超常現象 あるいは怪物 ⑤

 平日の昼間という時間帯ゆえ、かなり空いている。二人掛けのシートの窓際に座った。やっと一息できた気持ちだ。発車まで少し時間があったようで、今のうちに山内に電話をかける。当然この時点で梓と勝治から結構な着信が来ていたが無視をし、マナー違反だが座席でそのまま電話をかけた。山内はワンコールで出た。


 「先生、今新幹線に乗りました。発車待ちです」


 「わかった。……蜂須賀はちすか先生か黒田くろだ先生が迎えに行く」


 「先生は……病院ですか」


 「ああ、気を付けて来い。待っている」


 何があったのか、聞きたい。けれどもまずは佐月に会ってからだ。大けがは免れないだろうが、命に別状はないものと思いたかった。それならあんな震えた声で、紀乃に早く戻って来いとは山内は言わない、という部分は無視して。きっと先生、大げさに思ってるんだよ。生徒が屋上から落ちたって、だいぶスキャンダルだもんね。大体さっちゃん、屋上に行くキャラじゃないでしょ、何やってんの。


 大丈夫、大丈夫。そう思わなければ涙があふれそうだった。泣くな、泣くな。笑って会うんだろう。


 「……あの子に笑うて会うために、むしろ今のうちに泣いて涙枯らしといたほうがええんじゃないか」


 今ならわししか見とらんよ、とさらりと隣のシートに座った刑部に背中をなでられた。それがきっかけでぽろりとこぼれ、堰を切ったようにあふれ出た。涙の洪水だ。知らないうちに東京行ののぞみは出発し、枯れたは言い過ぎでも泣き尽くしたと思う頃には、間もなく京都です、というアナウンスが流れていた。


 「刑部さんって、エスパーみたい……」


 「魂で繋がっとるから分かる……なんてのは嘘。紀乃が時々、昔の自分とおんなじことしようとするから、つい口を挟みたくなるだけ」


 「嘘だー」


 「本当さ。前に、似たようなことがあったって言うたじゃろ。……わしは生きとる時、全身に痣ができる病にかかった。そこからみんな波引くように気味悪がって、わしに近寄ろうとはせなんだ。それか思い切り同情された。でも一人だけ、変わらんで接してくれた。そいつとは幼なじみと言うてもいい、長い付き合いじゃった。だから、嬉しいなあ、と思うとったけど同時に申し訳ない、とも思ってた。わしが病気になってから、色々仕事の肩代わりしてもらってたし。それに、元から愛想がいいわけじゃないけど、余計にこりともせんくなったからな……。どう思ってた、なんて聞けんかったよ。でもな、わしはわしで、向こうに自分がどう思ってるか、言わんかったもの。紀乃には後悔して欲しくないからつい口を挟んでしまう。……でもいらん心配だったな。紀乃は今、あの子のこと大事で好きだからここまで来とるもんな?」


 こっくりと頷いた。そうでなければこんな真似はしない。祖母たちからの連絡を無視して、トンボ帰りするような真似は。とここで流石に梓のことを無視しすぎかなと思い、山内との会話の後伏せていたスマートフォンを起動させた。やはり凄まじい着信とメッセージアプリの受信履歴が並んだ。


 とりあえずメッセージだけでも返信しておくか、と立ち上げる。梓の方は電話する気力はあってもメッセージを鬼のように送るのは難しいらしく、来ているのは勝治からのメッセージのみだった。


 最初の方こそおーい!などと呼びかける内容だったが、おそらくこのタイミングで山内から連絡があったのだろう、先生と合流したら連絡くれ、伯父さん達もこれから戻るという内容だった。了解、と書かれたスタンプだけ送りまたスマートフォンを伏せた。


 「今は便利じゃけど厄介じゃね」


 わしの時は行方くらますの楽じゃったよ、とまるで実行したことがあるかのように言ってくる。確かにスマートフォンのおかげで連絡がすぐつくのは便利だが、同時にその返事に追われることにもなってる。


