乙さんと秋の夜長

俺は真夜中、休憩所の椅子に座っていた。どんな休憩所かというと、公園や、山歩きやアスレチック場とかにある屋根はあるが、壁や窓は無い、長椅子がある休憩所だ。

俺の隣にはコンビニで買った数缶の酒が入ったビニール袋がある

乙さんと俺は同じ長椅子に座り、ビニール袋を挟んで同じ方向を向いていた

乙さんつまり乙さんは不思議な魅力があり、俺の今迄知り合った中で無二な人だった。だから俺はこうして真夜中、乙さんの隣に座っている

乙さんは何も言わずにコンビニで買った酒を淡々と煽っている

表情は分からない。宵闇の黒が周囲の輪郭を朧げにする。此処にも当然、街灯はあるが、この休憩所を照らすような街灯は無い

俺と乙さんは此処に来る前に、馴染みの店で共に飲んでいた。

そして店を出たのは23時11分、深夜に差し掛かる手前

俺はいい具合で普通に歩けるが視界が僅かに揺らぐ程度、乙さんはというといつもと変わらない、普段通りだった。

俺と乙さんは互いに駅に向かって歩いていた

俺は駅近に住んでいて、乙さんは帰るのに電車に乗る必要がある。

未だ、終電までには余裕があったので、普段とは異なる道を歩いてみようという流れになった。

異なる道といっても普段使っている通りから、一つ隣にずれただけの道、伸びている方向は同じなので普段と同じ向きを歩けば、いずれは駅あたりに着く。

この、一つ横に逸れた道はこんな夜更けでもちらほら、人の往来があり、タクシーや小型、中型トラックも走っていた。どうやらこの住宅地に住んでいる人に良く利用されているらしい

