまったのだ。そこから怒涛の勢いで、本日の家族会議決行が決まったのである。
絵面だけなら推定二十代のハンサムふたりに囲まれて、両手に花(の表現でいいかは不明だが)なのだが、ちっともうきうきしない。むしろうなだれるしかない。
向かった先は、ICUだった。この時点で相当重篤である。防護服は着なくていいとのことで、そのまま病室に案内された。
佐月の頭には、ぐるぐると包帯が巻かれていた。顔に大きなガーゼも貼ってある。その状態でぐったりと横たわっている。大きなモニターの心電図が脇に置かれ、ピ、ピ、と今は規則的な音が響いていた。
「さっちゃん」
呼びかけたところ、うっすらと佐月は目を開けた。紀乃の姿を確かめると、じっと見つめて、軽く左手でベッドの柵を叩いた。こっちに来て、ということらしい。すぐに望み通り、ベッド脇に移った。ちょうど椅子もあったので腰掛ける。手を握ると、驚くほど冷たかった。
「……来てくれて、ありがとう。紀乃に言いたいことがある。……乙宮姫子に、気をつけて……」
「えっ?誰、それ。その人が、さっちゃんのこと、こんな風にしたの?」
笑うつもりだったのに、思わず真顔になってしまった。佐月は否定も肯定もしなかった。それは警察が調べたらわかる、と言った。それだけ言うと疲れてしまったのか、また目を瞑った。心電図の動きに変化がないので、本当に疲れてしまっただけらしい。
そしてそのタイミングで、泰政が病室に入ってきた。相変わらず表情は変わらない。
「……今聞いたことは、気にしなくていい。あとは全て警察の仕事だ」
「気にしないなんて無理……」
それだけ言うのが精一杯だった。突然現れた人名は、一切聞き覚えのないものだ。けれどもこの状況で、佐月が気をつけろ、と言うなら重要参考人である。佐月を突き落としたか、あるいは誰かに指示して突き落としたのか。
「気持ちは理解する。けれども犯人を探すのは警察の仕事だ」
「じゃあ早く捕まえて。さっちゃんをこんな目に遭わせた犯人を早く捕まえてよ!絶対許さないから!」
声量こそ抑えたが、心の中ではドロドロと熱いマグマが渦巻いている。誰、さっちゃんのことこんな目に遭わせたのは一体誰なの。ビンタ一発じゃ済まさない。わたしが権力者だったらこの上なく残忍な刑に処してやるのに、とあらぬ方向に発想が進む。
「わかった。約束する。お父さんが必ず、捕まえる」
泰政は紀乃の近くまで来て、しゃがみ込んだ。そして、小指を差し出した。……指切り、だ。
ようやく紀乃は泰政の顔をまじまじと見た。確かに盛房にも梓にもあまり似ていない。ついでに勝治ともあまりに似ていない。けれども不思議と、この人はわたしのお父さんだとようやく実感として思えた。その表情は、警察官としての使命に燃えるのと同時に、目の前にいる娘を気遣う父の顔でもあった。
「今更父親面をするなと思っているだろう。けれども、お父さんにできることは、これくらいだ。紀乃の親友を傷つけた犯人を捕まえる。それがお父さんの仕事だ」
泰政の目は真剣だった。本当にそう思って言っている。今はそれにすがるしかなかった。恐る恐る小指を差し出した。ぎゅっと絡められてすぐ離された。泰政は立ち上がって、やってきた看護師に院長に会いたいと言った。若い看護師は怯えて師長に聞いてきます、と震えた声で返答しているのが聞こえた。
静かだ。心電図のモニターだけが、音を立てている。誰、乙宮姫子って、何者なの。
顔を動かすと、額に拳を当てて蹲る刑部と、青い顔をした山内の姿が目に入った。どうして、と二人が重なるか重ならないかのタイミングで呟くのが聞こえた。それを聞いて、紀乃は自分はとんでもないものに巻き込まれた、という嫌な予感を覚えた。
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