 沈黙が気まずくなるような関係ではなかったが、黙っているのももったいないと思った。今更ながら聞いておきたいことがある。もしかしたら、すごく怒られるかもしれないが。


 「……ずっと気になってたんですけど、師匠って何者です?」


 「随分今更じゃ。聞かれりゃ答えたのに。むしろこっちはいつ聞かれるかと準備しとったわ」


 くすくすと刑部が笑うのを見て、何だかわたしから回ってるな、と思い知らされる。母のことも、梓のあの様子なら聞いたら普通に答えてくれたはずだ。悪いかなと気を使った結果がこれである。


 「でもありがとうな、わしにも気を使ってくれて。紀乃は本当に優しい子じゃ」


 頭を撫でられ、嬉しいやら気恥しいやらである。刑部はさて話してやりたいが、どこから話すかねえ、と呟きながら天を仰いでいる。


 「……ちびだったで覚えてないだろうが、お前と出会った日名前教えたじゃろ。刑部という名前は生きとったころ、仕えていた家から賜った名前。本当の名前は姓……苗字がお前と同じ大谷で、名は平馬という。けれどずっと刑部で通してしまっていたから、かえって名前で呼ばれるのは慣れん。姓なんてほとんど使わんかったもの。生きとるとき、わしは鳳家という、天子様の腹心だった武家に仕える文官じゃった。今の時代からだと、四百年は前じゃな」


 ぽつぽつと刑部は自身の話をした。寺の前で捨てられていたところを、両親に拾われたこと。養父は僧侶だったが、刑部が幼いころに亡くなり、そのあとは養父の弟、すなわち義理の叔父の世話になったこと。叔父は寺小屋を開いており、そこで鳳家でともに文官として仕えることになった友と出会ったこと。


 「そいつは三郎さぶろうと言って、地侍の三男坊じゃった。けれど侍の息子の癖に、剣がからしきだめでなあ。わしの方がよっぽど上手じゃったもんね。でも算盤の才能があった。大人でもまごつくような問題を、小僧の頃からすらすら解いてたよ。でもあんまり愛想がないから、わし以外からは嫌われてた。話せば面白いやつだったんじゃがなあ」


 懐かしそうに話す刑部の目は穏やかで、在りし日の友との日々を本当に楽しい思い出として受け止めているようだった。


 「そいで、元服してわしは三郎と一緒に鳳家に仕えることになった。働いとるうちに色んなこと任してもらうようになって……お袋と妹の紹介で、なついうおなごと出会って、祝言上げた。優しいおなごじゃったなあ」


 「待って、師匠ご結婚してたんですか!?」


 かなり衝撃である。しかしその反応こそ刑部にとっては心外だったらしい。


 「お前失礼じゃなあ、この顔で女がおらんと思うたか」


 「むしろお綺麗すぎて女性に敬遠されていたと思ってました……」


 「残念ながらそんな慎み深い女はわしの周りにはおらんかったな」


 あー横道それたな、と言いつつ楽しそうである。


 「かみさんもらって頑張らないかんなーとせっせと働いたよ。子どもも生まれたしな」


 「え、師匠お父さん!?」


 「なんじゃお前、ほんまにわしのことなんと思っとるか。一男一女こさえたわ。可愛かったなあ、二人とも饅頭みたいじゃったねえ」


 父親に饅頭呼ばわりされる、会ったことの無い刑部の子どもたちに同情を覚えた。わたしなんて大福です、と会えるなら挨拶に行きたいくらいである。目を細めて愛おしげに語っているので、可愛がっていたのだろうが。そして、ああだから子ども慣れしていたのかと十年越しに納得する思いだった。


 「でも世の中上手くいかんもんじゃね。娘が生まれたとき、かみさんが産後の肥立ち悪くて死んじまった。そんで、息子の七五三のお祝いせないかんなあ言う話しとった時かな。病気になった。全身あざができて、人には移らんと言われたが、なかなか見た目が酷くてなあ。前に言うてじゃ、人に避けられた。でも見た目以上に、はらわたやられたのがこたえたな。酷いと血は吐くわ足も頭もふらふらじゃ。もとより頭痛と耳鳴りするけえ、いつものじゃー思うて医者にかかるの遅くなっちまった。それが最悪じゃったらしい。あざが治らんどうしようって診てもらいに行ったときには、医者からあと三年が正念場って言われた。真っ先に考えたのは子どものこと。かみさんの親戚つたって、その家に二人とも養子に出した」