俺達はそんな道を歩く中、周囲を閑散な住宅に囲まれた交差点、それに付随する様に建っているコンビニがあったので寄った。

俺は何も買うつもりは無かったが、乙さんは新たな酒を購入すると、再び帰路に付く途中、引っさげたビニール袋の中から酒を取りだし、歩きながらチビチビと飲み始めた。

俺は特に話す話題も浮かばなかった。そして乙さんも何も言ってこないので互いに無言だった。

交差点を背にし、しばらく歩いていくと乙さんがふと立ち止まった。

俺も立ち止まって、隣を見る。

近くに街灯は無く、暗闇の中、僅かに零れる住宅からの窓の明かりに照らされた乙さんの輪郭は闇と滲み、ぼやけていた。

その影が一向に動こうとしない為、俺は周りを見渡した。

気にしだすと徐々にわかってきた。さっきまで、コンビニがあった交差点とは様相が異なって居る事に・・・

後ろを見る。そこには夜更けの中でも光を煌々と放っていたコンビニはもう無い、

曲がった覚えは無いが後ろにあるのは住宅街の家だけだった

自分たち以外、まったくといって人は居ない、車も無い、

そして、無言で佇むぬりかべのような家、その目のような窓に目線が行く

俺は背筋が震えあがった。そこには人影があった

ーーー窓辺の人影がこっちを見ている?、何故、何で見ている

俺は目線を逸らした。そしてもう一度事実を確認する為に窓を見た

えっ、と俺は声が漏れた。その窓には明かりが無く、黒いカーテンだけがあった

偶然の出来事だ、俺は瞬時にそう導き出した。視線を逸らした間に家主が明かりを消し、就寝したのだと、

しかし一度、自分の想像力が悪い方を向くと、抑えきれず溢れてくる。目の前を見る

建物と建物の間にある道、その視界の隅、ぼやけた何かが動いた。

あの建物の影には・・・

すると、スゥ~と風が吹いたような気がして俺は隣を見る。そこには何も言わずに立ち止まった場所から、乙さんが脇道に入っていく姿があった。

俺は無言で乙さんについていった。

とにかくここから離れたかったのと、僅かでもいい、生きている人の傍に居たかった

乙さんが入っていった脇道は人や自転車が行き来するには十分であったが、車の往来はできない幅だった。

差し掛かる前に侵入不可か一方通行の表紙が立て掛けてあると思われるがそれの確認を俺は出来ていない

左右には塀と民家が続いており、街灯はあるにはあるが先ほどの通りと比べて明らかに光が弱い

一目で街灯の一つ、一つ間隔が広い事が分かった。そしてそれが物語っているように人が全く居ない。

ただぽつんと頭を垂れ足元を照らしている街灯、それだけなのに不気味だった

俺は乙さんの背中越しに街灯の明かりが届かない闇の中を見る。

夜更けで暗い事は当然だが、この通りは更に暗い

住宅は暗いが建物の形状が分からない程ではない

俺は手前から順に奥まで両端に続く建物を見た。

そして奥まで見終えると、乙さんの後ろについて歩いているので新たな建物が現れた、

それを見る。ゆっくりだが、確かに建物は現れ、続いている

俺は次々と現れる建物を見つつ、隣で過ぎ去っていく建物を見た、その時、違和感を感じた。

そして、もう一度、隣の建物を見て、次に周囲の建物を見た。

違和感、その正体を確認する為に

俺の感覚は間違ってなかった。

俺はすぐにでも引き返したかったが、乙さんはどんどん前に進んでいく

俺は乙さんにどんな言葉を掛けるのが正しいのか、様々な言葉は思い浮かんだが、それを声に出すことは憚られた。

深夜の住宅地に居る。そう思うと最終的に俺の動揺は変な形で落ち着いた

こんな時間に住人に迷惑をかける訳にはいかない

目の前の乙さんが暗闇に溶け込んでいく、

乙さんが闇に染まっていくのを見ると、たとえ俺が何か言った所で、何も変わらないのだろうと諦めるしかなかった

俺は言葉を飲み込み、そして諦観の中、僅かに頭を下げた、上目で前を見る、乙さんの頭の頂点までしか見えない。乙さんの影だけを見て先に進む

無言で歩く俺達、その両隣にある民家が俺達を左右から見下ろしている

盲目の塗り壁が俺たちを挟み、一列に続いている。

唯の偶然の重なり、しかし不思議な符号の一致が起こるとそれはたちまち俺の中で恐怖に変わってしまった。

この道に沿う全ての建物、その壁には窓が一切無かった。

全ての建物が俺達を背にしている

出入口から奥に見える建物迄、誰も俺達を見ていない

俺は恐る恐る、乙さんの頭越しから道の先を見る。

姿を現す民家の壁、そのどれもが街灯の光に照らされてのっぺりとしている。

乙さんは何も言わない。、知らないのか、それとも気づいた上なのか、後ろからじゃ何も分からない

徐々に目線を下げたくなる、なにも視界に居れたくない。

そうやって、思考と精神の安寧を保とうとした。

しかし、徐々に思考の端でじわじわと黒いものが湧いてくる。

俺は乙さんの影だけを見つめ、そして、見失わないようにした。影だけでもいい、人の気配が欲しかった。

もし、一度でもこの影を見失うと二度と元の世界に戻れないそんな気がした。

俺は影だけを見つめ、歩いた。

すると「っん」という息が漏れる異音と頭に軽い衝撃があり、俺は顔を見上げる

暗闇の中でもはっきりと分かった。

乙さんが半身を後ろに向け、訝し気な顔でこちらを見ていた。

俺は前に居る乙さんが立ち止まった事に気づかず、頭を背中にぶつけていた

乙さんは背後からぶつかった俺に対して、どうした、大丈夫か、とか心配するような声を掛けず、無言で怪訝な顔をして見るだけだった。

俺はその視線に耐え切れなくなり、軽く頭を下げると乙さんの隣に立った。

俺達は脇道を抜けて、開けた場所に居た。正確には道の両脇に建物が無くなったT字路の交差点