 ひゅっと喉が鳴った。妻の死、治らぬ重篤な病、そして余命宣告。わが子との苦渋の別れ。幸せの絶頂から、一気に奈落まで突き落とされたであろう当時の刑部の心境を思えば胸が痛かった。


 「そんな顔されたら話しづらいわ」


 むに、と頬をつままれた。そう言いつつ、刑部の顔は辛そうである。嫌なことを思い出させてしまっているのではないか。けれども刑部は、手を離したあともっとしんどいのはこっからじゃ、とため息をついた。


 「……そんなんだからまともに働けん。朱雀……九州に仕事で行ったときにぶっ倒れた。そんときにはもう医者から働くな言われたから、休んだ。その間に、いやその前からかもしれんけど……鳳家の中で、麻薬が流行った。そのせいで大分風紀が乱れたらしいな。詳しくは知らんけども。そんなんじゃもし仮に良くなって仕事できるようになっても、わしみたいなのの居場所なんかきっとない。そんとき青龍の方と言って伝わるかねえ、そこを治めてた平川様という将軍が、うちに来て欲しいって誘ってくれた。ちょうどいいやと思ってそれにのった。……休んどる間、わしの仕事まで頑張ってくれてた三郎には申し訳ないと思ったけど……」


 そう言ってふう、と目をつぶった。しばらくの沈黙の後、喋りだした。


 「さすがに挨拶無しで辞めるのは失礼じゃと思って、最後の奉公と思って久しぶりに鳳家の屋敷に入った。でな、主君だった人がなんか知らんけど屋敷に火い付けた。そいだけでも大事なのに、武官のひとりが……たまたまわしと一緒に歩いてた三郎のこと、刺した。人はびっくりしすぎると声も出んな。どうしようと思って三郎のこと背負って外に出ようとしたけど、結局途中で倒れた。気がついた時には平川様の城で寝かされてた。あんまりなことすぎて、夢じゃと思った、夢なら、良かったのに……」


 最後の言葉はあまりにも悲痛だった。夢なら良かった。そんなことは起きていなければよかったのに。


 「……麻薬はやってる言うたじゃろ。それが幻覚見せるやつだった。三郎を刺した武官の目には、どうもバケモンがおるように見えて、それで人の事刺してたらしい。バケモン刺すなら、わしのこと刺して欲しかったのにな。おまけに火をつけてたせいで、お袋と妹も死んじまった。それ以外も……。あの日屋敷にいて助かったのはわしだけで、三郎を刺した武官も死んだと。皮肉な話、なんでかあの日の後あざはきれいに消えて、腸の調子も良くなった。けれどなにかがブチっと切れて、別に何ともないのに立てなくなったりした。そのあとは平川様の城で世話になったけど、死ぬまでの記憶はなんかふわふわしてる。ただ、何考えてたかは覚えてる。早く死にたい、死んで三郎となつのところに行く、と」


 あまりに壮絶な話に紀乃は黙るしかなかった。憎いことに、もう時間です、と打ち切るには余裕がある。新幹線は静岡県に入ったばかりだ。


 「早く死ぬのは叶った。多分二年も経ってない時。死んだ場所こそ畳の上じゃが、普通じゃない死に方した。死神様に殺してもらったから。その時に言われた、輪廻の道を外れるから、三郎と会うのは叶わない夢だと。三郎だけじゃない、かみさんとも子どもらとも、大事に思ってた人たちに、二度と死後の世界では会えんのだと。ようよう考えたらどの面下げて、じゃ。きっと三郎は恨んでじゃ。もっと生きたかったのに、ほっといたって死ぬはずのお前がなぜ生きてる、と」


 そんなことはない。そう言いたいが、きっと慰めにもならない。その言葉をかけて刑部を救えるのは当人だけだ。たった十年、憑代と憑き物の関係である紀乃からの言葉は、虚しいだけ。それでも、そんなことは思ってなかったと思います、と言わずにはいられなかった。