正面には障害物が無く、少し遠くの方に割と大きめなマンションが数棟斜めに並んで建ってあった、

俺たちとそのマンションの間は窪地になっており暗い、そしてその窪地は木々が群生しているのだろう、

風と共にかさかさと擦れる音が暗闇の中から聞こえてくる。

風が吹く度に下の方では明かりがチラチラと明滅している。

街灯の光を木々が遮っているのだという事が分かった。

俺達がいるT字路は、左は下り坂、右は上り坂、となっていた。

俺は当初の目的、駅に向かう事を思い出し、左右の道を交互に見る。

終電もそろそろやばいが、もと来た道には戻りたくないので必死に土地勘と周囲の状況から判断し、

俺は左の下り道の方へ歩き出した。

すると背後で「へえ、こんなところがあったんだ」という乙さんの僅かな驚嘆の呟きが聞こえた。振り向くとそこにはもう既に右の上り坂を進んでいる乙さんの背中があった。

俺は「えっ?」と言葉が漏らし、その場で右往左往し、そして諦めて、右の上り坂を選んだ乙さんについていく事にした。

その道の先、そして最終的に俺と乙さんは休憩所の椅子に共に静かに座っている

付いていく義務は無かった、そもそも誘われてさえもいない、

そして乙さんは酔いどれの介護してもらう必要もなければ、その心配は全く持っていらない蟒蛇だ

だから、俺はここにいるのは一重に乙さんのせいではない

俺は流れに身を任せたままの結果、夜更けに、この休憩所で二次会をしている

乙さんは前方にあるため池を見ている。遊歩道がため池を囲うように設置されており、また遊歩道に沿うように街灯が点在している。ため池が街灯の明かりを反射した結果、僅かにだが、ため池の方が明るい、

しかし、そもそもここは夜に人が来る事を想定してない為、街灯自体の数が元々少ない。

そして乙さんと俺が背中を預けている壁の先。つまり後方には街灯はほぼ無い

休憩所の長椅子に座る俺達の後ろには黒い御影石が群立していた。

俺は乙さんについていった結果、深夜、霊園に訪れ、正面にため池と背後に墓場に挟まれた休憩所で二次会をしていた。

流石に怖かった。初めに座る時は俺は墓場を敢えて後ろにした。乙さんはというと特に気にしていない感じで座る時、近い方に座ったといった具合だった。

俺は比較的、恐怖耐性が高い方だと思う、普段の乙さんも全く怖くないという訳では無く、多少の怖さがあると、時分で言っていた。

でも本当にそうなのかと訝しむ俺が居る。

前に俺と乙さんが一緒に飲んでいて、さあ、帰ろうかと駅に向かって歩いていた時、

そういった不思議な現象に不遇にも出会ってしまった。俺は酔いが一瞬で醒めたが乙さんは隣で「ふ~ん」と観察していた事があった。

「へえ、目が慣れてくると、案外見えるんだな」

闇の中、小さいながらもはっきりと聞こえた。

俺は声が聞こえる方向に嫌な予感がした。俺はその元を見る。

やはりというか、順当というか、そこには俺と向かい合いの形になり、俺の後方の先を眺めながら、酒を飲む乙さんが居た。

本人曰く見える人ではないらしい、だからそういった心霊現象の類、オカルトなどは存在しない、というスタンスではなく、逆に全肯定している、

そして見えない人でありながら、普通の人以上、少なくとも俺以上はそういった不思議な出来事を経験している。

乙さんはその時の事を「異世界に入った」と形容する。

向こうの世界に入ったから、一時的にだが、向こうの世界の住人になったため、見る事ができると、そして乙さんはかなり巻き込まれやすい性質で、本人が望んでいなくとも向こうからホイホイくるらしい。

異世界には一定の法則はあれど、一意で纏められるものではないと乙さんは言って居た。

異世界に入ったかどうかはすぐには分からず、なにかしらの違和感や変化で分かるとの事

そう言えるという事は今までそれらを経験してきた事を物語っており、乙さんが恐怖しないのは場数も含まれていると俺は踏んでいた

「んっ?」

少し抜けた感じの乙さんの一言に俺は敏感に反応してしまう。

今は深夜、俺たち以外誰もいない暗闇ではほぼ無音に近い

「どうしたんですか?」

俺は小さく尋ねた

「ん~」

乙さんは俺の問いには答えなかった。そして身を乗り出すように少し前かがみの姿勢になり、じっくりと見ると、再び体重を背中の壁に預け、酒を煽った。

「影が濃いな」

その声は近くに居る俺だけに聞こえるよう囁いていた。そして続ける

「明かりをつけるのはよそう、何かあったら問題だ」

「なんの話ですか?」

俺は別につけるつもりは無かった。スマホに意識が行く

「人が居る。それも複数人だ。まだこっちには気づいていない」

「えっ?」

俺は固まった。乙さんが嘘を言ってると思った。

馬鹿な冗談と思って振り向こうとしたとき、俺は動きを止めた。

冗談で済めばいい、でも冗談じゃなかった場合はーーー

「まぁ、禁止はされてはいないか・・・でも、なんでこんな時間に・・・」

乙さんは囁くような声で言った。その間一切、視線を外していない

「一つの墓に集まった、その墓の関係者か、一体何してんだろう」

乙さんは独り言が続く、周りが静かな為、聞く気が無くても俺の耳に聞こえてしまう。

俺は血の気が引くのが分かった。酔いが上から下へ醒めて行く。

乙さんの言葉から読み取れる。

現在進行形で複数の誰かが深夜の時間帯のこの霊園にいる。

それを乙さんは何事も無い様に観察している。

俺はもう振り向く事は出来なかった。嘘であってくれと祈る事しかできない。

「ん~」

乙さんは鉛のような重みを含む一言を吐くと、上を向いた。そして、後ろ髪を酒を持っていない方の手でガシガシ掻くと「そういえば、今日は彼岸か」とそう言い、再び酒を口に運んだ。