 「お前は本当に優しいなあ。気なんか遣わんでいいよ」


 さて暗い話はここまで、とぱちんと手を叩いた。


 「普通は死神様言うんは、魂狩ったら閻魔様のところに持ってくらしい。でもなんでかそれはされんかった。箱詰めされてなんぞベタベタ貼られて、寺の榎の根元に埋められて、そこからずーっとあの日まで閉じ込められてた。箱が突然割れて、気づいた時にはあの榎の枝にいた。そこで紀乃と会ったんじゃ。……ここまで長々と話してしもたなあ」


 声は明るいが謎は残る。深く聞きたいが、話が重すぎて胃もたれした心持ちでもある。考えた末、枝葉末節も大概ではあるが「あの木は榎なんですね、欅だと思ってました」と言ってみた。実際刑部から気になるのそこなんか?と呆れられた。笑ってはいたが。


 「あれは榎じゃ、葉っぱがそうだもの。お前散々伯父上の馬の応援で見てるじゃろ。あの競馬場に植わっとる邪魔くさい木と同じじゃ。なんであれとっぱらわんかね?」

 「府中のあれは……いわく付きらしいので……」


 あの『大欅』にまつわる話は、下手な怪談話より恐ろしい。思わず遠い目になった。ついでに方向転換に失敗した、という後悔も混じって余計に遠い目になる。


 「どんな時代でも人知の及ばぬものは怖いんじゃねえ」


 しばらくの沈黙の後、ありゃ、富士山じゃ、と窓の方を見た刑部が声を上げた。さすがの師匠も気まずかったらしい。紀乃自身空気を変えたいので、その驚きの声に乗った。


 「綺麗ですねえ」


 「なあ。いつか登りたかったけど、叶わんかったなあ。紀乃が登るのについてったら行けるかねえ」


 「わたしの登山スキルはいいとこ高尾山レベルですが!?」


 「大丈夫、まだ十四じゃ。ちょーっとずつ鍛えたら登れるよ」


 そういうものだろうか。登山は興味自体はあるが、未知の領域である。おじいちゃんに聞いたら教えてもらえるかなあ、とぼんやり考えた。盛房は学生時代、山岳部だったらしい。日本アルプスや八ヶ岳を縦走したこともあるという。


 「……紀乃にはいつか話そうと思ってたから、気にせんでいいよ。ただ、どう話そうか考えてたら、十年も経っちまっただけじゃ。むしろ話して胸のつかえが取れた気がする。黙って聞いてくれてありがとう」


 優しく手を握られた。じわじわとぬくもりが伝わってくる。さっき散々泣き尽くしたはずなのに、また泣きそうになっている。話を聞いただけの紀乃が泣くいわれはないのできゅっと唇をかんで我慢をした。しかし刑部から、別にお前が好きなどらまで泣くのと差はないんじゃ、変な気を遣うな、と両頬を摘ままれた上にゆさゆさと揺らされて無意味となった。やっぱり心が読めるのではと思う。


 「……言うてじゃ、紀乃が時々昔のわしみたいな真似するから、口挟みたくなるだけ。心なんかちっとも分からんよ。魂でつながっとるけど、お互いの本当の気持ちは、言わんと分からんのじゃ、わしらは」


 魂でつながってる。そう表現されるとむず痒い気もするが、そうとしか言いようがないのも事実だ。そして本当の気持ちは言わなければ分からないのも。


 「だから、尚更あの子がどう思ってるかは、あの子に聞かな分からんよ。紀乃はあの時気持ちをちゃんと伝えられた。こうして新幹線に飛び乗って戻ろうとしてる。大丈夫、紀乃はわしと違って、間違えないよ」


 そう言われて、紀乃はだから未練はあるけど幽霊になるのはなぜだろう、と言っていたのかと思い出した。刑部の後悔は、目の前で亡くした友へ本心を伝えられなかったこと。それが未練ならこの世にとどまるのはおかしい。すでに伝えたい当人は、亡くなっているのだから。微妙に話で引っかかる部分は多々あるものの、刑部が嘘をつくとも思えないのでそのまま飲み込むことにした。

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