「・・・彼岸ですか?」

突然の見知った単語を聞き、俺はつい聞いてしまった。

どうやら例の人物たちとは距離が離れているらしく、乙さんは声を抑えながら答えてくれた

「あぁ、今日は秋分の日だ、つまり秋の彼岸の中日だ」

そして再び問いかけた

「・・・なら、墓参りか・・・、こんな時間に?」

もう、疑い様がない、確実にいる

すると、「んんっ!!」と言って一瞬動きが止まったのが分かった。それは本当に一瞬だけだったが、乙さんが何か、変わったものを見たのは確かだった。夜中の墓参りする集団より変わったものを、

俺は「何かあったんですか」と聞く

乙さんは二つ目のチューハイに手を伸ばし、カシュっと開けた。俺はそれを見て、バレる!!と身を強張らせたが、そんな俺の心配を意に介さずに淡々と言った

「あぁ、あったよ。始めは墓参りかなと思ったんだ。こんな時間だけどね、でもね、さっき消えて、今、人魂になっている」

後半何言っているのか、理解出来なかった。乙さん無言の俺を無視し言った。

「怖くは無いよ、珍しい機会だ、見てみれば」

俺は「怖くはない」その言葉に後押しされ、後ろを振り向く。

そこには群立する御影石の中、確かに一つの青白い火の玉が浮いていた。

そこまで明るくはない。しかし光る何かがそこにちょこんとあった

「いつの間にか巻き込まれてたか、よくある事だ」

俺は横向きに墓が見える様、姿勢を変えた、全く怖くはなかった。

現実の法則に当てはまっていない、不可思議な現象を目の当たりにしているのに、恐怖よりも神秘性の方が勝っていた。

俺は袋から酒を取り出し、蓋を開け一口飲んだ。後ろ側から声がする

「お盆と彼岸の違いって何かわかる」

「さあ、知らないです」

いつの間にか、火の玉が二つに増えている。今度のは橙色だった

「お盆は死者を迎えに行く、彼岸はあちらの世界と最も近くなる期間なんだ」

「へぇ~、そうなんですか」

今度はいつの間にか、瞼を閉じて開くと、倍の4つになっていた、青と橙がゆらゆらと織り交ざる

こういうのも悪くはないと酒を一口飲む

「元は多分、日が出る時間と夜の時間が同じだからってとこから来ているらしい、昼は此方、夜は彼方とね、此方と彼方の時間が等しい=最も差異が無く、同じ、よって近いとね」

乙さんの言葉を背後で聞きながら、俺は火の玉を見る

もう増えないらしく、10には満たない小さな明かりが浮いている

「人というのはすごいな、思い込みで此岸と彼岸を近づけるなんて」

その背後からの言葉に俺は少しぞくっとした。

その言葉は明らかに今迄とニュアンスが異なっていた。

人魂に向けてではない、この現象の発生元に向けて放っていた。

この現象は、起こるべき故に起きたと、この異常な現象を可能にしたのが人だと

乙さんはこの火の玉を人の思い込みの産物だと言った。

しかし、俺は恐怖を感じたのはあの瞬間だけで、それ以外は俺はこの幻想的な光景に見とれている

でも色眼鏡なく見てみれば、そこには墓石があり、火の玉が浮いているだけだ

異常な物だと思うのは人であって、ただの事象として受け入れてしまえば、なにも怖くは無い

人がいるから、異常だと思い不可思議なモノを、現象に恐怖する。

現象としてみれば只あるだけなのだ

その後、俺たちはしばらくの間、火の玉鑑賞会となった二次会を静かに楽しみ、明るくなる前に霊園を出た。

明るくなる前に出ないと、人に気づかれでもしたらそれこそ通報されてしまう。

そして、乙さんはあの後、もちろん終電を逃し、徒歩で家に着いた。これは後から聞いた話。

ちなみに、俺は家に着くまで乙さんからは離れる事はなかった。

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